人国 諜報員たちの内緒話と『物語』の始まり
「なあ、ステラ。こっちの連中ってどうしてこんなに危機感がないんだろうな?」
「さあ。色々と忙しいからなんじゃないの?衣装選びとか、貴族同士の力関係とか」
夕刻、人気のなくなったアカデミアの図書室で、私はウォルと一緒に先生方に頼まれ、基、押し付けられたテストの採点をしている。
遠く、微かに聞こえて来る華やかな器楽演奏、人々の笑い声。
今日は月に一度の懇親会。学園の生徒達が集まって交流を深める、社交の練習だと以前聞いた。今回は特に第一王子エルンクルス様が来訪されているので、好を作ろうと多分、参加者達はいつも以上に気合が入っている筈だ。
さっきまで第三王女に頼まれてお化粧と髪結いのお手伝いに行ってたけれど、一事務員がパーティに紛れ込むなんてできはしない。一般の職員は裏方仕事で大忙し。
まあ、その方が私達には好都合だけれど。
「こんなに無防備に個人情報や、機密を並べてさ」
仕事をしながら、私が厨房を借りて作った焼き菓子をぱくつくウォル。
「テストは汚さないようにね」
仕事をしながらお菓子を食べるなんて、勿論、この世界的にも贅沢な話だけれどこれは、私がいつもこき使われているウォルや自分の為に作ったものだから。
「彼らにとっては一般職員なんて人間の内に入ってないのよ。ちょっと便利な道具で、言う事を聞いて当たり前。逆らわれるなんて考えてないの」
実際、貴族に仕えている者が逆らったり情報を漏らしたりすれば、即座に抹殺されるだろう。人国では魔国と違って人の命は軽い。
お偉いさんの気分次第で真綿のように簡単につぶされてしまう。
幼い頃から身分とクラスで完全に区別されて、生殺与奪を他者に握られて育った者達には、その魂に恐怖と絶対服従が刻まれているのだろうし。
それに比べたら、私達は子どもだし、有名商会の行儀見習い待遇だから、まだ尊重されている方だ。
「同じ国に生まれた人間でさえそれだもの。彼らからしてみれば、私達なんか話の通じない動物も同じで。頭があって会話して、作戦を考えているとか、もしかしたら間諜が潜り込んでいる、とか考えてないのよ。きっと」
「お前の提案した情報収集機構のおかげで、かなり子どもを助けられるようになったり有利に動けるようになってきた。情報は力だ、ってお前が言ったの本当だな」
私とウォルが人国への復讐を決意して約五年。
今年、ようやく魔王様の許可を得て私達は人国への情報収集チームとして地上に戻ってくることを許されたばかりだ。
「魔王様! 人国に情報収集の為の組織を作りませんか?」
「ほほう。面白い提案だな」
「はい。実は、私には変わった『クラス』があるのです。
『サクシャ』というもので意味がよく解りませんが、どうやらこの世界に関しての普通なら知りえない知識がいくらか『創世神』から与えられているようなのです」
「『サクシャ』? 巫女や神官のようなものなのか?」
「もしかしたら、そうかもしれません。自分では何故、そんなことが解るのかそのものが理解できないのですが」
小説や物語などがそもそも殆どない世界だ。
私のクラス名から『サクシャ』=『作者』=『世界の創造者』などと考えられる存在は他にはいない。
そう開き直った私は、自分のクラスを開示し魔王様に協力を仰ぐことにした。
異世界転生者が、地球知識で色々とアドバンテージを取るのは物語の定番。
向こうの料理の知識だけでも、私の株はかなり上がったのだ。私のクラス『サクシャ』は普通の人が知りえない知識を知るクラス、とすればそんなに違和感はない筈だ。まるっきりの嘘でもないし。
魔王様は、私の与太話のような提案を哂うことなく真面目に聞いてくれたばかりか、驚くくらい積極的に取り入れてくれた。
「人間国に魔国の情報収集チームを送り込むことで、人間達がいつどこで『儀式』を行うかなどを事前に知ることができるかもしれません。そうすれば魔王様の御力で落とされた子どもを救う事もできますよね」
「ああ、できる」
「地上に隠れ住む魔国の人達にサポートしてあげることもできるかもですし」
武器は魔国特産の水晶や宝石、鉱石など。
それらをそのまま売り捌けば足がつきやすくはなるだろうけれど、旅商人として各地を巡って怪しまれたら即座に撤収すればいざとなれば転移陣もあるこちらは簡単には捕まらないで済むはずだ。
「人間は珍しいモノや生活を豊かにするモノに目がないのです。
ですから、それを与えてくれる存在には逆らえません。
それに魔国には転移の為の術式があるんですよね? それを上手く利用すれば普通の人間の商人に比べるとかなり有利に事を運べるのではないでしょうか?」
「そうだな。見つかったら即、落命の危険に繋がる任務ではあるが……」
「勿論、私がやります! 子どもなら油断しやすいでしょうし」
「馬鹿者! 10年早い」
「では、私がやりましょう。セイラが大人になるまで」
この点に関しては生意気を、と怒られたけれど、魔王様は本気で人を募り、訓練を施し準備を整え一年足らずで開始に漕ぎつけた。そして四年かけて徐々に、人気を集め、金持ちに取り入り。商圏を広げながら徐々に情報網と人脈を広げていったのだ。
私とウォルが加わることになったのは今年から。
最低限使い物になるまでの知識を技術を身に付けろと言われて、勉強と仕事と訓練にあけくれた。
ここまでに辿り着くのは長かったけれど、本番はまだこれから。
というより今日から始まるのだ。
「んで? そろそろか?」
「多分ね。頼める? ウォル」
「ああ。任せておけ」
私は職員室の扉の内鍵をかけ、カーテンを閉めた。
万が一、二人で何をしていたんだ? と、咎められてもまだ子どもだし、一応婚約者同士だからと言い訳することもできる。これから、見られたらヤバいことをするのだから。
「始めるぞ。セイラ」
ウォルがバンダナを外し額をその手でスッと撫でると、額に三つ目の瞳が開いた。
三眼族。
特別な三つ目の眼で、見えないものを見、感じ取ることができるのだという。
私は彼の手を取り、目を閉じる。
握った手から伝わってくるのは、不思議な光景だ。
『第三王女 リュドミラ! 貴様から王族位を剥奪し、侯爵との婚約を解消。
罪人として『神の塔』に送るものとする!』
それは、割とよくある喜悲劇の始まり。
惜しげもなく灯された最上級の蜜蝋燭の光煌めくシャンデリアの下。
自らが何をしているかも解らない愚かな男は、高らかに自らと国の終わりと、物語の始まりを謳っていた。