革命は静かに起こる
「それでは、この法案に賛成の方はご起立願います。」
議長の声が、厳粛な雰囲気を切り裂くように響き渡る。その声に誘われ、ぞろぞろと賛成派の議員達が立ち上がる。
議長は少し高い位置から、起立している議員を見渡し、声を上げた。
「それでは、この法案は可決とします。来月から施行するものとします。それでは、閉会。」
閉会の言葉を聞くとすぐに議員たちは、各々伸びをしたり、欠伸をしたりと、一仕事終えリラックスした様子で議会を後にした。
サダキヨは惰眠を貪っていた。一体どれくらいの時間を惰眠に費やしてきただろうか。1年を越えてからは覚えていないが、彼にはちっとも惰眠は足りていないようだったし、止める気も更々無かった。
寝ぼけ眼を擦りつつ部屋の軋む床を鳴らした。向かう先にはパソコンがあった。電源を入れて、重たい体を椅子に預ける。虚ろな目でモニターを眺め、慣れた手つきでキーボードを叩く。サダキヨの一日はほとんどがこれで終わる。
家族も1年目までは改心させようとサダキヨの部屋の前で念仏じみた説得を続けてきたが、今ではすっかり開かずの間として幽閉した囚人の世話をすることになった。世話と言っても、日に1回粗末な食事を届けるだけである。
サダキヨも囚人の扱いで充分だった。むしろ自ら囚人になることを望んだ。何もかもがうんざりだった。1本の旗を我先にと争う大学受験戦争をくぐり抜けたと思ったら、今度は4年後に始まる椅子一脚に座り合う椅子取りゲームの為に、入学当初から各選手は入念な準備運動を始めていた。しかし、サダキヨは開始の音楽が始まるまで休んでしまった。
いざ椅子取りゲームが始まると、サダキヨの周りはどんどんと椅子に座っていった。パイプ椅子に座った者もいれば、ロココ調の椅子に座ったものもいた。しかし、座れなかったサダキヨから見ればどんな椅子も上等に見えた。
サダキヨは椅子に座れなかった自分は、誰からも必要されないという考えが頭を過ぎってから、外へ出るのを止めた。レールに乗り損なったトロッコは廃棄を待つだけだ。死にたいが、自殺するわけでもなく、誰を傷つけるでもなく、誰かに傷つけられるでもなく、ひっそりと世を忍んで生きてきた。
ある朝、サダキヨの部屋のノックする音が響いた。もう何年も静寂の中で生きているサダキヨにとって爆音が耳を襲い脳と心臓を突き刺した。音を聞いたサダキヨはベッドから飛び起き、久しぶりの囚人への面会客におっかなびっくり怯えていた。
軋む床を鳴らさないように身長に足をドアへと運び、耳をそばだてて外界の様子を探ろうとした時だった。ドアが蹴破られる様な勢いで開き、そこには黒いスーツにサングラス姿の男が立っていた。
サダキヨは卒倒しそうだった。何ていう日だ。俺の唯一の居場所が、俺の静寂が、犯されていくようだった。
「あなたがサダキヨ君だね。」
黒服の男が、半ば茫然自失気味に立ち尽くしていたサダキヨを起こすように問いかけた。
「えっ…ああ…は…はい…。どちらさまでしょうか…。」
吃りながらも久しぶりに声を出した。上手く口が回らない。最初の声が出るまで少し手間取った。
「私は労働省の調達課というところに所属しているヤマモトという者だ。」
黒服はスーツの内ポケットから名刺入れを取り出し、サダキヨに名刺を差し出した。
「はあ…ど…どうも…。」
鳥が住み着きそうな蓬髪を掻きむしりながら、もらった名刺に目を落とす。掻きむしった頭からは初雪の様な白い粉がはらはらと名刺や方に積もっていく。「労働省調達課」という文字を見ると妙に口が乾き、心臓が警鐘を鳴らしているように早鐘を打った。
「君は、1ヶ月前にある法案が可決されたのを知っているかね。」
「い…いえ…、知りません…。」
はっきりした物言いのヤマモトとおどおどしたサダキヨの会話は野球選手と老人がキャッチボールしているようだった。全くリズムが生まれない。
「簡潔に言うと、この国にいる男、とりわけ無職とホームレスは一つの場所に収容して、労働力としてストックしておくことになった。ついては、君を収容することになったのだよ。」
ヤマモトは、何ともさらりと言ってのけた。サダキヨは目を丸くしていた。
「す…すみませんが、それは無理です…。やりたいこともあるし…。」
「何故やりたいことがあるのにすぐに動こうとしないのかね。」
サダキヨの言葉を遮るようにヤマモトが口撃する。尖った言葉がサダキヨに突き刺さり、痛みをこらえるかのように俯く。
「君は、夢とかやりたいこととか言う実体のないもの自ら勝手に創り上げて、それを盾にして隠れているだけだ。見たくない現実と夢をすり替えているんだ。現実なんか見たくない、かと言って死ぬ勇気も無い。君は、糞を垂れるだけの産業廃棄物と化している。しかし、その産業廃棄物を我々は資源として見ているのだよ。だから今回こうして君の前にいるわけだ。」
サダキヨは、ただ聞いているだけだった。虚ろな目で。虚ろな心で。全ての思考がストップしていた。いや、ストップさせていた。聞いているフリをしていればこのくだらない説教も終わるだろうと思っていた。
そして、マニュアル化されたように「すみません」を呟く。
特に何を言うでもなく、うわごとの様にマニュアルを呟くサダキヨにしびれを切らしたヤマモトは、ポケットからこの空間、薄汚れた部屋に似つかわしくない物を取り出し、サダキヨに向けた。拳銃だった。手のひらに収まるような小さいものだった。銃口はサダキヨを今にも飲み込もうとすでに臨戦態勢に入っていた。
これを見たサダキヨの虚ろな目は否応なしに反応した。みるみると焦点が銃に向けられ、脳にこびりつきそうな程に見つめた。
死にたいと思っていたが、いざ人殺しの道具が出てくると、体が生きろと反応する。心臓は早鐘を鳴らし、体からは滝のような汗が出てきた。自然と後退りをしてしまう。
「い…嫌だ…。殺さないで…。」
絞り出した言葉にも、生きたいという意思表示がされていた。生きて何をするというわけでもないのに。
「殺しはしない。これは麻酔銃だ。言っただろう。君たちはこの国の大事な資源なんだ。眠っているうちに、施設に入ってもらうことになる。それじゃあ、施設で会おう。」
ヤマモトのトリガーに掛かる指がゆっくりと引かれる。胸の辺りに細い針の様なものが刺さった感覚を覚えたのと同時に、瞼がずっしりと重たく感じた。視界もぼやけ、体までも重い。
とうとうサダキヨは、糸の切れた操り人形のように膝から崩れ落ち、床に膝の皿がぶつかる音と共に突っ伏してしまった。思考が停止していくのがわかる。それに呼応するように視界も失われていく。闇に吸い込まれていくようにサダキヨは暗闇に消えていった。
サダキヨは重たい瞼をゆっくりと開ける。視界はぐるぐると回り、頭も鉛が入ったように重い。床に寝かせられているからだろうか、肌にはひんやりとした感覚が意識の覚醒を促そうとしている。だが、混濁する意識は一向に治りそうにない。
頭がぐるぐるとメリーゴーランドの様になっていると、部屋の電気が点き、だだっ広いと思っていた部屋に太陽が現れたかのように照らされた。
照明の光は混濁した意識によく効き、段々とメリーゴーランドは停止に近づいていく。しかし、頭のメリーゴーランド止まっていくにつれて、自分の置かれている状況の異様さに気づかされていく。
そうだった、自分は半ば拉致されてきたのだった。そして次には肌に突き刺さるひんやりとした感覚の理由もわかった。
サダキヨは服を着ていなかった。下着すらつけていなかった。生まれた頃と何ら変わらなかった。変わったことと言えば、体のあちらこちらに、スチールウールの様な体毛が繁殖し始めたくらいである。
何とも開放的な格好でいたが、部屋自体…部屋というよりも体育館に近い。そこは開放的でなく、むしろ満員ですし詰めに近い感じであった。サダキヨの様なスチールウールを散らした体をむき出しにした男たちが部屋にあちこちに散らばっていた。
部屋の照明が再び落ちる。その代わりにピンスポットライトがステージをこれでもかというくらいに照らしている。
ステージ袖から静寂を切り裂くように、歩を進める革靴と床が接地する音が谺する。ピンスポットに照らされたそこには、鏡になりそうなほど磨かれた革靴と綺麗に折り目のスーツを身につけたヤマモトが、自室で見た時と同じように眼前に佇む山の様にどっしりと構えてサダキヨたちを見下ろしていた。
サダキヨたちは全員ピンスポットを浴びるヤマモトを見つめている。その視線に呼応するかのように低い声がゆっくりとした口調で語り始めた。
「貴重な資源の皆さん。お目覚めだろうか。これからの君たちは半年間みっちり社会に出るためのトレーニングをしていただく。その為にはまず身なりを整えていただくことになっている。その汚れきった体から決別してもらいたい。だから君たちは今生まれたままの状態なのだ。私の話しが終わるとスプリンクラーが作動する。それで頭の先からつま先まで身を清めてもらう。それが終わり次第、スタッフが着替えを渡すのでそれに着替えるように。以上だ。」
以上だ。と言い終えるとすぐに部屋の照明が点いた。それと同時に、スプリンクラーが作動し、サダキヨたちの体を濡らしていく。異常に冷えた水は男達の体を濡らした。反射的に嬌声のような聞きたくもない声が部屋のあちこちであがったのだった。
水責めが一通り終わると、そこにはオレンジ色の作業着を配っているスタッフらしき人々が現れた。
サダキヨにも手渡され、赤子の状態から少しばかり恥じらいを覚えた格好になった。
いざ着てみると、胸にゼッケンが縫われていて、サダキヨの作業着にはでかでかと「3」と書かれていた。作業着を身につけると、退場を促された。それに訝しげに応じ、誘導される方へと進んでいくと、そこは校庭の様なところに出た。なるほど、ここは廃校になった学校を改装しているのだと、考えながらぼんやりと歩いていた。しかし、目を先の方へやると、校舎らしいものは一つも見当たらなかった。そのかわりに、屋根に1から5と書かれたコテージのような、とにかく建物が等間隔で5つ並んでいた。
誘導された先には、ヤマモトの部下であろうか、ヤマモトを一回り小さくした男がヤマモトと同じ服装で立ち、サダキヨを含めた貴重な資源たちの整列を待っていた。
「これから君たちにはこのコテージで暮らしてもらう。今回の資源人数は述べ50人だ。それを五等分して10人1組で共同生活をしてもらう。期間は1年、君たちにはみっちりと社会に貢献出来る人間に育て上げていく。まずは、自分の作業着の胸に書かれている数字のコテージの中に入ってもらう。その中に、カミソリがあるので、自分に生えている縮れた毛は全て剃ってきてもらう。天然パーマの奴は頭も剃ってくるように。剃り終わった者から、再びこの場に集合するように。以上だ。」
サダキヨは青白い顔で呆然としていた。いや、サダキヨはまだいい方だ。サダキヨの前に立っていた奴は見事なまでの天然パーマだった。天然パーマの彼は膝から地面に崩れ落ちていた。
サダキヨは正気を取り戻し、足を引きずるように「3」と書かれたコテージへ向かっていった。
コテージへ入ると、古ぼけた木製の天井扇がくるくると回る中、何人かが黙々と自分に生えている縮れた毛を刈り落としていた。
サダキヨもそれを見習い、諦めたかのように、足から腕、脇から局部、ありとあらゆる縮れ毛を収穫していった。
サダキヨが剃り終わる頃には、3番コテージの全員が集まっていた。全員が赤ん坊の様につるつるで、輝きはさながら真珠のようだった。
サダキヨたちは、全員の肌を見て、ため息が一つ出た。サダキヨのため息のタイミングとシンクロするように他の9人も同じようにため息をついた。ため息のシンクロを聞いた全員は、力なく笑い、コテージの外へと向かっていった。
その日は、体力測定と健康診断を行って終わった。
食事は毎日、一日2回朝夜に配給されるようだ。今日はサラダとスープひと握り程の白米だった。サダキヨたちは絶望した。夕食をそこそこに切り上げ、サダキヨは布団に入ると共に大いびきを鳴らし始めた…というのは演技である。サダキヨには体力を測定するという不毛極まりない行為にすっかりグロッキーしてしまった。そのくせ、晩飯は粗食、サダキヨは脱走を決めた。そう決めたら早めに寝て、夜出発することにした。ダラダラと生活してきた割に、辛いことから逃げようとする時は誰よりも、迅速な行動を起こす。
草木も光合成を諦めるほど暗くなった時、サダキヨは、のそのそと起き上がり始めた。すっかり寝過ごしそうになるくらいに深く寝てしまっていた。
周りの9人を起こさないように慎重で入念な準備を始める。静かに、そして俊敏に、軽やかな足取りでコテージのドアまで向かっていく。
あばよ。地獄で一年頑張れな。今日初めて会ったコテージの9人に心の中で別れを告げた。コテージのドアに手を掛け力いっぱい引く。未来を勝ち取るために拳銃のトリガーを引くように。
グラウンドを一歩一歩慎重に、噛み締めるように歩く。神経をすり減らしたのか、一息つこうと少し歩を止めた。
目を横にやると、体力測定の項目の一つだった幅跳びをやった砂場があった。幅跳びをしたサダキヨは、大跳躍も虚しく、足を取られて後ろに転び、頭の付いた距離までになってしまった。見ていた周りも、特に仲がいいわけでは無いので、カエルのように仰向けになったサダキヨをただ見つめていた。あの視線を今になって思い出した。
その時は顔からきっと火が出ていただろうが、今冷静になってみると、なんとも可笑しくシュールだった。ここでの思い出はそれくらいだ。少しだ、本当に少しばかり、小さな笑みを浮かべ、声を出してしまった。
その時だった。
校舎であろう建物の屋上から、ライト照らされ、サダキヨに襲いかかった。それは屋上のライトを合図にしたかのように、ほかの場所にも配置されていたライトが次々にサダキヨを照射する。
「動くな!」
最大限に引き上げられたスピーカーの音が耳を劈く。耳を劈くと同時に、サダキヨの体は地蔵のように硬直する。終わった。何もかもが。サダキヨはこれからどうなるのかが心配でならなかった。
スピーカーの音が流れると同時に、わらわらと黒服の男がやって来て、あっという間に取り囲んでしまった。
「こんな時間にお散歩かい。」
声に反応し取り巻きが割れたかと思うと、そこから同じ黒服ながら一際異彩を放つ黒服、ヤマモトが現れた。
「僕はこんなくだらない事で時間を浪費したくはありません。今すぐ帰してください。」
サダキヨが珍しく大きな声を張り上げた。それほど腹に据ねかえていたようだった。
「ああ、帰らせてやろう。あちらのコーテジにな。連れていけ。」
黒だかりがサダキヨを持ち上げてコテージへと引き返していく。サダキヨは頭上高々と持ち上げられながらも何やら喚きながら手足を動かし抵抗した。働きアリに運ばれていく毛虫のような虚しい蠢動に見えた。
「おい。ちょっと待て。」
ヤマモトの低く鋭い声が黒だかりの一団が足を止める。
「明日、他の資源の皆に、彼の所業を説明せねばならないな。ペナルティを犯した者は一目でわかるようにしておくか。おい、アレ持って来い。」
ヤマモトの部下は短く返事をした後、そそくさと走りだした。少しばかりすると、部下の手には、黒だかりの一団全員が手にする程の量の、スプレーのようなペンキのような、とにかく色を塗布するスプレー缶を持ってきていた。
サダキヨにも、持ってきたのがスプレー缶というのがわかった。しかし、一体それをどうするのかというのが皆目見当がつかなかった。スプレー缶を見たときは、殺されることはないと内心胸を撫で下ろしていたが、熟考してみると、ライターと組み合わせれば簡易的な火炎放射器になるし、くべた火の中に放り込めば爆弾のようにもなる。その考えが頭を過ぎった時はサダキヨの歯はガチガチと鳴った。
しかし、もう考えても無駄だった。サダキヨの思考能力は音を立てて切れ、体を支える力は一斉に抜けていった。
「殺すなら早く殺してくださいよ。」
半ば不貞腐れながらサダキヨはぶっきらぼうに吐き出した言葉をヤマモトにぶつける。
「だから何度も言っているだろう。君たちは貴重な資源だ。殺すなんてことは有り得ない。おい、お前たち、さっさと終わらせて寝よう。サダキヨ君もすぐ終わるから安心してくれ。それじゃあまた明日。」
ヤマモトは自分の部屋に戻っていった。それと入れ替わるように、黒だかりの一団がサダキヨに向かってにじり寄ってきた。
サダキヨは黒だかりの囲みを抜け出そうとヤマモトの部下に体当たりを食らわしたが、抵抗虚しく、近くにあった鉄棒に手を縛り上げられてしまった。
いよいよ刑が執行される。ああ、忘れていたスプレーの本質的な役割を。カラースプレーは本来色を付けるものだった。それに気づいた時にはすでに時遅く、サダキヨの視界は薄桃色になってしまった。
気づくとコテージのベッドに横たわっていた。もう起床時間は過ぎているようだ。このままではまたペナルティをくらってしまう。
準備もそこそこに急いで外へ出ると、全員が朝礼を受けていた。サダキヨも、さも初めからいたようにひっそりと一番後ろに並んだ。
「学長訓話。」
司会がこう告げると、壇上にはヤマモトが上がり、資源達を見回す。そして一番遠くを指を差す。
「一番後ろの彼、ちょっと来なさい。」
サダキヨだった。行きたくなかったが、部下が両脇を抱えて引きずるように連行するので逃げようがなかった。
壇上にいるヤマモトの横に立たされた。資源達の視線がサダキヨを貫く。貫くと同時に資源達の視線は地面に落ち、肩を震わしている。サダキヨはいい見世物になっているような気持ちになった。
しかし、それは気持ちだけではなかった。本当に見世物になっていた。自分の視線を手の方にやると薄桃色になっていた。背中に嫌な汗がナイアガラのように流れ出た。
「ええと、皆さん。ここにいるサダキヨ君。彼は昨夜脱走を図った。彼の計画は見事に失敗し、今こうして皆さんに報告している訳だが、彼がこうなっているのは、彼がこれから二度とこのようなことをしないようにと我々からのささやかな贈り物だ。だから、彼はこのように全身薄桃色にカラーコーティングさせてもらった訳だ。他の皆さんはこんな愚かな計画は企てはしないと思うが、成功もすることないだろうし、彼、サダキヨ君のようになってしまうぞ。そんなことはないようにお願いしたい。以上だ。」
ヤマモトの「以上だ。」の言葉と同時に、サダキヨの両脇を固めていた部下がサダキヨの作業着から何からを脱がしていった。
サダキヨは再び赤子のようになった。ただ唯一違っているのは、全身が薄桃色になっているということだ。ヤマモトからの永遠とも思えるような公開処刑に、サダキヨはただただ硬直し人生ゲームの女の子のようになっていた。屈辱と憤怒を心に宿しながら。
朝礼が終わると、薄桃色を急いで落とした。「3」のゼッケンをつけた作業着の奴らがサダキヨを慰めるように駆け寄ってきた。しかし、いじけている暇もない。落ち込んでいるとまた何をされるかわからない。まずは、気持ちよりも薄桃色を落とすのが先決だった。
トレーニングが始まった。何年も惰眠を貪っていたサダキヨたち貴重な資源には地獄を見ているようだった。
その夜の晩飯時、サダキヨを気遣ったのか、3番コテージのみんながささやかな差し入れをしてくれた。
差し入れといっても、少ない量の晩飯の中から一品をくれただけだったが、サダキヨはなんだか泣いてしまった。朝礼の惨めさを思い出したのもあったが、なによりも人に優しくされたのは何年ぶりだろうかわからないが、人の優しさが嬉しかった。みんな特に言葉に出す訳じゃない。無言の優しさがサダキヨの琴線に触れた。
「みんなありがとう。僕は、今回のことで堪忍袋の緒が切れた。必ずあいつらを見返してやる。もしよければ、みんなの力をかしてはくれないか。」
コテージの仲間は黙って聞いていた。そして、黙って全員が立ち上がる。水の入った紙コップを片手に持ちながら。一人がそれを高々とそれを持ち上げる。それに呼応するように、サダキヨ以外の全員が頭上へと持ち上げ、乾杯をする体勢になった。
サダキヨには、自由を獲得する為に結成される闘士の集まりのような錯覚を覚えた。コテージの仲間の乾杯の格好は、自由の女神にも桃園の誓いのワンシーンにも見えた。
しかし、自由を獲得する為に一致団結する為の乾杯であるなら、それは決してサダキヨの見間違いではなかっただろう。サダキヨも水を湛えた紙コップを手に取り、自由の女神の仲間入りを果たす。
「我々と、未来の自由の為に。」
サダキヨの音頭と共に、掲げたコップたちは音を立てることもなく誓いのキスを終わらせた。
太陽とともに起床し、太陽が沈むまでトレーニングは続く。朝は、ランニングや挨拶の練習、喉が擦り切れる程に大きな声を出したのは初めてだった。午後からは社会常識やビジネスマナーといった座学を尻が真っ平らになるまで授業は続いた。
サダキヨたちは、みるみるうちに変化を遂げていった。元々のスタートの状態が酷すぎたというものあるが、風船のように膨らんでいた腹はしぼみ、輪郭もふた回り小さくなり、死んだような濁った目も、輝きを取り戻したようである。サダキヨの仲間たちも同様に、引き締まり筋骨隆々になった。
しかし、来たる決起の日までの計画を忘れた日は一日も無かった。
計画の立案からリスクヘッジ、他のコテージでメンバーの勧誘、時には、監視役の部下をコテージへ拉致したり、買収したりと計画へのロジックを着々と積み重ねていった。
だが、圧倒的に人員が足りなかった。仮に全員集めたとしても、たったの50人である。
今では筋骨隆々になった我々が50人で蜂起すれば、この養成所くらいなら制圧できる、という根拠の無い自信が、心のどこかにあった。
しかし、サダキヨが考える最終的なゴールはそんなちっぽけなものではなかった。サダキヨは、この馬鹿げた法律を撤廃させることこそが目標だった。
個人の意思を国によって潰されるなんてことは、サダキヨにとってあり得なかった。
今回のこの法律さえなければ…改めて考えると歯軋りが止まらなくなる思いだった。ここまで来るとサダキヨだけの戦いだけではなくってきているようにも感じた。落ちこぼれが落ちこぼれらしく生きていける事が出来るのを蘇らせる最後のチャンスなのかもしれないのだ。
落ちこぼれだけの話だけではない。突き詰めると、人間個人が個人の意思を尊重して生きていける最後のチャンスなのだ。人間の思考の自由を獲得する闘争なのだ。大げさに言うとサダキヨは最後の希望なのだ。
決起は10年後にと考えていた。10年も経てば、ある程度の人員の確保が臨めるだろう。
問題は、どのように決起を起こすのかというと、どう人員を確保していくのかということである。
結局、それは解決することなく時は過ぎていった。労働力として半分意思を失ったロボットになるまで訓練は徹底的に続いた。
この養成所に入って、年を一つ重ねた。
惰眠の副産物だった脂肪は綺麗さっぱり消え去り、お腹にはくっきりと筋肉のあぜ道ができていた。
尻も四角くなっていたのをようやく元通りに直した。
グラウンドの隅には、サダキヨたちと同じように風雪を耐え忍んできた桜が花開かんばかりだった。
サダキヨたち資源一期生は、厳しい訓練を乗り越え卒業を間近に控えていた。
卒業生は全員就職を決め、ここで培った事を存分に発揮することを固く誓わされていた。
恐らく、この養成所は続いていくだろう。きっと、いじけた奴らしか入ってこない。無理矢理連れてこられたことに腹を立てているだろう。仕返ししたいことだろう。それを助ける役目が自分にはあるとサダキヨは考えていた。
卒業の朝、サダキヨは、各コテージの寮長を呼び出した。見回り役の黒服は、月に一度出てくるエンゼルパイを三つ程渡し、目を瞑ってもらった。
一つ年を重ねたおかげなのか、自分たちが決起するタイミング、伝える手段、全てが整った。それを各寮長に伝える事が、サダキヨの最後の仕事だった。
「明日で、僕たちは卒業だ。ここから離れられるのは嬉しいが、残念ながら社会に出るスタートラインに立たされているのも事実だ。スタートしたくなくてもさせられてしまう。」
一呼吸置いてサダキヨは話しを続ける。
「僕たちの、反抗する精神をここに置いていかなければならない。きっと、次に、そのまた次に入ってくるいじけた奴らは受け継いでくれる。」
サダキヨは口内に溜まった唾を飲み込む。
「まずは僕たちが決起を起こす。そう、働くということで。それは転がす雪玉のように、年を重ねるごとに増えていき、長い時間を経て、問題の表面化となって破裂する。その時が本当の意味で決起となるだろう。」
言葉を切り、乾いてきた口に水分を与える。紙コップに入った水を飲み干す。
「ここから言うことを皆にはやって欲しい。コテージの目立たないところに、今から言う言葉を彫り込んで欲しい。」
それを聞いた寮長たちは頷き、紙コップを高々と挙げ、乾杯をし水を飲み干した後、足早に3番コテージを去っていった。
サダキヨも、寮長たちを見送った後、早速作業に取り掛かった。彫り込む為にガラス片を集めておいた。それを使い、目立たないだろうと目星を付けたところにざくざくと彫り込んでいった。この一年間舐めさせられた屈辱と、年々入ってくるだろういじけた奴らに未来への希望を織り込むように。
卒業をして7年くらいが経っただろうか。時の経過も曖昧になるほど、サダキヨは働いていた。
今日もくたくたになって古びた四畳半に帰る。
サダキヨはテレビを点けると、薄桃色のスーツを着たアナウンサーがニュースを読み上げていた。
薄桃色を見ると、無意識に舌打ちをし、疲れた体がさらに気だるくなるようだった。
「続いてのニュースです。」
さだきよは、薄桃色を見ている義理も無いので、料理でも作ろうとしてキッチンへ行こうとした時、一つのニュースがサダキヨの足を止めたかと思うと、狂喜乱舞させた。サダキヨは急いで、紙とペンを用意して、辞表を書き上げた。それは今までの仕事の中でも、かつてない素早さで美しさだった。
「総理、少々お話よろしいでしょうか。」
労働省の大臣と環境省の大臣が二人共苦々しい顔をして総理に声を掛けた。
「今日も私は忙しいんだ。会食したり、会食したり、会食したり…ああ、忙しい。それでなんだね、手短に頼むよ。」
「総理、我が国の二酸化炭素排出量がこの7年ほどで驚く程に増えているのです。このままでは、二酸化炭素削減を世界的に主導している我が国の信頼は失墜してしまいます。そして、その原因は、労働省が定めて、労働力を徴集している法律が原因にあると思われます。」
「何故、労働力と二酸化炭素が関係しているのかね。我が国の経済は、賃金の安い彼らを使わなければ立ちいかない程に依存しているのですぞ。支出を減らして収入を多く得る。これが、自分の小遣いでも、会社の利益でも、国の利益でも、鉄則ではありませんか。」
総理に向けた環境大臣の言葉に、労働大臣が噛み付くように応戦する。
「確かに労働力は爆発的に増え、今や、他国への労働教育ノウハウの提供、他国からの資源獲得と言った一つのビジネスモデルとして確立されつつあります。国は潤い、家族の悩みの種は消え、本人も貨幣を得て自立する。一見すると誰もが幸せになるシステムです。しかし、そんなシステムは有り得ないのです。誰かが幸せになると、どこかの誰かが不幸せになる。それが今回は、大きく言うと、地球全体ということになってしまっているのです。」
口を開きかけていた労働大臣を手で制し、環境大臣は話しを続ける。
それに総理。総理は、前回の環境サミットで『二酸化炭素25%削減政策』を大した方策もなくぶちあげ、口から出まかせで世界各国から歓心を買ったではありませんか。しかし、蓋を開けてみたら、二酸化炭素増大となっていたら、世界各国の首脳はどう思うでしょうか。きっとルーピーでポンコツでトラストミーなクズだとお思いになることは必至です。」
環境大臣は子供を諭すように、総理に話す。
「ううむ…そうだな。よし。今年から労働徴兵制は完全に廃止する。これで、私は人間にも地球にも優しい総理大臣として後世まで語り継がれるだろう。はっはっはっ…。」
環境大臣は、去っていく総理に深々と礼をして見送った。しかし、このようなことは初めてではなかった。総理を操るなんてことは、人形を操るよりも簡単なのだ。うなだれるように崩れている労働大臣に冷ややかな視線を送りながら、環境大臣も去っていった。
数日後、全世界の養成所の撤去が速やかに行われていた。
「おーい、ブーメランだ。いくぞー。」
若い解体作業員が半壊したコテージの中から天井扇を見つけ、ブーメランに見立てて後輩に投げつける。
「先輩、危ないっすよ。それに監督に怒られても知らないですよ。」
後輩は笑いながら、あさっての方向に飛んでいった天井扇を取りに行く。
「あれ、何か書いてある。」
手にとった後輩は、被った砂を払いながら、掘り込んである文字に目を落とす。
『死ぬな。息をしろ。息が僕たちを開放する。』
5枚あった天井扇には、同様の文句が彫り込まれていた。
天井扇とサダキヨは役目を終えた。疲れた時間を取り戻すように、サダキヨは長い眠りについた。
途中から飽きてぐだぐだです。
すみません。
読んでもらえるだけでうれしいです。