2022.7.25 多分Eテレで見た
この項はエッセイです。夢日記ではありません。
夢とは、記憶の整頓であると以前どこかで聞いた気がする。たぶんNHKの番組か何かだったと思う。が、定かではない。夢だったかもしれない。そうだとしてもそれを疑っていたら話が続かないので、そうであるという前提で進める。
人類を含めそれなりに発達した脳を持つ生物は、睡眠時、重要な記憶を脳内の取り出しやすい位置に移動し、さほど必要の無い記憶は奥の方に押し込めてしまうのだそうだ。その作業の過程を断片的に垣間見ているのが夢だと言う。
悪夢を見ると、目覚めた後でもしばらくの間はこの世の終わりのような巨大な恐怖に支配されがちだ。壮大な冒険の夢を見た朝は名作映画を観終えたかのように晴れやかだし、夢の中で作った曲はまだ人類の他の誰もがかつて聴いたことないかのような歴史的名曲だ。しかし不思議なことに、いずれの場合も、覚醒からしばらく経つと感動は氷解して消え失せてしまう。見た夢も、それに抱いた感動もろくでもないものだったように思えてくる。
このような経験を元に考えると、どうも夢は記憶だけを整頓するものではなく、感情も整頓してしまっているのではないかと感じる。歳を取るごとに何かにつけて心を動かされることが減ってくるのは、毎夜の夢がそれを奥の方に押し込めてしまっているからなのかもしれない。許可した覚えはないのに、勝手に。
夢日記を付け始めたのは、徐々に失われていく感情を何らかの形で保存しておきたかったという動機が強い。取り戻すことは出来ないかもしれないが、読み返すことでくだらない娯楽として楽しむくらいは出来るかもしれない。それが形ばかりを留めるだけの残滓に過ぎないとしても。