0.プロローグ
「なあ、ゴブリナ。俺たち、結婚しないか」
酒気に頬を赤らめたオーグがそう切り出したのは、熱気の充満する場末の酒屋でのことだった。
「け、結婚!?」
「ああ。おまえもいい年だろ。いくらお互い、勇者の称号を持つ剣士とはいえ、結婚もしないんじゃあ、郷里に帰っても一人前とは見なされねえ。魔王も倒した今、やっと、個人としての幸せをさ、考えるべきじゃねえのかなって」
いやもちろん、年齢だけが理由じゃねえけど、と呟きながら、オーグが酒の入った錫のマグカップを呷る。
「この旅でさ、何度も死にかけて、思ったんだよ。俺、人生を半分預けるんなら、おまえみたいな相手がいい」
「オーグ……」
「ま、俺みたいな『怪物』野郎でおまえが大丈夫なら、の話だが」
ぐびりと喉を鳴らしてから肩を竦めたオーグ――本名、オーグスト・ホルムを前に、ゴブリナ――本名、サブリナ・ブッシュは、動揺のままカップを握りしめた。
オーグとゴブリナは、とあるパーティーの剣士同士だ。
それぞれ、天剣と呼ばれる大剣と、聖剣と呼ばれる細剣の扱いに優れ、魔王討伐の立役者として、この国の王子や聖女とともに戦ってきた。
どちらも千年に一人の逸材と言われるほどの技量の持ち主で、その性格は勇猛果敢にして寛容。
前向きで、聡明でもあり、さらには無欲でもあった。
魔王討伐の褒美として王子から賜爵の打診もあったというのに、「しょせんは田舎者だから」と辞退し、こうして密かに、場末の酒場で祝杯を挙げるほどだ。
これほどに素晴らしい男女なのであったが――いかんせん、彼らの容貌はひどく醜いことで知られていた。
オーグストは、鼻を潰した巨大な豚のようだったし、サブリナは地底をさまようゴブリンのようだったのだ。
『オークも逃げ出すオーグスト』に、『ゴブリンの姉サブリナ』などという由来から、それぞれオーグ、ゴブリナ、などと呼ばれている二人である。
「い、いやあ、あの、私は全然問題ない……というか、大喜びしたいけど、オーグ。それは、自暴自棄になっての選択ではないのか?」
ゴブリナは、きっぱりとした性格に見合った話し方に、珍しく躊躇いの色を滲ませる。
その手はカップから離れ、無意識に己の顔をなぞっていた。
土気色をしていて、肌荒れだらけ。
目玉がぎょろりと飛び出し、鷲鼻が目立つ――はずの、己の顔を。
「結婚相手が見つからないから、私みたいなゴブリン女で手を打とう、とでも考えているなら、ちょっと待ってほしい。それは、私にもあなたにも失礼な考えだ。あなたは腕も、性格もいい。じっくり探せば、必ず魅力をわかってくれる女性が現れるはずだ」
「あのなあ。そういうことを言ってくれるおまえだから、俺はおまえがいいんじゃないか」
精一杯真剣に告げたつもりだったが、相手は豚鼻を歪ませ、苦笑するだけだった。
「妥協で求婚したと思われているなら、心外だ。俺はさ、一生をともにする相手は、見目のつり合いなんかじゃなく、中身で決めたい。その点で、おまえは本当にいい女だと思ってるんだ。おまえだって、俺を中身で評価してくれてんじゃないかと期待してるんだが」
オーグは、姿こそ醜いが、声がいい。
いつも深みのある、低い声で話す。
今もまた、ゆったりとした口調だったが、彼の手が、緊張を表すようにそわそわとカップを撫でているのに気付き、ゴブリナはにわかに気恥ずかしくなってきた。
「そ……それは、もちろん。この旅で、オーグには何度助けられ、惚れ惚れとしたか知れない。私だって、結婚相手は中身で選びたいし、そうしたら相手には、あなたがいい。そうとも、私は、人を見た目で判断する輩には、怒りを覚えるほどなんだ」
動揺のあまり、余計なことまで口にしてしまったが、オーグは興味を惹かれたように、その腫れぼったい目をぱちぱちと瞬かせた。
「そうなのか?」
「ああ。実は私は、容姿のことで小さい頃からろくな目に遭わず、父にも『とても嫁には出せない』と嘆かれ、出会い頭に大の男に泣かれるほどでな……」
唇を歪めながら告げると、オーグが「ああ」といたわし気な相槌を打つ。
おそらく彼の理解は、真実とは反対の方向であったろうが、その誠実な声のおかげで、ゴブリナは告白を続けることができた。
「剣士への夢も、この顔のせいで危うく断たれるところだった。だから……親友のアンネリーゼ――聖女に頼んで、……実は、ちょっと、顔を変えてもらったんだ」
「顔を変えてもらった?」
「ああ。つまりその……社会に溶け込みやすいというか、その手の苦労が減るような顔に見えるよう、呪いを掛けてもらったんだ」
「ええ!?」
オーグが大きく目を見開いたのを見て、ゴブリナはさもありなんと思った。
きっと彼は、このゴブリン顔が「マシになった」顔だというのなら、元の顔はどんなにひどいのかと懸念したのだろう。
「というわけで、今あなたが見ている私の顔は、真の顔ではない。騙したようで悪かった。もし、それが嫌なら、求婚は取り下げてくれても――」
「いいや、違う。違うんだ、ゴブリナ!」
だが、辞退の言葉は、興奮したようなオーグによって遮られた。
彼は珍しく「なんてことだ!」と声を上ずらせると、思わずといったように、ゴブリナの両手を取った。
「実はな、ゴブリナ。俺もなんだ。俺も、親友のユリウス――王子に頼んで、顔が違うように見える呪いを掛けてもらっているんだ!」
「そうなのか!?」
「ああ。俺も……まあその、なんだ。顔のせいで、小さい頃から苦労してな。会う人間会う人間、俺の顔を見るや気絶するものだから、その不便を減らしたくて」
「気絶!?」
取られた腕にどぎまぎしつつも、ゴブリナは驚きに喉を鳴らした。
今でさえ豚めいた、かなりユニークな顔立ちだというのに、元は気絶するほどなのか。
「あ……悪ぃ。そんなこと言われたら、尻ごみするよな……。でも俺、ゴブリナなら、気にしないでくれるんじゃないかって、……つい、そんな一方的な期待を、さ。はは、すまん」
その、なにかを諦めたような消極的な笑みに、ゴブリナの胸がきゅんと疼いた。
本音を言えば、彼女とて年頃の女。
精悍な男に胸がときめかないかと言えば嘘になる。
もともとゴブリナは、森の奥深くで動物たちとともに育ったこともあり、狼のような鋭さを持つ、硬派な美貌がタイプであった。
だが、そんなものを吹き飛ばすくらい、彼女は、オーグのことが好きだったのだ。
顔なんてどうでもいい。
その頼れる性格と、誠実さ、圧倒的な強さと、それとは裏腹の繊細さに心惹かれた。
こんな秘密持ちのゴブリン女では手が届かないと思っていた相手が、自らこちらに近付いてきてくれたのだ。
それも、彼にとって重大に違いない秘密を差し出してまで。
彼にこれ以上、悲しい顔なんてさせたくない。
気付けば、ゴブリナはオーグの手を握り返し、こう告げていた。
「期待、してほしい。私は顔になんか左右されない。どんな顔のあなたにも動じないと、一族の誇りにかけて誓う。だから、結婚しよう」
一気に言い切ってしまってから、彼女は緊張のあまり、唇を舐めた。
「その代わり……今からあなたにだけ、私の本当の顔を見せるから、あなたも、受け入れてくれたら嬉しい」
こんな幸せなことってあるのだろうか。
オーグは、握りしめられた腕を凝視しつつ、高鳴る心臓を必死に抑え込んだ。
(ゴブリナが、俺を受け入れてくれると言った……!)
凛とこちらを見つめる穏やかな青い瞳に、彼はうっかり涙ぐみそうになった。
ああ。この目だ。
いつだって動じない、知的で、穏やかな空のような瞳。
誠実で、まっすぐな眼差しは、彼がなにより焦がれたものだった。
なにしろそれは、彼の元の顔では、まず間違いなく与えられないものだったから。
「今からあなたにだけ、私の本当の顔を見せるから、あなたも、受け入れてくれたら嬉しい」
恐る恐る、といった様子で告げたゴブリナに、オーグは首がもげるのではないかというほど強く頷いた。
「もちろんだ。少しでも動じる様子を見せたら、聖剣で俺の胸を貫いてくれていい」
「ははっ、大げさな」
真顔で告げると、冗談だと思ったのか、ゴブリナが緊張を解いたように笑う。
それが嬉しくて、オーグは意気揚々と続けた。
「いやいや、本気だとも。いいか、俺の一族はその昔、番は見目でなくて、匂いで判断したそうだ。外見で左右されるようなら、そいつは鼻が悪いってことで、一族の風上にも置けない未熟者ってことだな」
「オーグには、ゴリ……獣人の血も混ざっていたのか」
ゴブリナが驚いたように目を見開く。
咄嗟に言葉を飲み込んだようだったが、「ゴリラかな?」とでも当たりを付けたのが手に取るようにわかって、オーグは笑い出しそうになってしまった。
実際には、彼女の予想よりかはもう少し、優美な種族なのだが。
「道理で筋肉が厚いし、動きも俊敏なわけだな。うん、いいことだと思う」
ちょっと戸惑った後、「豚でもゴリラでもどんとこい」と覚悟を決めた様子なのが、愛おしい。
彼女なら、自分がこの変装の呪いを解いても、きっと態度を変えないだろうと、ますます確信が持てた。
(もちろん、俺も態度を変えるつもりはないが)
オーグは目を細めて、向かいの女を見やる。
肌色が悪く、目つきも悪い彼女のことを。
本音を言えば、彼とて年頃の男。
繊細な美貌に憧れないと言えば、嘘になる。
特に彼の一族は、小さくて庇護欲をくすぐる女にはめっぽう弱い性質があった。
それでも、そんな習性を吹き飛ばすほど、オーグはゴブリナのことが好きなのだ。
気さくで、豪放磊落で、けれど一本筋が通っていて心優しい。
常にひたむきな彼女のことが、オーグは出会ったときから好きだった。
「ゴブリナ。おまえが本当の姿を見せてくれるなら、俺だって見せなきゃ、そりゃ不公平だ。俺も今から呪いを解くから――どうか、動じないで受け入れてほしい」
「もちろん。動じるようなら、その天剣で叩き斬ってくれてかまわない」
まるで悪戯を仕掛けるような愉快な気分になって告げると、相手は居住まいを正して頷く。
ああ。
幸せだ。
「マシにして」ゴブリン顔だという彼女。
元の顔はもっと斬新なのだろうが、どんな顔だって、動じずに受け入れられる自信がある。
相手もまた、悪戯っぽい顔でこちらを見つめていた。
まるで、「どんな醜い顔でも、絶対に愛おしさを込めて褒めまくってやろう」とでも企むような。
「解呪」
「解呪」
こうして、二人は同時に指を鳴らし、変身の呪いを解いたのだが――。
「…………はい?」
オーグは、無意識下に世界線をまたいでしまったのだろうかと、咄嗟に首を傾げてしまった。
だって、おかしい。
ゴブリナが座っているべき場所に、金髪碧眼、ミルクのように甘そうで柔らかな肌を持つ、とんがり耳の、絶世の美女が小ぢんまりと腰かけているのだから。
「…………はい?」
ゴブリナもまた、無意識下に時空を移動してしまったかと、真ん丸に目を見開いた。
だって、おかしい。
オーグの座っているべき場所に、たてがみのような黒髪と、狼のように鋭い灰色の瞳が印象的な、凄まじい色男が腰を下ろしているのだから。
「………………………」
二人は、酒場の喧騒が遠ざかるほどに、そのまましばらく見つめ合った。
(えっなにこれどういうこと目の前に妖精がいるんだがいや妖精って言うかまさかのエルフなになにどういうことなんだこの白い肌大きな潤んだ目お花みたいなほっぺ超可愛いんだが超小さいんだがなんかいい匂いしてきたんだがどうyfぽうsjしdじゃおうでぃお)
(待ってどういうことだどうして目の前に夢が具現化したような狼系イケメンが舞い降りてもしやこれが白昼夢なの走馬灯なのか私が積んだ徳に対する最後の報いなのかありがとうありがとうございます神様でも待ってまだ死にたくないっていうかこれって現実なsjどいあうえおふぃsdじうfjど)
そしてその実、脳内では爆音がするほどの速さで、思考をぐるぐると踊らせていた。
どっどっどっどっどっ!!
心臓がありえない轟音を立てているのを、さりげなく胸に手を当てることで、ごまかす。
――少しでも動じる様子を見せたら、聖剣で俺の胸を貫いてくれていい。
――動じるようなら、その天剣で叩き斬ってくれてかまわない。
先ほど言い放った己の言葉が、蘇る。
(無理!)
二人は胸に手を当てたまま、かっと両目を見開いた。
だが、ここで死ぬわけにはいかない。
男たるもの、女たるもの、一度立てた誓いを、違えるわけにはいかないのだ――!
同時にそっと胸から手を外した二人は、やはり同時に見つめ合い、ぴったり同じタイミングで、へらりと、ぎこちない笑みを浮かべた。
「あー……俺、ちょっと、トイレ行って来るわ」
「あ……ならば私が、会計を済ませておこう」
「馬鹿言うな。俺がももう払っておいたよ。奥さん」
「頼りになるるなあ、旦那様」
ものすごく、ものすごく呼吸を意識しながら、互いから距離を取る。
さりげなく噛んでしまったが、相手が気付かないことを祈るばかりだ。
「あ……感想、言いそびれちまったが、うん。全然、こう、普通に、かわいいじゃねえか」
「あ、ありがとう。あなたも、なんというかこう、普通に、かっこいいと思うな」
振り返りざま告げてみたが、視線がまったく合わせられないので、相手がどんな顔をしているかわからない。
それはオーグもゴブリナも同様だった。
魔獣から付け狙われているとき以上に真剣な、全集中の呼吸で、そろりそろりとその場を離れる。
まったく、宣言通り声色一つ変えない相手は、さすがだと感じ入った。
――バタン。
そうして、ドアと壁一枚を隔てた、あちら側とこちら側で。
「うおおおおおおおおおおおおおおおお!」
「うわあああああああああああああああ!」
二人は両手を髪に突っ込み、ぴったり同じタイミングで絶叫した。
――つまり、どちゃくそタイプど真ん中であった。
第4部分まで投稿予約済み、以降は不定期更新となります。
第1部分と第2部分(第1話)は本日、第3部分は明日8時、第4部分は明日20時に投稿予定です。
どうぞよろしくお願いいたします。