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フローリングで朝食を 前編

「おはようございます鍔屋つばやです。原稿届きましたか。はい。よろしくお願いします。それでは失礼いたします」


 俺ははやる気持ちをおさえ、スマホをテーブルに置く。今回も無事に脱稿できた。早くこの喜びをかみしめよう。具体的には今からステーキを焼く。晴れの日の肉はシンプルに塩だけというのが俺なりのこだわりだ。肉汁を白米にかければ三杯は食べれる。

 ああ、この匂いがたまらない。肉を焼いている間にサラダも用意しておかなければ。キャベツと玉ねぎ、プチトマトにコーンを皿へ盛り付ける。りんごも忘れてはいけない。このりんごがサラダのいいアクセントになる。ドレッシングは食べる直前にかけるとしよう。


「続いて次のニュースです。本日は全国で晴れとなるでしょう。魔力が濃い一日となる見こみです。魔法の暴発に注意してください」


 ラジオから景気のいい音楽が流れてくる。魔力濃度は気圧や黄砂みたいなものだ。誰にも制御できない。とはいえ、サラリーマンを始めとする企業戦士のみなさんは大変だな。まあガスが充満した室内で火をつける人がいないように、こんな日に魔法を使うような人が――。

 けたたましい警報が鳴り響く。


「魔力濃度が危険域に達しています。魔法をただちにキャンセルしてください。繰り返します。魔力濃度が危険域に達していままままままままままァーー……」


 警報機が非常事態を告げた。壊れたように、というか壊れたなコレは。どことなく泣き声のようにも聞こえる。感情がこもってないぶん薄気味悪いものがあるな。


「困ったな、魔法なんて使ってないぞ。全部電気かガスだ」


 窓を開けて外を確認する。しかし同じ状況の者はいないようだ。魔力のたまり場にでもなったのだろうか。仕事道具をかばんにつめこむ。朝食は置いて行くしかない。さらばステーキ。ああでもこれをネタにひとつ書けるかもしれない。なにごともいい方向に考えないとな。


「そうだ、サラダだけでも冷蔵庫に入れておこう」


 こういうときのひとりごとには精神を落ち着かせる作用があるのだろうか。もともと脳内でナレーションするのが好きなだけあって、一歩引いて物事を見れている。例えば部屋にピンクの煙が充満しつつあるとかな。


「ナレーションしてる場合か!」


 成人男性独身の一人ツッコミが虚しくかき消される。息を止めて突っ切るしかない。玄関へ踵を返した俺の視界が白く塗りつぶされた。目を閉じても光の洪水が溢れている。耳鳴りがやかましい。平衡感覚がおかしくなったのか、立っているのがつらい。たまらずしゃがみこんだ俺の手になにかが触れた。

 慌てて手をひっこめる。心拍数が跳ね上がった。なにかゴワゴワした感触があった。苦しそうにせきこむ声が聞こえる。俺以外は誰もいないはずの、この部屋に。目を開けるが、煙の影響なのか眼鏡がくもってなにも見えない。足音があちこち移動している。向こうも俺を認識していないのかもしれない。


「どなたか、いらっしゃるのですか。煙が晴れるまで動かないほうがいいですよ」


 意を決して声をかける。足音が止まった。強盗という可能性もあるが、なにせこちらは目眩がひどい。逃げられないのなら、気遣っておくに限る。金銭目的だとしても、民家侵入用の魔法が実用化したなんて聞いたこともない。つらつら考えているうちに、ファンタジーな色の煙が薄れてゆく。煙が完全に排出されクリアになった室内にいたのは、小柄な少女だった。

 床に座りこんだ俺より高いが、それでも小さい。小学生だろうか。いや落ち着け鍔屋。普通の小学生はあんな毛皮のマントを羽織っていない。俺は怖がらせないよう、努めて明るい声を出した。


「おはようございます。私は鍔屋と申します。名前は桜。あなたのお名前をお伺いしても?」


 少女はしゃべらない。ときおり彼女の金眼と視線が合うが、すぐにそらされてしまう。恥ずかしがり屋なのだろう。いや俺の三白眼が怖いだけかもしれない。生まれつきだから怒っているわけじゃないんだけどな。まあ迷子にせよ不法侵入にせよ、相手の様子を見るしかない。

 いすを勧めるが、もじもじしているだけだ。ボロボロのマントと相まって、捨てられた子犬のような雰囲気を醸し出している。ラジオから音楽が流れていてよかった。重苦しい沈黙に耐えられた自信がない。こういうときはフード理論に限る。


「今から食事にするのですが、お肉は好きですか?」


 よし。多少ふらつくが、立てるな。焼きかけの肉は……俺がなんともないから、つまり大丈夫なのだろう。調理を再開するとしよう。美味しそうな香りを胸いっぱいに吸いこむ。一人で浮かれていたが、朝からステーキは子どもに酷だろうか。遠慮がちな足音が少し離れたところで止まる。


「もう少しで焼きあがりますからね」


 怖がらせないよう、ゆっくり振り返る。彼女は目をキラキラさせていた。肉は好きらしい。俺の心配は杞憂のようだな。改めて食事の用意を終え、念願のメインディッシュが完成した。

――さあ、朝食を頂こう。今回用意したステーキ肉はいい品質の物だ。

 旨味百パーセントの肉汁も残らずステーキに回しかける。一滴残らずだ。絶対美味しいこんなの……。切なそうに抗議してくる腹の虫は無視しておこう。俺から見て対面にステーキを置き、炊きたての白米をよそう。ここに肉汁をかけてかきこんだら今日は素晴らしい一日になること間違いなし、そんな白米をただ見送る。美味しく食べられるんだぞ。


「おまたせしましした。食事にしましょう、か……?」


 少女の姿がない。正確にいうと立っていない。なぜだか床に座りこんでいる。フローリングが冷たかったのか、羽織っていた毛皮のマントを敷物にしていた。よかったマントの下にも服を着ていたらしい。パッと見マントだけだったから、内心どうしようかと思っていた。……マントだけではなく服もボロボロなのか。破けたのを繕いもしていない。俗に言う虐待児童の可能性があるな。


「ご飯、食べれますか? あとからにしますか?」


 しゃがみこみ、少女と目線を合わせる。服は現代ではめったに見なくなった貫頭衣だ。すりきれ、ほつれ、破れた箇所が繕われた形跡もない。少し臭うのは毛皮からだと信じたいものだ。しゃべらないのではなく、しゃべれないのかもしれない。例えば虐待されて鼓膜が破れているとか。……ジェスチャーで通じるだろうか。

 俺はもう一つご飯をよそい、再びしゃがみこんだ。手にした茶碗を少女の目線に掲げる。


「これは私のご飯。それはあなたのご飯」


 ひとつを自分の方へ引き寄せる。片割れは少女へと差し出した。俺とご飯の間で視線をさまよわせていた彼女に同じ言葉をかける。胸につくほど茶碗を差し出すと、空腹に負けたのか、やっと受け取ってくれた。


「Ĉu vi rezignas……?」


 アッこれ母国語が違うやつだ。しゃべれないんじゃなくて言葉がわからなかったんだな。大丈夫だ俺もわからない。大丈夫じゃない。言葉はわからないが、幸い最適なコミュニケーション・ツールは用意されている。共に釜の飯を食らえば人類みな兄弟だ。考えるな感じろ、美味しいご飯は最強だ。


「食事にしましょう」

「Tre varma.Sed ĝi estas bela odoro」


 だめだサッパリ理解できない。しかし嬉しそうだから、好意的にとらえてくれたようだ。箸は使いにくいだろうとスプーンを用意する。彼女はスプーンを興味深そうに眺めている。まさかスプーンもない地域から来たのか。負けるな俺。


「Bela」

「食事にしましょう。ほら、こうやって食べるんですよ」


 すくって食べるジェスチャーを何度かしてから、もうひとつのスプーンを手渡した。スプーンの柄を握りしめた彼女の動作はぎこちない。……使ったことなさそうだな。和食じゃなくて洋食にすればよかったかもしれない。いやこんな事態になるなんて予測できないだろう。おそらく人生初だろう米を食べた彼女が、興奮したように言葉を紡ぐ。


「Varma manĝo estas bongusta!」

「ほら、床は冷たいでしょう。テーブルに……」

「Vi ne povas manĝi ion, kio ne estas putra!」

「…………たまにはお家ピクニックでもしましょうか」

「Kvankam mi ne povas kompreni vortojn, dankon pro esti afabla」


 よほど空腹だったのだろう。彼女は泣き出してしまった。わかる。死ぬんじゃないかってくらい腹が減ってると、最初の一口が泣くほど美味しいんだよな。しゃくり上げる少女が流す涙が、硬い音をたてて床を転がる。

 それはどこからどう見ても――。


「……石だって? 石の涙を流すなんて、まさかそんな」


 彼女は未だに泣き続けている。涙は排出されるそばから小粒の黒い石へと変わってゆく。……石にしては光沢があるな。宝石だろうか。黒いといったら黒真珠しか知らないが、あれは光沢があったはずだ。この娘は地球外知的生命体と見て間違いない。まあそれは後回しでいいだろう。


「大丈夫ですか。落ち着いたら、また食事を再開しましょうね」

「Estis bone forkuri. Mi bedaŭras. Dankon」


 彼女は泣きながらステーキを食べている。具合が悪いわけではなさそうだ。嗚咽と宝石が奏でる演奏はしばらく止まりそうにない。俺は今後のことを相談するため、地球外知的生命体の専門家へと電話をかけた。

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