47、少女と女王と(少女)。……胸にぽっかりと空いた穴。
――私が知らない間に、何もできない間に、全部、全部終わってしまっていた。
「じゃあ、みんなー! 元気でねー! ……え? えへへー! 心配してくれてありがとー! でも、あたしは大丈夫だよー! いつかまた会って、みんなでお腹いっぱい笑いあおー! だから、いまは……さよな……らっ……!」
そう言って、あの子はぶんぶんと思いきり手を振ってからくるりと身を翻して、私の前から背中を向けて去っていく。
赤く長い髪と、あの子の決意の象徴。軽鎧の左肩から伸びる日食の紋章の入った夜の闇を写したような藍色のマントをなびかせて。
私の大好きだった、いつも見つめていた、たとえとてつもない困難や理不尽な現実を知っても、少しも輝きを失わない穢れのない青い瞳。
その決意を込めた瞳いっぱいに溜まった涙がぽろぽろと私たちの前でこぼれ落ちる前に。
幼い頃から、お母さまに引き合わされた初めてのときから、ずっと一緒に育ってきた大好きだった私の親友。
ごく自然に、これからもずっと一緒にいるのがあたりまえだと思っていた私の親友。
勇者アリューシャはその日、私の前から唐突にいなくなった。
私の手が届かなくなったその日。
――まるでぽっかりと、埋めようのない穴が私の胸の中にできたようだった。
*
「魔王国エンデの大使アリューシャ。我が国の結論を通達します」
「は、はいーっ!」
長い沈黙が終わる。イルゼベール女王のそのあらたまったアリューシャへの呼び方に、いつのまにかぼうっとあの日のことを思い出していた私の意識も、ようやくいまこの場へと戻ってくる。
イルゼベール女王の対面に座るアリューシャの緊張に上擦った声で背筋をピン、と伸ばすそんな様子を心の中だけで私はくすっと笑った。
――ちっとも変わっていなくて安心した、と。
「我がクインブレン王国は、魔王国エンデに恭順はいたしません。……ですが、中立は保ちましょう。人間同士ならばまだともかくとして、魔族や魔物に対しては間違いなく人類最強の勇者である貴女の敗北」
「は、はいー……」
萎縮するアリューシャに、「別に責めていませんよ。……そんなには」と目だけで伝えるイルゼベール女王。
神妙な顔でこくこくと頷くアリューシャに、また私は心の中だけで、くすっと笑った。
そんな中、話はなおも続く。
「そして魔王国エンデの頂点である、あなたと志を同じくするという魔王ジュド殿の無為な犠牲を出さない姿勢が無血で為されたトーリラ王国とフレト王国を初めとする小国の恭順過程によって言葉だけでなく実証されたこと。この二つの事実をもって国内の対立強硬派はわたくしが抑えてみせましょう」
そこでイルゼベール女王は、人払いをしているせいで換えられず少し温くなった紅茶で一度喉を湿らせた。
「いまはまだ中立の立場で趨勢を。また魔王国エンデと、そして貴女が同志として認める魔王ジュド殿のその本質を見極めさせてもらいます。……アリューシャ。そう魔王ジュド殿にお伝えなさい」
「あ、ありがとうございますー! イルゼベールさまっ! あたしももちろん、きっとジュドーだって喜びますーっ!」
ガタッ! と椅子から立ち上がり、きらきらとした笑顔で本心からの喜びを表現するアリューシャに、本当に珍しいことに、イルゼベール女王が小さくその翠の瞳を瞬かせた。
「喜ぶ……いいのですか? いまわたくしは、恭順しないと伝えたのに」
「はいっ! あたしがここに来る前に、ジュドーもこう言ってましたからー!」
そこでアリューシャは立ったまま親指と人差し指をピンと伸ばし顎下に添えると、露骨に表情をキリリとさせる。
「ふー。恭順してくれれば最じょー。だが、おそらくそれは難しいだろー。……そーだなー。中立を表明してくれればいまは十分だー。そうすればー、近隣の小国平定後の次なる俺の戦略ー。後顧の憂いをなくし、例の大国との争いに専念できるー、って!」
表情に声真似。手振りまで使ったアリューシャ渾身の――けれど、その特徴的な間延びした口調が前面に出てしまったせいで。
似てるんだか似てないんだか何とも言えない出来の、あのいまは魔王となった元四天王のジュドとかいうやたらと格好つけた男の物真似。
それを見ていたイルゼベール女王――私のお母さまは、本当に本当に珍しいことに、口元を抑えながら小さく肩を震わせていた。
――娘の私ですら成長したいまはもう滅多に見ることはない、お母さまの全く取り繕わない素の表情。
それをこんなに簡単に引き出したアリューシャは、私の親友は、やっぱりすごい。
「それに、あたしも……! イルゼベールさまや、メルニーたちとこうして戦わなく済んで、すっごくうれしい……! えへへ……!」
――あ…………!
思わず施された隠蔽を解いて、私が一歩を踏み出しそうになる、その前に。
宝石のように綺麗な涙がぽろぽろとこぼれる、その前に。
私の親友アリューシャはぐいと目元を拭ってから、お母さまへと微笑む。
そのいまも変わらない、いまもやっぱり大好きな穢れのない青い瞳を見つめていると。
ほんの少しだけ、ぽっかりと空いた私の胸の中の穴が埋められていくのが、わかった。
「行くのですか?」
「はいー! ジュドーの所に帰りますー!」
「帰る……。そうですね。では、いずれまた会いましょう。できれば、より良い形で。それまでどうか息災で。アリューシャ」
「はいー! イルゼベールさまもー!」
そうして笑顔で別れの挨拶を交わしたすぐあと。
アリューシャは窓を開き宙に躍り出ると、「ワンちゃん! 帰りもよろしくー! はい! これ、魔力塊だよー」と小型の空飛ぶ魔物ワイバーンの口にころんと魔石に似たものを放り込むと、その背に乗って、空高く飛び上がりまた私の前から去っていった。
あの日あのときのように赤く長い髪と、アリューシャの決意の証、日食の紋章入りの藍色のマントをなびかせて。
「またね。アリューシャ。……元気でね。ずっとずっと大好きな、私の親友……」
その背を見送りながら、最後に心の中だけで、私はそう一方的に別れの挨拶を送った。
――だって、追えない。……会えない。……いまは、まだ。




