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七時十八分零秒

作者: 三横

 当たり前であるが、日常というのは世界中すべてが止まらぬ限り動き続けるものだ。現代では減ったカチコチと音を立てる時計にしろ、液晶画面でニュースを淡々と読むアナウンサーも、他人事だと明らかに退屈そうなコメンテーターも、規則的なリズムでもって動き続ける。

 私が止まれと言わない限りだ。

 私が止まれと言えば、瞬く間に日常は止まる。今、死を迎えようと家族に涙で笑ったその死さえも、今やっと飯にと口を開いたものさえも、今落ちようとしていた水滴でさえも止まるのだ。なんて気持ちの良いことだろうか!

 つまり、私はこの瞬間世界で唯一の生物なのだ。ここでの生物というのは、自らの心で動くことのできるものという意味である。なぜなら当たり前に時を刻むものでさえ全て止まっているのだ。私が今いるこの瞬間は、私がパチと指を鳴らすまで七時十八分のままなのである。息をし朝起き忙しく仕事にと走っていたサラリーマンも呼吸を止め血も止まり生きていないようなのだ。もちろん彼らは死んでおらず、いわば生死の境にあるのだが、私の意思でしか今は動かないのだ。ならば瞬間のみではあるが生物ではないだろう。

 私が止めたのは目の前の馬鹿な男のためである。酔ってふらりと歩き、人に当たっては怒鳴るその男があまりにも見苦しいので、嫌な目にあわせてやろうとしたのだ。やり方に潜む悪に自覚はあるが、弱い身であった私にはこれしかなかったということだ。なに、まだ夏であるから少しの水くらいすぐ渇くだろうし、少し頭を冷やしてもらおう。それから人の多い所には迷惑であるし、路地裏にでも案内してやろう。ああ、やはり人は重くて運びにくい、疲れてしまうではないか。街角の池の水を少し借りて、服が濡れるのはまだ可哀想だから顔と頭だけ。これで完了だ、時を止める前に誰かが見ていれば居たはずの人間が消えた怪奇現象ができあがってしまうが、まさか人為的なものだとは思うまい。

 さて、ついでにまだなにかあっただろうか。あ、落ちかけのリンゴ。紙袋を抱えた婦人が、その手を離すこともできずにリンゴを見ている。折角なので拾って元の紙袋に入れておこう。焦ってバランスを崩してしまってはいけないので、婦人の姿勢もそっと正してみた。それから他にはと見渡すと、資料か何かが風に乗ってしまった男もいたので、ジャンプをしてまた戻しておいた。もちろん彼の手を乗せてもう飛ばないようにして、視線もそこに戻しておいた。予防でさえも簡単なのである。

 そうだ、傘を忘れたのだ。雨が降るとニュースが言ったのに外に出てから思い出したうえに、今日はいつもより時間がなかった。この状態なら簡単に取りに行けるではないか。便利な力を忘れるほど焦ってしまうなど、情けないことである。家からここまで十五分程度の場所だから急ぐことも当たり前だが、そもそも止めてしまえば一秒もなかったではないか!なんだか損をした気分になってしまった。

 私はこの力をただ便利としか見ていない。それ以外の視点など別に必要ないし、深く考えようにも馬鹿に感じたからである。これでもし世界の均衡とやらが崩れたところで、私を罪と言える人などどこにいようか。誰かが罪と言わない限り、私はこれを罪と捉えることは断じて無いだろう。

 そろそろ無音無臭の世界にも飽きたので、指をパチと鳴らしてみせる。そうして何食わぬ顔で七時二十分の電車に乗って、皆がいう日常に戻るのだ。これが私の日常とやらである。

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