おまけ
「そういえば、独身女性はもう一人いますが、いかがなさいます?」
いいかげん諦めた、とは思えない王子に側近がようやく新しい情報を与えた。
全ての情報を先回りして知っていたのだから、ヴァイシイラ家のことを考えれば防げた茶番ではある。しかし、王子が予言に勝手に振り回されている間、国政は非常に円滑に進んでいたことを考えれば、側近の仕事としては褒められるべき沈黙である。また、ヴァイシイラ家の商売にとっても結果として悪い話ではなかったせいなのか、側近は呪いも嫌がらせも受けることはなく現在に至る。
「まだいるのか。六女か?」
「いえ、まさか、ユッカより若いのを紹介するわけがないでしょう。叔母ですよ、叔母」
「おば?」
「ええ、アベリア様たちの母親の妹に当たる方が、まだ独身だと伺っております」
「なんだ、ばばあか!」
そういい切った王子に、護衛と侍女があからさまに一歩後ずさり、また側近はあらぬ方向に視線を走らせ、王子と目を合わせないようにした。
「なんだなんだ、おまえたちのその態度は。事実じゃないか」
「王子より若いですよ、あそこの姉妹は少し年の差がありますから」
「だがなぁ、三十越えは必死だろう?今更そのようにとうが立った女を娶ったところで」
「王子、私は一切何もいっていませんからね。事実を申し述べただけですよ、事実を。ヴァイシイラ家にはまだ独身女性がいる、という事実を!」
切羽詰った側近の物言いに、王子は首をかしげる。
緊張感に包まれた側仕えのものたちと反比例するように、王子はどこまでも暢気な態度のままだ。
「非常に言いにくいのですが」
「なんだ」
襟を正し、側近は王子から少し離れて口を開く。
「そのヴァイシイラの女性は、帰らずの森の魔女スミレさまなのですが」
「な!」
王子は絶句し、椅子の上で腰を抜かした。
沈黙に支配された部屋では、侍女が職場を放棄したそうな顔色をし、騎士の額には嫌な汗が浮かんでいる。
帰らずの森、というのは何の変哲もないただの森に住居を構えたスミレが、寄ってくる人の多さに辟易し、様々な罠を仕掛けた結果、そう呼ばれることになってしまった哀れな森の別称だ。
罠には致死性のものはないのだが、どちらかというと作者の性格が悪い、と評されるものが多い。
紫の魔女の後継者と目されている彼女は、人と接することを極端に嫌い、森で優雅に隠遁生活をおくっている。
その姿を認識したものはなく、魔術師、という奇異な存在に対する神秘性があいまって、彼女の噂は巷ではありえないものとなって跋扈している。
今では、言うことを聞かない子供たちに言い聞かせる存在として人々の口に上る。
曰く、「言うことを聞かないと、帰らずの森の魔女に連れていかれるよ」と。
「私は何も言いません。知りません」
耳をふさぎ、静かに側近が首を振る。
「いやいやいや、あれは引きこもりだろう。まさか、ここまで」
「私は何も知りません、事実を申し上げただけです」
側近の声が徐々に小さくなっていき、いつのまにか王子の周囲には人がいなくなっていた。
護衛騎士ですら、扉近くに控えていなければいけないはずなのに、その背中はずっと遠いところにあるようだ。
「ちょっと、おまえら、仕事は!私を置いていくな!」
王子の絶叫がむなしく王宮に鳴り響く。
誰かの呪いと、誰かのいたずらに苦しむなか、王子は純粋に心労のため体調を崩すことが多くなった。
畏怖の象徴である魔女が、軽装でそのあたりをうろうろしているのは、ヴァイシイラ家に関連するものしかしらない。そもそも顔を認識されているわけではない彼女が、どのような格好でうろつこうとも世間が騒ぐわけはないのだけれど。
こうして、遅れてきた王子の嫁とり大作戦はことごとく失敗に終わり、後にはおもしろおかしい笑い話が一つ出来ただけであった。
ヴァイシイラ家はますます栄え、正反対に王子は徐々に貧相になっていった。
だが、政治に口を突っ込まなくなった王子は、国民に笑いを提供する存在として、国民から奇妙な愛され方をすることになった。
それが王位を継ぐとなった遠くて近い未来には、また別の騒動を披露することになるのだけれど。