第三話
3
袋井は気付いてしまった。
目の前にいる想い人が、自らに何ら関心がないことを。
「おまたせ、袋井くん!」
武田美月は袋井と同じ、学園に通う高校2年生である。
彼女もまた、撃退士。
赤毛のポニテールを揺らし、快活な笑顔で男女隔たりなく接する、誰にでも愛される猪突猛進系の少女である。
本人に自覚はないが、数多くの生徒が彼女を好いている。
その証拠に多くの矢印が彼女へと向けられ、その殆どに半分だけのハートが浮かんでいる。
袋井のそれもまた、同じであった。
反して美月から放たれる矢印には、ハートは見られない。
美月は裏表のない少女だ。
好きなものは好きといい、嫌いなものは嫌いと言う。
もし、美月が恋をしていたのなら、恐らく誰もが一目見てわかることだろう。
それほどまでに、美月の表情はとても豊かで、素直だった。
「どうしたの? なんか浮かない顔してるね?」
「いえ! なんでもない、ですよ……」
引きつった微笑みで、袋井は美月の問いに答えていた。
美月から袋井へ繋がる線は、綺麗な矢印だけであった。
気には掛けている。でも、関心はない。
袋井が美月と再会するまでに見た矢印から導き出した答えが、それであった。
「ルナくんは、一緒じゃないの?」
「彼は、別の用があるらしくって……。ほら、彼って喫茶店のマスターしてるから」
久遠ヶ原学園の生徒たちには、みな自主的な経営活動が許可されている。
広大な敷地内に生徒運営の喫茶店や、小売店があり、学園内を通っている交通機関もまた学生が運営している。
「なんか失礼しちゃうな! 呼び出した本人がいないだなんて――っで、話ってなぁに?」
ぷくっと膨れて、パッと微笑む。
千差万別の彼女の表情に、袋井はタジタジである。
「え、え~と……。ほら、さっきの依頼。ごめん、間に合わなくって……」
「ええっ~そんなこと! いいよ、気にしなくて!」
「で、でも、ほら電話まで掛けてきてもらっちゃったし……」
「あれは、ルナくんも気にしてたから――何かあったのかもって。私は、たまたま掛けただけだよ」
てらいのない言葉に、むしろ袋井は傷ついていた。
屈託のない彼女は、素直な心で袋井を褒め称える。
「袋井くんって、律儀なんだねぇ~。そんなこと気にしてたんだ。大丈夫だよ、難しい依頼じゃなかったんだから。みんなだって、袋井くんがいなかったこと、全然気にしてなかったよ」
素直過ぎる心は、時に恐ろしい刃と化す。
もう何も言い出せない袋井は固まって、微妙な笑みを返すだけだった。
「それだけ?」
「……はい」
「そっかぁ~。じゃあ、もし他の人達に会ったら、袋井くんが謝ってたって事、伝えておくね。――気にしちゃダメだよ! 元気だしてね! んじゃ!」
敬礼にも似たポーズで別れを告げると、美月は去っていった。
途方に暮れて、小さくなっていく美月を見送る袋井。
その背後にスッと人影が現れ、袋井の首を両腕がホールドした。
「こりゃあ、どういうことだ!? 告白するって言ってたじゃねぇか、おい!」
袋井の背後には、先程まで物陰に隠れていた黒尽くめの男が立っていた。
二人の共通の友人であり、袋井のフラグ立てに協力し、最後のお膳立てまでしたこの男こそ――ルナくんこと――ルナジョーカーである。
「ギブギブ!」とルナの腕を叩くと、袋井は地面に勢い良く落とされた。
涙目になった袋井は地面に這いつくばったまま、渾身の思いでルナを睨みつけた。
「死んじまうよ!」
「んなもん、死亡フラグおっ立ててんだから、容認しろ」
「できるか!」
やれやれと肩をすくめるルナジョーカー。
ルナの方が年下のはずなのだが、いつも主導権はルナが握っている。
黒い瞳に黒い髪、焼けた黒い肌に黒い服を好むルナは、常に黒い印象をまとわり付かせる。
帰還早々ルナに見つかった袋井は、最後の仕上げとばかりに美月の前に立たされた。
当然、告白できるはずもなく。ましてや袋井には、恋愛感情を決める『それ』が見えている。
美月が姿を見せた時点で、袋井の失恋は確定していた。
「度胸ねぇなあ、袋井。砕けて、散れよ」
「散っちゃだめだろ! って、当たってもいないじゃないか!」
だが実際に、当たる前に散っている。
袋井に見えた『それ』には、確実に脈はなかった。
「仕方ねぇ……。とりあえず、死亡フラグだけは成立させておけ。そうじゃなきゃあ、フラグ職人の方々に示しがつかねぇ」
「フラグ職人って誰だよ! っていうか、成立させていいフラグじゃないよ!」
ポキポキと指を鳴らし、黒いほほ笑みで袋井に近づくルナジョーカー。
腰が引け、這いずるように後退る袋井。
ニヤァっと笑い、袋井に殴りかかろうとした瞬間――今度はルナの体が宙にぶら下がった。
「申し訳ありません、袋井様。うちの黒猫が、ご迷惑を掛けているようでして……」
ルナの背後には、まるでアンティークドールを思わせる可憐な少女が立っていた。
両手を揃えて、軽く会釈をし、少女は柔らかな微笑みを浮かべる。
弱くウェーブのかかった銀色の髪と、軽やかな出で立ちが、まるでたんぽぽの綿毛ような儚さを漂わせている。
「斉さん……」
袋井も何とか笑みを返し、震える足に力を入れ立ち上がった。
「おい、凛。――誰が黒猫だって?」
「あら、ルナさんじゃないですか? 躾の悪い黒猫と勘違いしてしまいました。――芽楼、離してさし上げて」
「了解なのです、メイド長」
飛びながらルナを持ち上げていたメイド服の悪魔が、手を離した。
ドスンと音を立ててルナは、地面に落下した。
フワリとメイド服の悪魔が、斉凛の隣に降りる。
どちらもメイド服を来ているのだが、とても対照的に見えた。
儚げな凛に対して、芽楼と呼ばれた悪魔はカッチリとした外見をし、巨大な剣を背負っている。
見た目は日本人とさほど変わらないのだが、白い髪、白い肌が特徴的で、その背中から蝙蝠を思わせる羽が生えている。
二人とも、ルナジョーカーが経営する喫茶店の従業員である。
「痛てぇなぁ! 何すんだよ!」
「そろそろ開店の時間です! マスターがどこで油売っているんですか!」
「当店では、油単品は扱っておりません」
「いいじゃねぇか、少しぐらい。袋井の力になってやりたかったんだよ」
「どう見ても襲い掛かろうとしていたじゃありませんか! 何を考えているんですか貴方は!」
「店内での、暴力行為はお止め下さい」
「成り行きだよ、成り行き。袋井の根性を叩きなおしてやろうと思ったの! 男はな、いざという時、惚れた女を守る力が必要なんだ。わかるか、凛?」
「いいから、貴方はお店に来なさい! 一分でも遅れた場合、今日のお掃除はひとりでやって頂きます!?」
「それでは、これから競争を始めます。一番遅れた人が今日の掃除当番ということで――よーい、どん! 袋井様、お先に失礼いたします」
芽楼は丁寧にお辞儀をすると、颯爽と空へ飛んでいった。
「ちょっ! 芽楼! テメエ、卑怯だぞ! 待ちやがれ!」
「どうしてわたくしまで掃除当番にならなくてはいけないの! 待ちなさい、芽楼!」
空を駆ける芽楼を追いかけ、ルナと凛は走り去っていく。
ポツンと取り残された袋井は「……相変わらず、嵐のような人達だな」と、呟きながら見送るほかなかった。