第五話
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「部の申請書ですか?」
パイプ椅子に座る、鴉の濡れ羽のような艶やかな黒髪を持つ少女。
生徒会長・神楽坂茜は、差し出された申告書を見て訝しんだ。
特別広くもない殺風景な生徒会室には、茜とひとりの少女が向かい合って座っていた。
「わが校は、自由な校風を第一に考えていますからね。今更、このようないかがわしい部活がひとつぐらい増えても驚く人はいないと思うのですが?」
書類を目で追いながら、茜は当然の如く吐き捨てた。
異常に広い部活棟が存在するこの学園は、仮にひとりでも宣言し、書類に名前さえあれば部活が成立してしまう。
学園には幽霊・非活動を含め数えきれない程のクラブが存在し、今回、取り上げられた『袋井雅人』なる人物が申請している『ラブコメ推進部』も、その中のひとつに埋もれて終わるはずであった。
「……確かに。部活としては、それほど珍しいものではないと私も思っています。交際やら、決闘やら、おかしな部活は山ほどありますから。ただ……」
「――ただ?」と茜に促されて、少女はぐっと力を込めた。
「部活目標である『両思いの人を必ずカップルにします』という部分が引っかかるのです。両思いか、片思いかなんて二人と話してみないとわからないものです。まして、そんな大切なこと安易に人に話すと思いますか? どうしてこの男は、そんなことを堂々と宣言しているのでしょう?」
茜は額に人差し指一本を置き、眉間にシワを寄せた。
深く考えようとする彼女のポーズのひとつだ。
生徒会長として自分を律する茜は、ときに非常にナイーブになる。
落ち込もうとする自分の心を、指先一本で支え続けている。
茜が何か答を出す前に――その背に羽を持つ――天使の少女は次の言葉を準備していた。
「過去の資料に、似たような部活を申請した例がありました。その部活は、巨大な組織として機能していたのに、急に解散となり、その部に所属していた部員はことごとく、謎の失踪を遂げています。――私には、なにか裏があるように思えてならないのです」
茜は顔を上げ、目の前に座る天使の少女を見据えた。
金の髪を両サイドで結び、少し釣り上がった意志の強さを感じさせる金色の瞳を持つ少女。
精悍な顔立ちで、謀らずともクールさと冷酷さを漂わせている。
正式には、生徒会に席を置いていない彼女であるが、彼女の見出す案件はどれも一癖も二癖もあるものばかりで、問題が大きくなる前にいずれも先手を打つことに成功している。
茜は彼女の判断力と先見性に、一目置いている。
そんな彼女が、特別に寄越してきた申告書なのである。
茜自身、頭を抱えずには要られなかった。
「それで、あなたは何をするべきだと考えているのですか?」
「私は、この部に侵入し、内情を調べるべきだと考えています。また、それについて少し生徒会からお力添えをしていただきたいと考えております」
はっきりと、強い意志のもと、凛とした声で語る少女。
まっすぐと見詰められた茜は、居住まいを正して、同じように向き合った。
「……いいでしょう。あなたがそこまで言うのなら、生徒会としても力をお貸ししましょう。……それで、誰がこの部に侵入するというのですか?」
「もちろん――それは、私自身です。この身にどんな事態が起こってもいいよう、監視体制を作って欲しいのです」
「……分かりました。では、改めて生徒会より依頼いたしましょう……」
茜は立ち上がりキッと力強い目線で、目の前の少女を睨みつけた。
「土岐野世那! あなたに生徒会長として『ラブコメ推進部』の監視および調査を依頼します!」
「……かしこまりました。必ずや危険な種を、排除して差し上げます」
土岐野と呼ばれた天使は、立ち上がって軽く一礼すると、音もなく生徒会室を後にした。
ひとり残され、ぐったりとパイプ椅子に身を委ねる茜。
テーブルに置いてある申告書を手に取り、部室欄を眺めた。
「監視体制……か」
そこには土岐野の字で、ひとつの建物を示す文字が書かれていた。
かつて、堕天使やはぐれ悪魔が、本当にこちらの味方か見極めるために使用されていた全方位監視カメラが設置された施設『陽報館』であった。