優しくされると好きになる
その出来事が会ってから、学校生活が少し変わった。
ただ間違えて持って行かれた薬を、返してくれただけの、非常に当たり前のことだったが、俺は高橋のことが気になっていた。
学校にいる高橋は、テレビや映画と違って『オーラ』のようなものは感じなかった。
クラスの中では、栄子とか、恵子の方が可愛く見えることの方が多い。
基本的に学校の高橋は、気配を消しているかのように目立たないのだ。
今までは、そんなことすら気にしたことがなかった。
超有名芸能人なのに、なぜ全く目立たないのか。
よく考えれば、逆に不思議だった。
俺は完全に高橋を意識し始めてしまった。
いや、単純に『優しくされると好きになる』という話かもしれなかった。
高橋のことが少しでも知りたい一心で、気づくと俺は学校のPCをハッキングしていた。
高校で使う為に購入したPCには、管理権限がなかった。
だが、俺にとって、管理者権限を取るのは簡単で、与えられたころ、すぐに取っていた。
そして授業中、生徒が使うWiーFiからは接続できないはずの、教師だけが使用するネットワークへ接続ルートを探し当てた。
次の授業の間も、PCを開いてハッキングを続けていた。
操作している画面を見られたとしても、いつものことだと思われただろう。
ハッキングしている対象が、学校内か外部のサイトかの違いだけだからだ。
つまり、俺はいつもそんなことをしていたのだ。
そうやってたどり着いた高橋の情報だったが、大した内容ではなかった。
俺の目を引いたのは、高橋のプロフィール情報の備考に作文や美術などが優れていた場合でも、コンクールなどに選出しないこと、と書かれていた。
実際、この備考に書かれた内容に従って選出を取りやめたかまではわからない。
だが、それほど『目立たない』ように周囲にまで事務所からの指示が徹底されているということだ。
あと、特筆すべき情報としては、事務所が公表している身体の数値より、実際はもっとセクシーな体のサイズをしているということだった。
ただの数値の並びをみて、顔が熱くなるのは初めてだった。
その時、高橋が俺を見ているのに気づいた。
高橋の顔を見ていると、発作ではないのに、鼓動が激しくなっていく気がした。
「住山。ねぇ、当てられているよ」
「……えっ?」
「住山、聞こえるか? ここを答えてみろ」
俺は立ち上がった。
速やかに状況を把握しようとしたが、頭が回らない。
俺は自分がこんなにポンコツだったか、と自己嫌悪に陥った。
「ほら、ここのこと」
と教科書を開いて見せてくれる。
やけに高橋が優しい。
いや、俺は以前、こんなポンコツではなく、指されたら、すぐに答えられた。だから、高橋が教科書を開くまでもなかった、のかもしれない。
「アクスム王国」
「……そうだな」
俺は座って、高橋に礼を言った。
高橋は、満足気に微笑んだ。
いつもなら、この状況で笑われたら『腹が立つ』ところなのに、その笑顔が、一瞬で俺の頭の中を埋め尽くしていった。
授業が全て終わり、俺は一人教室に残っていた。
「やばい……」
俺の一つ一つの行動が『高橋』のおかげで狂ってしまった。
他人の笑顔などが頭に残ったことがなかった。
それに、テレビやCMで、散々見ている高橋に、今まで一つも興味を持たなかったのに、なぜ今日に限ってこんな惹かれてしまうのか。
俺は気持ちを整理するかのように、PCを開いた。
学校のネットワークにアクセスし得たファイルを、ぼんやり眺めていた。
「ん?」
そこには『特別教室に選定する生徒の基準』と書かれた文書と『特別教室の指導要領』というものだった。
特別教室は、選抜された生徒が放課後に補習授業を受けるものだ。
実際は補習ではなく、東大を目指している連中のレベルアップが目的だった。
少なくとも俺はそう聞いていた。
しかし、その取得した文書を読むとただ東大を目指しているだけの連中ではなさそうだった。
俺は教室の背後にある監視カメラをチラリと確認すると、急いでファイルを閉じた。
あの位置にあの程度のレンズで設置してある監視カメラでは、俺のPC画面まではどれだけデジタルズームし、劣化分を補完しても、確認できないだろう。
だが、ここで内容を確認し続けるのは、得策じゃない。
俺は帰る支度をして、教室を出た。
個人のスマフォを専用のロッカーから取り出すと、学校を出た。
「住山」
聞き覚えがある声。
俺の体が一瞬で反応した。
「えっ?」
高橋だ。
顔を見るまでもなく、俺は全身でその声がする方に注目した。
「話があるんだけど。そこの漫画喫茶入らない? 奢るから」
「あ、あの……」
「なんでそんな調子なの? いつもの住山らしくないね」
「金は払うよ」
「そんなのいいから」
俺は黙って高橋について行った。
漫画喫茶に入ると、高橋はカップル席を指定した。
高橋は明らかに声色を使っている。
確かに、顔ははほぼマスクで分からないが、声で気付かれる可能性はあった。
完全に高橋に主導権を取られたまま、部屋に入った。
やばいくらいに鼓動が早くなっていた。
高橋が周りの様子を見ながら扉を閉め、俺を振り返った。
ハッキングして見てしまった高橋のスリーサイズが頭をよぎる。
学校の制服で包まれているが、びっくりするようなプロポーション。
やや面長で、キリッとした印象のある顔立ち。
何を塗ったらそんなにツヤがあるのか、と思うような唇。
その唇が開いた。
「学校のネットワーク。ハッキングしたよね」
「えっ?」
いや、馬鹿な。
だが、完全に油断していた。
クラス内には、東大を目指すような人間がゴロゴロいるのだ。
そうでなくても、見る人が見ればわかるものだが、まさか、高橋が俺のハッキング行為に気づくとは……
本の一瞬で、男女間に発生するドキドキから、別の種類のドキドキに変わってしまった。
「しょ、証拠あるのかよ」
「警察に突き出そう、っていうんじゃないのよ」
「何が言いたい?」
「学校の『特別教室』に関連するファイル、あった?」
正直に話すべきなのか、誤魔化すべきなのか。
だが、高橋のスリーサイズを調べるためにハッキングした、と思われるより、そのファイルに気づいていた、と言った方が、有利ではないか。俺はそう考えた。
「あったら、どうする?」
「見せて。その中にPCあるでしょ」
「何のために?」
高橋は、落ち着けという感じに手を抑えるような仕草をする。
俺はそのまま二人用のソファに座った。
高橋が横に腰掛けてきて、体が当たる。
様々なドキドキが混じってきた。
「私の事務所の『定款』見なかった?」
「『演劇、音楽などの芸能文化を通じ、国家・国民の幸福を実現する』ってやつだろ」
「そらで言えるなんて大したものね。私なんか、何回読んでも覚える気にならないけど」
「『特別教室』が国民の幸福に関係するとでも?」
「流れから言えばそういうこと」
プラス側に影響することなのか、まさか、いや、流れからすればマイナス側に……
たかが高校の補習授業が、なぜ国家と関係するというのだ。
そんなことより、学校では一瞬も感じなかった、高橋の香りに俺は驚いていた。
学校で香水などつけていたらすぐに指導が入ってしまう。
つまり、いい匂いだが、香水ではないのだ。
それと、高橋に触れている体側から伝わる感触のせいで、思考が働かない。
「とにかく出してよ」
「えっ?」
俺は、一瞬だが、自分の股間に視線を向けてしまった。
慌てて視線を逸らすが、高橋は立ち上がる。
「もしかして、変なこと考えてるでしょ? バカじゃないの? さっさとPC出しなさいよ」
俺は無言でパソコンを用意した。
テーブルにはネカフェのPCのキーボードがあったが、それは端に避けた。
バッグからPCを出し、開いて電源を入れる。
指を置いて認証すると、フォルダを開いてファイルを見せる。
「……」
高橋は俺の肩を押して、PCの前から退くように促す。
俺は立ち上がる。
「ねぇ、これSIM入ってないの?」
「eーSIMあるけど、だけど契約してない。待って、そのファイルネットに上げるつもりなの?」
「事務所のサーバーにね。ネカフェのネットワークのSSIDとパスワード」
「どっかに書いてあるんじゃない」
俺は受付で渡されたものや部屋の壁に貼られたものを確認する。
貼られたものの中に『わいせつ行為を禁止する』と書かれたものを見つけて、視線がロックしてしまう。
「全く、男はどうしてそういう方向ばっかり気になるの」
高橋はネットワークのパスワードを見つけたらしく、すでに打ち込み終わっていた。
「そ、そういうわけじゃ」
正直、俺は高橋と出会うと、あそこが反応するような身体になっていた。
だが、とてもじゃないがそんなこと口に出来ない。恋とか、愛とか、そんな綺麗な言葉で表現できないものを感じているのだから。
「アップロード終わった」
高橋はそう言うと立ち上がる。
「要件は以上よ。お金はここに置いていくわ。ここで私は帰るけど、延長したかったら自分でお金払ってね」
「あっ、ちょっと!」
呼び止めには応じず、高橋はとっとと出ていってしまった。
俺はPCを放置するわけにもいかず、追うのを諦めた。
こうなったら、高橋の事務所を探らせてもらおう。
俺はそのままソファーに腰を下ろし、PCに手を置いた。
とりあえず、アクセス履歴から高橋の事務所のサーバーとやらをハッキングすることにした。
大した防御もなく、サーバーに侵入すると一連のファイルを抜いてみる。
「?」
俺は事務所から抜き出したファイルを見ているうち、おかしな情報に気づいた。