フローリングで朝食を 後編
「なぁに、桜。こっちにかけてくるなんて珍しいじゃない」
「さっきと用件が違うからな。地球外知的生命体オタクの姉貴に聞きたいことがある」
「ふぅん? この杏様に任せなさい!」
そう言って電話口の向こうで鼻をならしたのは、地球外知的生命体研究の第一人者だ。まだ詳細を話してないのに自信満々だな。簡潔に不思議な少女――今は手づかみでステーキを食べている――のことを報告する。
いつも騒がしい姉が、一言もしゃべらない。珍しいな。居心地が悪くなる。ラジオは交通事故のニュースを慌ただしく伝えている。大型犬サイズの蛙が飛び出してきたのが事故の原因らしい。なにかの見間違いだろうな。
「……あたしも涙が固形になるなんて聞いたことがないわね」
「つまり未知の存在ってことか。……ふむ」
俺の対応次第では最悪の場合、人類を敵視しかねないということか。幼いという見た目で判断してはならない。どれだけ未開の地に生きているような格好であったとしても、それは外見だけだ。その証拠に彼女はこの部屋に突如として現れている。言葉が通じないのが最大のネックだ。
「歴史的快挙だわ!」
「――はぁ?」
「いきなり現れたうえに言葉も通じないだなんてロマンチックよね! ぜひとも友好関係を結びましょう!」
「うるさいぞバカ姉貴。なんでそんなに前向きなんだよ」
「アンタが慎重すぎるのよ。もし仲良くなれれば、人類史上に偉大な一ページが燦然と輝くのよ?」
「その人類史上では、今まで敵対関係しか築けなかったんだぞ」
「和食でも振る舞えば仲良くなれるわよぉ」
「少なくともりんごはお気に召したようだな。泣きながら食べてる」
「つかみはバッチリね!」
「そうか?」
このまま姉のペースにのせられては本題に入れない。地球外知的生命体、それも未確認の種族となれば俺の手に余る。指標が欲しい。一人はしゃいでいた姉の声が、そのトーンを下げる。
「今からそっちに向かうわ。二人で外を歩くのは目立ちすぎるでしょう」
「ああ。そうしてくれると助かる。俺も意思疎通を図ってみるよ」
「ええ。桜……気をつけてね」
「大丈夫だって。それじゃあ、またあとで」
――とは言ったものの、どうしたものか。いつの間にか少女は朝食をきれいに食べ終わっていた。再びマントを羽織っている。汚れた手をマントでふいたぞ。……涙をぬぐって、鼻もかんだな。衛生面が気になるが今は我慢だ。あれが彼女にとって普通だという可能性は高い。文化や習慣を知りもせず否定するのは愚策だ。親密になりたいなら、なおさらだ。
それにしても。米とサラダがあったとはいえ、水も飲まずにステーキを食べつくすとは。早急に飲み物を提供すべきだ。
「Dankon. Ĝi estis tre bongusta」
「……アレルギーがあったら困る。ここは無難に水でいいか」
「Mi demandas min, ĉu ĉiuj estas bone. Hey Vi ne scias?」
表情がよく変わる娘だな。……悲しそうな表情になった理由はわからないが、やはり朝からステーキはきつかったのかもしれない。……俺も食べたかったなぁ。
「水をどうぞ。美味しいですよ」
「……Dankon,afabla persono.Vi povas uzi la magion de akvumado」
彼女が水を飲むのに合わせて、俺も麦茶をあおる。意思疎通か。仲良くする意思がある、という意思表明は大切だ。ここはやはり自己紹介からだろう。彼女と目線を合わせ、まずは自分を指さす。
「私は、鍔屋桜、です。私は、鍔屋桜、です」
「Kio?」
「私は、鍔屋桜、です。私は、鍔屋桜、です」
「…………Kio? hatubaya?」
ああ、やはりこの娘は外見より成熟している。こちらの意図が伝わりつつあるな。相手もあえて復唱してくれているようだ。おそらくKioというのは「なに」に相当する言葉だろう。
「私、は、桜、です」
「……Kio?」
「桜」
少女がなぞなぞを解いたように明るい顔をする。笑うとさらに可愛いな。
「Vi Sakura」
「はい。桜です」
「Vi estas Sakura」
飲みこみが早い。俺は彼女を指さす。
「Vi Kio?」
少女は困ったように微笑んだ。ああこれ間違えてる。
「Vi Sakura.Vi estas Sakura.Via nomo Sakura」
あー……今たぶんめちゃくちゃ指導されてる。スパルタすぎじゃないかな。考えるな感じろ。俺はもう一度自分を指さした。
「Vi Sakura.私は桜」
「Mi」
「Mi Sakura.私は桜」
「Do.Via nomo Sakura」
ふむ。Viが二人称で、Miは一人称らしい。ということはさっきの質問、特に間違えてないはずだが……。思考を整理するため、天井をあおぐ。すると窓の方で物音がした。
「アマガエル? いくらなんでも大きすぎるだろう」
「Ĉu vi savas? Estis bone!」
少女が嬉しそうな声を出す。
窓に貼りついた蛙――全長は小学生ほどの大きさ――と知り合いなのだろうか。飛び跳ねて歓声をあげる姿は微笑ましい。それに対して蛙星人君の瞳からは感情が読み取れない。少女と同じような貫頭衣を着用しているな。もっとも彼の服は装飾が多いし、ほつれてもいない。
「身分差だろうか。それとも男女差か。というか男性と女性で見た目の差がすごいな」
彼が口を動かす。そして手を振り上げた。
周囲に騒音とガラス片がまきちらされる。
「大丈夫か!」
「Ĉu ne estas vundo?」
「君たち知り合いじゃなかったのか?」
少女を抱きかかえ、後ろへ下がる。彼女は素足だ。俺も靴下ではあるが、多少マシだろう。蛙星人君は破片を物ともせず、二足歩行で近づいてくる。お前は素足のくせに頑丈だな。とても興奮しているらしく、大声で騒いでいる。言葉を聞き取れない。
「■■ ■■■ ■! ■■■■!」
「Nu, faru ĉi tion!」
「■■■■■! ■■!」
「Maltenu vian voĉon. Timiga」
二人の会話が成り立っていると信じたい。彼女の様子から察するに、困惑しているようだ。どうやら想定外の事態らしい。蛙星人君がほほを膨らませる。彼の上半身に力がみなぎる。右腕に焼けるような痛みが走った。どうやら舌を伸ばして攻撃したらしい。唾液にぬれた腕が痛くてかゆい。漆かよ。アマガエルの体表には毒があるから、あながち間違っていないのかもしれないが。
「ずいぶん過激な挨拶だな。お腹が空いているなら食事を振る舞おうか?」
「■■■ ■!」
「Bonvolu trankviliĝi!」
「■■!」
「――おっと。激しいハグだな」
助走もなしに飛びかかってくるとはな。蛙ベースなだけあって跳躍力がすごい。床が衝撃で踏み抜かれている。蛙星人君は、勢い余って天井にへばりついていた。重力に逆らって器用に方向転換している。
ベルトにくくりつけている携帯発煙筒をひとつ、床へ投げつける。白い煙が瞬時に部屋に充満した。少女を抱えなおす。蛙星人君がなにやらゲコゲコ喚いているな。よほど怒っているようだ。靴の中は……よし、破片は混入していないな。
「食べたばかりできついでしょうが、少し我慢してくださいね」
「Kio? Kien vi iras?」
「現時点で話し合いは不可能です。逃げますよ」
触れるだけで玄関の鍵を開閉できる時代でよかった。蛙星人君が侵入してきた方向とは逆へ走る。まだ朝だというのにアスファルトは熱した鉄板のように熱い。この娘は絶対に歩かせられないな。
今は何月だったか。基本的にひきこもって小説なんか書いていると季節に置いていかれる。肺が熱風によって急激に干からびていく。ああ、くそ。トレーニングを怠るんじゃなかった。
「ママー! 変な人たちがいるー!」
「あらまあ。ドラマの撮影かしらね」
「なにあれウケる。ネットに載せちゃお」
――走って。
好奇の視線。
そのド真ん中をひたすらに駆け抜ける。
――走って。
人の声もそうだが蛙の鳴き声がうるさい。
なんだ梅雨か今は。
――走る。
人目と蛙星人君から逃れる目的もかねて、狭い裏路地をジグザグに進む。少し日陰で休もう。毒が汗に反応したのか、腕の痛みとかゆみは当初より五割増しほど悪化している。
踏ん張れ俺。
「姉貴に連絡……スマホ忘れてきた! 俺の馬鹿!」
「Ĉu vi estas bone?」
「……なんでもありません。大丈夫ですよ。この騒動が終わったらアイスを食べましょうね」
蛙の鳴き声で雑音が遮断される。夏だな。もう一歩も歩けない。足が痛い。少女が頭を撫でて労ってくれる。まったく、どっちが保護者なんだか。地べたに座りこんで息を整える。火照った身体が冷えてゆく。ああ……ビールが飲みたい。
「魔力濃度が濃すぎると魔法が暴発しかねないからなぁ。隠れながら研究所まで行くしかない」
「Grava! Hey, rigardu tion!」
「うん? 大丈夫ですよ、問題ありません。ここから大通りをひとつふたつ横断すれば――」
「sakura! Estu malantauxe!」
彼女が慌てた様子で空を見ろと指し示す。つられて見上げた青空に不揃いな影がいくつも生えてきた。屋根の上にも建物の影にも、蛙星人君と同じ顔の生き物がいる。
先程の蛙星人君が、怒りに燃えた瞳で俺たちを睨みつけた。




