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おいしい記憶

作者: 幸田 玲

 おいしい記憶といえば、遠足のお弁当に入っていたおにぎりを思い出す。

 小学校の学校行事でハイキングコースを歩き、昼食のときに、お弁当のおにぎりを同級生とほおばった思い出を忘れることはできない。

 母は手のひらに塩を摺込み、その手で白いごはんを握り、味付けのりをつけた三角おにぎりを作ってくれた。

 ほんのり甘味のあるごはんの味と塩加減が絶妙で、お手製のおにぎりは、とても美味しかったことを憶えている。

 おかずの定番は、だし汁に、少しの醤油を注いで砂糖を多めに入れて作る母の特製の卵焼き。母が好んで作る卵焼きは、ふっくらとしていて、柔らかかった。

 そして、プチトマトの野菜類とフライパンで焼いたウインナーソーセージ、じゃこ天のかまぼこなどが、弁当のおかずとして添えられていた。

 母は愛媛県宇和島地方の出身なので、夕食にもじゃこ天がおかずとして並ぶことが多くあった。

 至ってシンプルなおにぎりだったけれど、特に母自慢の卵焼きとの相性が良かったことは憶えている。

 遠足当日の早朝、台所で母に寄り添いながら料理の手捌きをみつめていたことを思い出すと切なくなる。

 母は五十歳で他界した。

 四十七歳で乳癌を患い、医師に発見された時は手遅れだった。

「手術をしても余命は三年」

 担当医師から家族だけに告知され、母の耳には入らなかった。

 母の余命の間、何をしてあげればよいのか悩んだ。

 特別なことをすれば母が病気の深刻さに気づくのではないかと思い、今までと変わりなく応対することにした。

 通院で抗がん剤治療、放射線療法などを受けることになり、母の闘病生活は始まった。

 母の白い肌は黒ずんでいき、片方の乳房を切除したためにバランスを失い、肩の凝りを訴えることが多くなった。そして癌の再発は起こり、入院することになった。

 病院で腸捻転を起こし、腹痛に苦しむ母を前にして、家族に癒す力はなかった。私は白い病室のベッドに横たわっている母の手を握った。母の手のひらは温かくて厚みがあった。

 母は苦悶の色を表情に滲ませると、仰け反るような動作をして握り締めていた私の手を振り払い、呻き声を上げた。

 数時間後、母は帰らぬ人となった。

 これからは、母が握るおにぎりを食べることはできない。母の手料理を食べることもできない。もう、母と逢うことはできない。でも、おにぎりの味は忘れないから。

 お母ちゃん、ありがとう。




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