第一話
1
「この依頼が成功したら、オレ告白するんだ」
撃退士・袋井雅人は迷っていた。
すでに壮大なフラグ立ては、完了している。
告白する相手も、告白する内容も決まっている。
この依頼で格好いいところを魅せ、告白する。
すべての条件は揃っていた。
後一歩で、その瞬間に辿りつけると確信を持っていた。
だが――
「ここは――どこですか?」
彼は、完全に道に迷っていた。
茨城県某市郊外。
過去のゲート事件により、ゴーストタウンと化したこの街で、彼は途方に暮れるという予期せぬ選択肢にぶち当たっていた。
(『オレ』なんて使い慣れない言葉使うからこうなるのかな? でも、これはないよ、普通……)
休止したはずのゲートに現れた、サーヴァントの討伐。
決して難しくはない、今回の依頼。
他の仲間は、小遣い稼ぎのために参加しているというのが、ほとんどだった。
『この依頼で告白する』などという壮大な計画を立てて意気込んでいるのは、袋井だけであり、その告白される相手である武田美月もまた、特別な意気込みなど持っていなかった。
(最高の運気だって、そう言ってたじゃないかぁ~……)
今朝のテレビ番組の占いを思い出し、袋井は深くため息を付いた。
ボサボサ頭に黒縁メガネ、中肉中背の体を白いジャージで包むこの頼りなさ気な青年は、久遠ヶ原学園に所属する政府公認の撃退士――人類の希望である。
死んだ目付きで立ち尽くす袋井のポケットから不意に、騒がしい音楽が流れた。
袋井には似つかわしくない大音量のロックは、上着に入れた携帯電話からだ。
苦手な相手からの着信に対し、事前に音楽を変えてある。
小心さを物語るこの設定も、今の袋井にとっては救いの知らせだった。
「ルナくん! 今どこにいるんだい!?」
『袋井ぃ~、何してんだよ。それはこっちのセリフだろ? どこほっつき歩いてんだ?』
「いや、よくわからない……。お墓が見えるから、恐らく神社かお寺の近くだと思うんだけど……」
周囲を囲む小高い丘には、たくさんの墓が並んでおり、この一帯が寺の敷地であることを伺わせる。
『どこだよ、そこ? 天使退治に、神頼みでもするつもりだったのか?』
「いや、サーヴァントは、天使じゃなくて、使徒だから少し違うような……」
『そういうこと言ってんじゃねぇよ! んなこと、いちいち突っ込むな! ――ったく、早く来いよ!』
「ちょ、ちょっと待って! ホントルナくん、今どこにいるの!?」
『ここか? ここはなぁ~……。――あ、ワリィ』
「なに?」
『ゲート入ぃ――』
ブツリと通信が途切れた。
恐らく、他の仲間達は一斉にゲートに突入した。
「電波が届かないこと知ってて、わざとやってるだろう!!」
すでに、通話の途切れた携帯電話に袋井は叫んでいた。
平行世界からの侵略者――天使と悪魔に対抗しうる手段として結成された特殊能力集団・撃退士。
通常の物理兵器が効かない天魔に対し、唯一無二の対抗手段であるV兵器を操れる特別な才能の持ち主たちである。
そんな彼らだが、普段は学園に通う普通の学生である。
勉強もすれば、恋もする。
普段の何気ない生活の中で培われた意識の力こそが、天魔に対向する能力となる。
時に友人に邪険に扱われようとも、彼らにとっては重要なファクターなのだった。
(あぁ……どうしたらいいんだぁ……)
頭を抱え、掻きむしる袋井。
天魔たちが生成するゲートとは、亜空間に作られた要塞である。
一切の電波通信は届かず、唯一の通話手段である光信器は、日頃から持ち歩くようなものではない。
今の袋井ができることは、依頼を終わらせた仲間から連絡を待つほかになかった。
「はぁ……。帰るか……」
ここにいても仕方ない。
そう判断した袋井は、立ち上がって駅に向かうことにした。
一番近い駅は、袋井が居る場所から約10分ほど。
遠くはない。
問題は、次の電車が何時に来るかだ。
すでにゴーストタウン化しているこの街で電車などないに等しい。
一時間に一本はかなり多い。半日に一本というのが普通である。
――キィィィィイイ
歩き出した途端、背後から聞きなれない音がした。
振り向くと、空へ抜ける長い石段が目に入る。
仲間を見つけられるかも知れないと、高い場所を目指してここへ来ていた。
今更登る気持ちは薄れていたが、振り返った袋井は石段へと足を踏み出していた。
先ほどの音が、どうも気になる。
(今のは悲鳴? それとも鳴き声かな?)
石段を慎重に登りながら、袋井はなぜかポケットから小さな鉄片を取り出した。
神社に売っているお守りのような飾りを強く握り、ゆっくりと、そして慎重に袋井は石段を登っていく。
音は次第にはっきりとし、それがふたつの生き物の声であることがわかった。
この世のものとは異なる響き――袋井は、それが奴らであることを無意識に感じ取っていた。
(近くにゲートはないはずだけど……。学園に報告するべきかな?)
どのような撃退士であっても、ひとりで討伐に出向くのは非常に危険である。
相手がどれほどの脅威か、知るすべがないからだ。
危険因子は、発見次第学園に連絡。
準備が整った時点で依頼として仲間を募り、討伐にあたることが基本である。
この街はすでにゴーストタウンであるため、被害がすぐ出るという可能性はないだろう。
状況の掌握後に収拾に乗り出したとしても、問題はないように思われた。
石段の最上部から顔を覗かせ、当たりを見回した。
ぐっと心臓を鷲掴みにされる恐怖心が、袋井を襲った。
(天使と――悪魔だ……! どうして、こんな所に!)
鉄片を握る手に、じわりと汗がにじむ。
天魔は一体だけでも厄介である。
それがよりにもよって二体。別々の個体である。
はぐれた袋井が見つかれば、かなり危険である。
即座に頭を引っ込め、早まる動機を必死に抑えつつ、袋井は肩で息をした。
(……落ち着け。光塵して、ヒヒイロカネから慎重に武器を取り出せばいい……。幸い、僕の武器は弓矢だ。距離をとって、相手の機動力を削ぐことが出来れば、逃げるタイミングは作れる……)
袋井の全身からゆらりと、淡い光が漏れ出す。
撃退士の能力の開放――光塵。
先ほど取り出した鉄片――ヒヒイロカネから天魔に対向する武器を召喚する能力である。
天魔達と対峙する彼らが覚醒させたアウルと呼ばれる能力は、同時に人間の身体能力を大きく超越させることができる。
そのまま見つからずに逃げるのが得策なのだが、頭を上げ、再び天魔たちを見据えた袋井は、なぜかその場から離れずにいた。
(どうもおかしいぞ。こいつら……)
二体の天魔は石畳に転がっている。
天使は、まるで赤子のような姿に小さな羽が生えている。
鞠をふたつ重ねたほどの大きさ体に、蝙蝠の羽根、鳥の顔も持ってるのは悪魔の方だ。
どちらもボロボロに傷つき、全身からは血を流している。
先ほどから聞こえる声も弱々しく、天使からはもう、なにも聞こえていないように思えた。
(これはチャンスなのか、それとも――)
保護するべきなのだろうか?
学園では傷ついた天魔を助け、仲間にするというケースが稀にある。
彼らは侵略者であっても、意思疎通が不可能という訳ではない。
彼らへの対抗手段であるV兵器の開発にも、寝返った天使の知識が関わっている。
何千年も生きる彼らの知識は膨大であり、人間にはない感性を持ち合わせていた。
保護し仲間に加えることが出来るのであれば、この侵略戦争に対し大きな力となり得る。
袋井はヒヒイロカネをそのままに、ゆっくりと顔を上げ、二体に近づいていった。
「ねえ、君たち大丈夫かい?」
声に反応し、顔を上げたのは悪魔の方だけだった。
額からも血を流している悪魔は、ギギギと声を出しながら頭を持ち上げ、袋井を見詰めた。
真っ黒な瞳に、袋井の顔が鏡のように映り込む。
(これはもう……)
首を振る袋井の顔には、諦めの念が生まれていた。
彼らは保護対象とも、ましてや敵対目標とも言える状況には見えなかった。
袋井はヒヒイロカネをしまい、二体の前に膝をついて座った。
動かなくなった天使と、袋井を見詰め続ける悪魔。
彼らは手をつないでいた。
ボロボロになっていても、その手を離していなかった。
(……報われないな、君たちも)
この侵略戦争で、天使と悪魔が直接争うことは少ない。
だが、裏切り者に対しては、別である。
どんな事情があろうとも、堕天し、はぐれものとなった存在は抹殺の対象になる。
彼らの絶対的狂気が垣間見れる瞬間でもあった。
この二体は、もう死ぬだろう。
袋井が出来るのは、ただそれを見守ることだけだった。
袋井は胸に詰まるなにかを吐き出すため、大きく息を吐いた。
流れ出る吐息は悪魔の顔へとかかり、その体毛を揺らした。
悪魔が少しだけ口角を上げたように見えたのは、ほんの一瞬だった。
(――えっ!)
驚いて身を引いた直後、天魔の体は発光した。
二体の光は一つとなり、袋井の胸へと襲いかかる。
膝をついていた袋井は避ける事が出来ず、その光を真正面から受け吹っ飛ばされた。
「がはっ!」
力は弱く、数センチも飛ぶことはなかった。
しかし、確実に袋井の心臓を突いていた。
「クソッ! なんだ!?」
心臓を押さえ、先ほどの二体がいた場所に目をやるが、そこには何もない。
(これは――いったい?)
立ち上がり、辺りに耳を澄ませても、寺は何事もなかったように静まり返っていた。
胸元に傷ひとつなく。痛みも、圧迫感もない。
(……嘘だろ)
状況を理解できたわけではない。
だが、天魔が、袋井に何かしかけたのは明白であった。
単独行動を行い、学園にも報告せず、自らをピンチに追い込んでいる。
かなりの重大なペナルティだ。
この状況を、安易に人に話せるものではないことは、袋井にも理解できていた。
(やっばいなぁ……)
ガクッと膝を落として、石畳に手をついた。
立て続けに起こる最悪の状況。
(もう、占いなんて絶対信じるもんか……)
心の折れる音を聞いた袋井の耳に、明るく爽やかな音楽が響いた。
先ほどとは違う――小躍りしたくなる携帯電話からの着信だ。
慌てて携帯を取り出し、通話ボタンを押す。
「はあぃ、袋井です!」
声が裏返った。
『袋井くん? 私、美月です』
「えっ、あっ、武田さん?」
急に背筋がピンとなり、袋井はまっすぐと立ち上がった。
耳に響く優しい声。
袋井の鼓動を、急速に早めた。
『どうしたの? 確か一緒に依頼受けてたよね? 全然姿が見えないんだもん……心配になっちゃって』
「あっ、うん。どうも道に迷ったみたいなんだ。もう依頼終わっちゃったかな?」
『うん。サーヴァントは、もう片付いちゃった。袋井くんは大丈夫?』
「あっ、もう全然平気! 僕のことなんて気にしなくていいよ!」
『そっか、良かった。じゃあ、学園でね。バイバ~イ』
プツリと通話は切られ、また虚しい風の音が聞こえる。
「えーっと、帰るか! ――はぁ……」
誰に言うでもなく気合を入れ直した袋井だが、どっと襲う心労が足取りを重くした。
周囲への警戒を怠っていた袋井は、その日生まれて初めて――パンダに襲われた。