第九話
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「……なんだ、これ?」
陽報館を見上げる少年は、呆れて開いた口が塞がらなかった。
月乃宮凌雅、11歳。
細いシルエットの女の子のような少年。長い前髪が片目を隠すように伸び、着るものはいつも動きやすいジャージを好んでいる。
自称・月乃宮恋音と袋井雅人の息子。
名前に反して外見はただの一軒家である陽報館は、稀代のがっかり物件である。
ボストンバッグを肩から下げている凌雅は、つまらない外装を唖然と眺めていた。
「凌雅君、荷物はそれだけなのかい?」
袋井に話しかけられ、ほんの少し不機嫌な顔を作って凌雅は振り返った。
「先生の装置は、そんなに多くの荷物を送れないって話だったからな」
「そうなんだ……。その――先生って誰だい?」
「ツキ先生だよ。俺達を送り出す装置を作ってくれた人」
(……そうなのか? 知らない名前だな)
袋井が思案顔で首を傾げていると、ゴロゴロと大荷物を抱えた少女が二人現れた。
小高い丘に立てられている陽報館は、前方が少し坂になっている。
フリルのたくさん付いたふわふわの服を着ているのは、土岐野玲那。同じく11歳。
天然のウェーブが掛かった髪を揺らす、髪も瞳も金色のフランス人形のような少女である。
玲那は、自称・土岐野世那と袋井雅人の娘。
大きなキャリーバッグをせっせと押している。
そのとなりでキャリーバッグを一緒に押しているのは、不破律花。
律花もまた11歳だが、子供たちの中では一番背が小さい。
頭の上で髪を結んで身長を誤魔化そうとしているが、それが返って幼さを引き出している。
玲那とは対照的に非常にシンプルな服装で、ここに来る前も常に動き回っていた落ち着きのない少女だ。
自称・不破怠惰の娘。もちろん、父親は袋井雅人だと言う。
(どっから、あんなに荷物持って来たんだ……?)
袋井は走って行き「手伝うよ」とキャリーバッグをひとりで押し、凌雅のいる場所まで運んでいった。
凌雅もキャリーバッグに目を見張り「どうやって転送したんだ、これ?」と首をひねっていた。
娘たちも袋井たちのもとに集まり、「ありがとう、パパ」と玲那は袋井の右手に抱きつき、「ずるーい」と律花は、袋井の左手に抱きついた。
袋井はされるがままに、苦笑いを浮かべた。
「袋井君、待たせたね。――それが例の子供たちかい?」
程なくして、袋井達の前に現れたのは、不破怠惰が最初であった。
なぜかキャリーバッグには枕が三つほど括り付けられ、かなりの大荷物を抱えている。
「やあやあ、子供たちよ。私が噂の不破怠惰ちゃんだ。――これから一緒に住む者同士、仲良く頼むよ」
子供たちは怠惰を確認すると、一列に並んで頭を下げた。
「月野凌雅です」
「布瀬律花です」
「常磐玲那です」
「「「よろしくお願いします!!!」」」
怠惰は感嘆の言葉を漏らし、「随分と礼儀正しい子たちじゃないかぁ~」と笑顔で子供たち全員と握手をした。
袋井は事前に、子供たちと話し合いをしていた。
要らぬ誤解を生まないため、自分たちの本名は明かさないで欲しいこと。
母親たちがいる場面では、袋井をオヤジ・お父さん・パパとは呼ばないで欲しいこと。
詳しい事情は聞かないから、迷惑を掛けることはしないで欲しいこと。
それらをお願いしたところで、「んなの、先生から事前に言われてるよ」と凌雅に突っ込まれてしまった。
にわかに信じ難いことだが、彼らは自分たちの存在をかけて、別々の未来から送り込まれたという。
お互い面識はなく、この世界ではじめて出会ったのだそうだ。
では、なぜ三人一緒に行動していたのか?
それについては、事前に先生なる人物から教えられていたという。
たどり着いた時代で、別の次元の同じような存在と必ず出会うことになるだろう。
まずは、三人で袋井雅人を探し出し、自分たちがどんな存在か伝えなくてはいけない。
そうしなければ、存在の危うい君たちは、母親たちに会う前に消滅してしまうだろう、と。
袋井からすると、自分の存在を掛けたサバイバルゲームをさせられているように思えるのだが、子供たちは至って和やかで、非常に仲が良いように見える。
(……彼らは本当に、僕の子供なのか?)
一番気になるのは、やはりそこであった。
久遠ヶ原学園は、様々な事情を抱えた子供たちがいる。
両親を天魔に殺され、保護された者。アウルの覚醒が異端とされ、捨て去られた者。救済する立場である撃退士に虐待され、学園への復讐を誓う者。
なかには、アウル覚醒者こそが人類を支配するべきだと信じ、テロを行う集団も存在する。
堕天使・はぐれ悪魔もまた、本当にこちらの味方となったと言い切れるかどうか信じ難い部分がある。
人工島内で起こるゲート事件や、使徒達による破壊活動は、学園内の天魔の中にスパイがいるのではないかという、憶測は後を絶えない。
仲睦まし目の前の三名も、もしかしたら袋井や他の面々に対し、攻撃の機会を伺っている破壊者であるという可能性はゼロではないのであった。
怠惰が子供たちの相手をしている様子を眺めながら、袋井の頭のなかでは嫌な想像がグルグルと回り始めていた。
「その子たちが、保護を頼まれた子供たちなの?」
そっと背後から声をかけられ、袋井は飛び上がるほどに驚いた。
音もなく現れたのは土岐野世那だった。
目を白黒させる袋井を見下すように「ねぇ、どうなの?」と斜に構えて再度、世那は尋ねた。
「そうだよ。生徒会から保護を頼まれた、天魔から命を狙われている子供たちなんだ。共同生活をする形で守って欲しいって言われている」
「……ふーん。生徒会がそんなことを依頼してくるんだ……」
「な、なにか、おかしい?」
「別に~。ただ、ヒジョーに珍しいなぁ~と思っただけぇ~」
隣に立ち、世那はほんの少し睨むような目つきで子供たちを見据えた。
唐突に現れた子供たちに、こちらの時代の居場所はなかった。
言い分が嘘か真か分からないにしても、幼い子供たちをそのまま放置する事は、袋井にはできない。
袋井は子供たちの事情をでっち上げ、ラブコメ推進部で保護することを生徒会に打診した。
通らないのではないかという不安をよそに、生徒会はすんなりと袋井の申告を受理した。
晴れて、子供たちはラブコメ推進部の保護対象者として、共同生活をする事になった。
「でも、意外だったなぁ。世那さんが一番、共同生活を嫌がると思ったのに――」
「あら、そんな事ないわよ。あたしは面白そうなことなら、なんでもこなすわ」
不敵に笑い、世那は飛ぶようにして子供たちの所へ駆けて行った。
世那を認めた子供たちは、また同じように綺麗にお辞儀をしている。
丁寧な挨拶に、世那もまんざらではない表情をしていた。
「……遅れ……ました……」
最後に現れたのは、月乃宮恋音だった。
彼女の荷物は、他の二人に比べて少ないように思えた。
袋井が「持つよ」と手を伸ばすが、恋音は頑なに拒んだ。
顔を赤らめ、はにかんで微笑むと荷物を持ったまま、子供たちの方へと走っていった。
背の低い恋音は子供たちと並ぶと、どちらが親なのか区別がつかないようにも思えた。
恋音は、まだ14歳。
親たちの中では最年少であり、息子という凌雅と三つしか違わない。
奇妙な共同生活の始まりに、袋井は釈然としない曖昧な苦笑いをするほかなかった。




