3.絵になる二人
「ええ、僕のほうはいつでも大丈夫ですので、どうぞご遠慮なく、こちらにおいで下さい」
宮廷お抱え画家・ダミアンは、王城の一隅に設けられたアトリエで、垂れ幕の向こうの人物に熱心に説得を続けていた。
「いや、しかしなあ。俺のこのオーク面を、何時間も見つめて絵に描きつづけるって、それ、控えめに言って拷問でしかないと思うしよ……」
「そんなそんな! オーグ――いえ、オーグスト・ホルム様は、我らが救国の英雄ですから。そのお姿を絵に留められる栄誉を与えられた僕は、幸せ者です」
「いや正直に言えよ。おまえさん、宮廷画家って言うにはずいぶん若えじゃねえか。おおかた、この仕事を嫌がったほかの先輩画家たちに、貧乏くじを引かされたんだろ? 適当にカカシでも描いといてもらえばそれでいいからよ。この顔を見て気絶されんのも、その世話をしてやるのも、俺はうんざりなんだよ」
「いえいえ! 僕だって画家の端くれ。王子殿下からのご依頼だというのに、そのへんのカカシを描くわけにはまいりません。大丈夫、ちょっとやそっとの顔面では動じないよう、精神を鍛えてきましたし!」
垂れ幕の向こうにいるのは、魔王討伐の立役者、救国の英雄と呼ばれるオーグスト・ホルムだ。
このたび、同じく英雄のサブリナ・ブッシュと結婚するとのことで、王子直々に、披露宴会場に飾る肖像画を製作せよとの依頼があったのだ。挙式という人生で最も輝かしい瞬間を、いつまでも留められるようにという趣旨だ。
ところが、肝心の本人たちが、その提案に難色を示していた。
いわく、「そんなの血税の無駄遣い」、「こんなオーク面とゴブリン面を後世に伝えてなにが嬉しい」と。
(いやあ、わかります。お気持ちはよくわかりますよ、ええ……!)
ダミアンもまた、熱心に言い募りつつも、内心では遠い目をしていた。
実際のところ、オーグの発言は正しくて、こんなにも年若い、末端の自分がこんな「栄誉」を任されたのは、ひとえにほかの画家たちがこの仕事を嫌がったからだ。
肖像画を依頼するにあたり、王子は、
「僕の友人二人――オーグとゴブリナが結婚するからさ、とびきり魅力的な肖像画を描いてほしいんだよね。披露宴の会場にばーんと飾ろうと思ってさ」
と言った。
醜さの代名詞として知られる二人を、とびきり魅力的に描けと命じたのだ。
オーグとゴブリンを、そのままキャンバスに落とし込もうとしたら、どう足掻いたって魅力的な絵にはならない。
かといって、美化しすぎたら、それはそれで「リアルに描いたのではとても鑑賞に堪えません」というメッセージを叩きつけることになってしまう。
つまり、どちらに転んでも画家としては絶体絶命であり、まさに、ダミアンは貧乏くじを押し付けられたわけなのだった。
(でも、やるしかないんだ……!)
ダミアンは垂れ幕の前で拳を握る。
数少ない宮廷画家の椅子を巡る争いは、激しい。
年若く、後ろ盾もないダミアンは、貧乏くじだろうがなんだろうが、与えられた仕事をこなすしかなかった。
それに、
「オーグスト様とサブリナ様には、僕の故郷を救っていただいたんです……!」
ダミアンは、恩返しをしたくもあったのだ。
魔王軍に早々に占拠されてしまっていたダミアンの故郷。
誰もが救出を諦めていたところに、討伐パーティーである彼らだけが手を差し伸べてくれた。
中でも、オーグは多勢に無勢の中、真っ先に敵地に飛び込み、ゴブリナもまた、全身に傷を負ってまで住人たちを救出してくれたと聞く。
家族を残し、一人だけ安全な王都にいたダミアンは、いったいどれだけ罪悪感に駆られ、またどれだけ感謝したことか。
妹からの手紙によれば、故郷の皆は、彼ら二人を生き神のようにして崇めているということだ。
たしかに、凱旋パレードで見た限り、遠目でさえ、二人の外見はひどいものだった。
美男美女である王子と聖女が通る時には「わああ!」と歓声を上げていた群衆も、続く二人を視界に入れるや、すん……っ、と突き上げていた拳を下ろしたものだ。
(マジでオークとゴブリンですやん!?)
たぶんあの瞬間、群衆の心は、戸惑いという形でひとつになった。
本能的に背を向けそうになる己をなんとか叱咤し、皆一様に、裏返った声で、「う、うわアア!」と棒読みの歓声を捧げたことは記憶に新しい。
外見に左右されるなんて、いけないことだ。
でも、それにしたって。
そんな群衆の懊悩を感じ取ったのか、勇者二人は気まずそうに、視線を逸らしながら歩いていたっけ。
きっと彼らも、その外見で苦労を重ねたのだろう。
そのときの、彼らのなんとも言えない表情を見て、ダミアンは思ったのだ。
こちとらプロだ。
美しくないものを美しく見せる、それができなくてどうする。
画家として、できうる限り、彼らを美しくキャンバスに描き出してみせようと。
「大丈夫です、僕にお任せください! ソフトフォーカス、キュビズム、抽象画……。現実を否定せずにうまく表現する方法は、いくらかあります! 僕自身、滝に打たれて瞑想しましたし、お酒も飲んできましたし、どんな顔面を見せ付けられても、ふわっと受け流せるコンディションを最大限整えてきましたから!」
「いや、肖像画を描く準備としてその行動が適切なのか、今一度よく考えてもらいたいんだが……」
それでおまえ酒臭いのか、とぼやきながらも、垂れ幕の向こうの相手は、まだ渋っている様子である。
「姿を見ただけで吐かれたこともあるし」と、なかなか幕から出てこないのだ。
ダミアンはいよいよ業を煮やし、垂れ幕に手を掛けた。
「ええい、救国の勇者ともあろうお方が、外見のことでうじうじ躊躇ってどうするんです! だいたいね、あなたはまだいいんですよ! 挙式における新郎なんざ、ミートパイに添えるパセリのようなもんなんだから、オークだろうが豚だろうが構わないんです! 僕にはね、フリルをまとった土偶ゴブリンを美女に描くという絶望的な命題があるんですから、そっちのほうがよほど――」
「ユリウス王子の暴走のせいで、迷惑をかけてすまないな……」
酒の勢いもあり、がっと布を払いのけようとしたその瞬間、背後から涼やかな声がかかり、ダミアンはぎょっと振り返った。
そして、振り返った先で、さらに息を呑む羽目になった。
「――はっ?」
そこには、天使が立っていたのである。
緩やかに波打つ金色の髪に、憂いを含んだ碧い瞳。
透き通る花石膏の白肌に、まるで薔薇の花のような唇。
長い睫毛が頬に落とす影までもが、美しい。
「…………」
ダミアンはぽかんとした。
もしかして、自分はいつの間にか天国に移動していたのだろうか。
いや、きっとそうに違いない。
救国の勇者相手に暴言を吐いたから、怒ったオーグによって、目にも止まらぬ速さで切り捨てられたのだ。
優れた剣士は、「斬られた」ということすら相手に気取られぬうちに、その命を奪い去るという。
なるほど、殺されていたことに全然気づかなかった。
「あ、あの……僕、来世は鳥がいいです……」
ふら、とその場に跪いて祈りだしたダミアンを見て、白いドレスをまとった天使は、曖昧な笑みを浮かべた。
「いや、突然転生願望を告げられても、困るんだが」
「も、もしや、祈りが足りなかったでしょうか……? おかしいな、僕、結構熱心に教会には通ってたんですけど」
必至に両手を組み合わせながら、ダミアンは考える。
教会に飾られた石像に、こんなに麗しい天使はいただろうか。
いやいない。
彼女はいったい、なにを司る天使なのか。
「あの、あなた様のお名前は……?」
「え? サブリナ・ブッシュだが。いや、ゴブリナと言った方が伝わるか」
「は?」
「え?」
しばし、見つめ合う。
補足の必要を感じたのか、目の前の天使――自称・ゴブリナは、困ったように頬を掻き、はにかんだ。
「実は、普段はちょっと変装しているんだ。せっかく肖像画を描いてもらうなら、ちゃんとしたほうがいいかと思って、今日はちょっと、身ぎれいにしてみた」
「いや『ちょっと』って幅じゃなくない!?」
ダミアンは思わず敬語も忘れて叫んだ。
なんということだ。
地底を這いまわるゴブリンの姉と呼ばれるサブリナ・ブッシュが、こんな神々しい美女だったなんて。
(やばい……! すごい……! 立っているだけで尊い!)
彼女の姿を捉えた目から、ぞくぞくと興奮が注がれるような心地を覚え、ダミアンは心臓を高鳴らせるとともに納得した。
なるほどたしかに、この美貌をさらけ出されていては、とても魔王討伐なんかに集中できない。
「うん、その……実はちょっとという以上に、気合いを入れてしまったかもしれない」
自称ゴブリナはと言えば、ダミアンの発言をどう受け取ったのか、照れたように顔を赤らめ、仮縫い用の白いドレスの皺を伸ばしている。
それから、秘密話を打ち明けるように、小さな声でダミアンに囁いた。
「彼の前でスカートを履くのは初めてなんだ。きっとこんな機会、今後もそうそうないから……できれば、きれいに描いてもらえないか?」
凶悪な上目遣いを魂に叩き込まれて、ダミアンは、くの字に吹き飛びかけた。
「よ、喜んでえ!」
鼻血が出そうだ。
(っていうか、この美貌の百分の一でも、僕の絵で伝えられるのか!?)
途端に、先ほどまでとは真逆の不安が押し寄せる。
ついでに言えば、懸念材料はもうひとつあった。
(新郎と新婦の美醜格差やばくない!?)
これでは、どれだけリアルに描いたところで、二人の作画が違うというか、雑なコラージュのようになってしまう。
どうしようどうしよう、と頭を真っ白にしたその瞬間、今度は背後の幕がざっと音を立てて、中からオーグスト・ホルムが出てきた。
「おい、なんかおまえ、ゴブリナが来た途端、急に色ボケしたような声出してないか?」
「はっ?」
反射的に振り返って、ダミアンはまたもや硬直する羽目になった。
「いやどちら様!?」
なんと、そこに立っていたのは、大陸中から男性美の要素を掻き集めて具現化したらこうなるのではないかというほどの、凛々しい色男だったのだから。
「オーグスト・ホルムだよ。俺も、日頃はちょっと変装してんだ。今解いた」
「いや『ちょっと』!?」
もう、先ほどから絶叫しすぎて、気力が底を尽きそうだ。
「ゴブリナが認識阻害の呪いを解くんなら、俺も合わせなきゃと思ってな。……おう、ゴブリナ、そのドレス、ななかなか似合ってんじゃねえか」
「そうか? まだ仮縫い状態だが。オーグこそ、そその肩章の付いた衣装、王子様のようで素敵だな」
すっかり脱魂状態のダミアンをよそに、二人は、外見の変化になんら影響されていないような感じで気さくな言葉を交わしている。
(さすが勇者……!)
目の前の、「神々の遊戯」と名付けたくなるような眼福な光景にくらくらしながら、ダミアンは感極まって両の拳を握った。
「とってもお似合いです……」
美術史上最高に麗しい肖像画が完成する未来が見える。
いいや、それしか見えない。
だから、
「はは、よせよ、照れれるじゃねえか。あー、それにしてもこの部屋、あっちいなァ!」
「私もそそう思う。今日は日差しが強いな。はあ、暑い」
二人が微妙に言葉を噛みあっていることにも、それに気付かぬほど互いに視線を外しまくっていることにも、ダミアンはまったく気づかなかったのであった。
繰り返すが、外では粉雪のちらつく、冬の日のことである。
こんな感じの二人を、また思い付いて更新する日までは完結表示に…
しようと思っていたんですが、思いのほか好意的なご感想たくさん頂いちゃったので、もう1話だけ投稿してから完結表示します!聖女と王子が出てきます!明日20時投稿予定!
世界一チョロい作者ですみません!いつも応援ありがとうございます!