08:旅商人
レーキは自宅の入口から出ると生温い風が体に当たり、起きたばかりだというのにレーキの顔にはじわりと汗がにじむ。
今日は川にでも行って涼んでくるかな、とレーキは予定を考えながら畑への道を進もうとしたとき。
「レーキさーん」
レーキが呼ばれた方を見るとあぜ道を走る小さな影が見える。
遠くのほうから中々のスピードが出ているというのに、気品を損なわせない器用な走り方で迫る人影。
ドレスの裾を手で掴みながらも決して優雅さは損なわれない走り、土埃も立っておらず足音もドタドタという音はしない。
笑顔を振りまきながら彼女はレーキに手を振る、レーキが手を振り返すと彼女はスピードを増々上げた。
ここでようやくレーキの耳にも足音が聞こえ始めた、距離が遠かったのかそれとも彼女の走り方が特殊なのか、どちらにしても走っているとは思えないほど足音は静かだった。
そしてレーキの目の前でピタリと止まった彼女は息も切れておらず、先ほどまで風のように走っていたとは誰も気が付かないだろう。
汗もかいておらず、服装も乱れていない、最初こそレーキは彼女の身体能力に舌を巻いたが、流石に一週間も一緒にいれば彼も彼女に慣れ、気が付けば「そういうものだ」と納得できるようになった。
しかし、よくよく考えれば彼女のような動きをする人物が最も身近にいることに気が付いたのもレーキが納得した理由の一つだろう。
リネンにレーキがどうなっているのか問うてみると、魔法で…とレーキの苦手分野の言葉が出て来て、真剣に聞いていたのにも関わらず全然理解が出来なかった。
それもそうだろう、そもそも魔法というものも科学と同じで基本がわかっていなければ理解することは難しく、ミドリでさえ魔法を知らないレーキに対しかなり言葉を選びながら説明している、そんなことをリネンが説明できるかと言えば難しく要領を得なかった。
「…どうかいたしました?」
いつのまにやら考えこんでいたレーキにリネンは可愛らしい表情で首をかしげる。
「あぁ、いえ…リネン様、そんなに走られますと転んでしまいますよ」
先ほどコチラまで走ってきたリネンにレーキはいつものように注意をした。
リネンと仲良くなってから、彼女はレーキの姿を見るたびに今回のように走ってきて、それをレーキは注意するというのが恒例となっていた。
しかし、レーキの言葉に決まって彼女は笑って答える。
「大丈夫です、転んでもケガしないので」
とは言うが、そういう問題ではなく、貴族の一部は武闘派貴族、つまりは軍属などで武勇で成り上がったタイプの貴族を野蛮人と呼んでいることは市井の誰でも…いや村人のレーキでも知っていることだった。
そのことから貴族のご息女がこのように走って…などと変な噂とか流されたらどうするのだろうとレーキは思っての注意なのだが。
「…まあ元気があってよろしいのかもしれませんね」
よくよく考えれば、レーキがリネンを注意している姿をケイトは笑って見ている、だがケイト本人が彼女の素行について注意しているところをレーキは見たことがない。
もしかしたらだが、ケイト自身が武闘派の中でも上位に君臨する方のためリネンがお転婆だろうが、それならばそれで結構と考えている節はありそうだな、とレーキは姿が見えないケイトに対してため息をつくとリネンへと視線を戻す。
「へへへ」
リネンはレーキに注意されたというのにも関わらず、彼女は表情を綻ばせながら頬を赤くそめつつ笑っている。
その顔は年相応の笑顔であり可愛らしく、レーキもその顔を見るたびに毒気を抜かれ、これ以上注意する気も起きずつられて笑顔になる。
「それで、朝早くから何かございましたか?」
ここはレーキの家から出てすぐの場所であり、なおかつレーキの家は村はずれにある。
つまりは、レーキに用事でもなければここまでリネンが来ることは無いだろう、普通に遊びに来たという線もあるが…それにしては時間が少し早いだろう。
「村に旅商人が来てるから村長さんがレーキさんを呼んできてほしいと」
やはり、理由があったようで、レーキはそんな時期かと畑の方を見渡す、畑には陽の光が照りつき季節の植物が顔を見せている。
「早くいきましょう、私も旅商人さんを見るのは初めてですの」
リネンはそういうとレーキの手をひっぱる。
「はい、そうですね、急ぎましょうか」
リネンはレーキの返答に元気よく頷くと、レーキの手を引き走り出す。
先ほどのスピードはどこへ行ったのやら、リネンはレーキに合わせたスピードで駆けた、そのおかげレーキの息が切れることもなかったし足がもつれるなんてことも無かった。
間もなく見えてきた村の入口にレーキが目を向けると、馬車から降りる女性の姿が見えた。
女性の姿は動きやすそうな服装で、口元にはマフラーをし首からゴーグルをぶら下げている。
彼女には見覚えがあり、レーキはこれで会うのは何度目になるだろうか、彼女は彼が小さいころから村に顔を出す旅商人であった。
「おはようございます」
レーキは彼女に聞こえるように少し声を張ると、彼女もレーキに気が付いたようで手を振ってくる。
「レーキちゃん、おはよう」
馬車から降りた女性は近くまで来たレーキの頭をなでる。
元々細い目を笑みにより益々細める、手つきは優しくレーキを可愛がっているのがよくわかる。
「いやぁ、もう撫でられるような歳じゃありませんよ」
笑いながらレーキは言うが、別に嫌がっているわけではなく、ただ照れ臭く気恥しいだけだ。
そんなレーキを彼女は面白がって頭をこねくり回すと満足したのか頭から手を離した。
「あっははは、ごめんね赤ん坊の時から知っていると、どうしてもいつまでも子供って思っちゃってさ」
「どうやら私にはたくさんの母がいるようで、自慢話の一つに出来そうですね」
嫌味などではなくレーキ本心からの言葉だ、村には子供が少なく、5年に2~3人ほどのペースで王都に行った年頃の女性が赤ん坊を抱いて村に戻って来る。
それでは村人の数が年々減少する一方では?とレーキは最初、疑問に思ったが、それに対しては村長が説明してくれた。
この村は立地も良く王都に馬で一週間もせず往復できるため移住の人々が多く来る。
多いと言っても年に一家族ほどだが、それでも圧倒的に他の村よりも人員の確保は容易くできている。
だがしかし、ミドリ曰く農業士として村の事情を聴いて周る中、やはり金銭的な理由だけではなく村人が自然に少なっていく過疎村も最近は問題になっているらしい。
村が少なくなる分、当然ながらその領地を受け持つ貴族が徴収できる税も減る、であればと強欲な貴族は根本的な解決ではなく残った村に減った村の分を上乗せし要求する、そのため村は更に減っていく。
終わらない負のループだとミドリは肩を落としていた。
「はっはーん、なんかまた難しいこと考えてるな」
ふと顔を上げると、レーキの目と鼻の先に旅商人である彼女の顔があった。
狐のような雰囲気を帯びた女性、人によっては冷たい印象を受けるかもしれない、だがレーキにとっては村の家族の次に見慣れた顔であり、彼女の様々な優しさを知っているため笑顔で彼女を受け入れる。
細い眼を少し開くと「さっそく商品見てみるかい」と言いレーキの頭を再度撫でる。
彼女も彼の異常性を知っている、だが彼女は彼に問わず、何も言わずに肯定してくれる。
…本当に俺は愛されている、村の人々への感謝の念をより一層深くするレーキであった。
たびしょうにんがあらわれた