三女・ルクレアの場合
ヴァイシイラ家の三女ルクレアという女性を端的に言葉で表せば、いわゆる華のような人であった。
造作そのもので言えば、恐らく次女のほうがよほど整っている。だが、彼女には天性の花、というものがあり、纏った雰囲気は彼女を非常に華麗に見せていた。
優雅に一礼をした彼女を見て、王子はほう、と息を吐いた。
「美しいな」
正直な感想に、ルクレアは笑顔で答えた。
長女も大概笑顔ではあったが、側近に言わせればはどう考えても商売用のそれであり、ルクレアの笑顔は心からのものと感じさせた。
「ごようとー、うかがいましたがぁ」
だが、その話し方は、優雅な外見とは非常にかけ離れたものだった。
後にねじがあれば回してやりたい、と誰もが思うほどゆっくりと間延びした話し方は、せっかちな人間がそろったヴァイシイラ家では珍しい部類だ。決して両親が教えたわけではないそれは、彼女の個性であり、特徴だ。実家ならば、彼女の考えを先回りし、最後まで話さなくとも用が足せる。それが結果として彼女ののんびりとした性格を悪化させたのだが、それで迷惑をこうむる人間はいない。
だが、ここには明らかに頭の悪い王子しか存在せず、噂以上の彼女の様子に側近もただ見守るばかりだ。
「癒される。おまえ、おれの側室になれ」
「そくしつってー、なんですかぁ?」
こういう性質の人間に癒されるのか、と納得した側近は、だがルクレアのあまりの返答に目を瞑る。
「俺の奥さんになれってことだ」
「おくさん?」
「そうだ」
だが、最初の心配をよそに、おっとりとしたルクレアと、頭脳がおっとりとした王子は非常に会話がかみ合うようで、一歩も進展しない内容をのんびりこつこつと交わしていく。
「なんで?」
「なんでって、おまえお妃さまになりたくはないのか?」
「それなに?」
「王子の奥さんのことだ」
「なんで?」
一向に進まない会話に痺れを切らした側近が、勤めて平静にルクレアに切り出す。
「つまり、この王子の奥さんになって、王宮で暮らして欲しい、といっているのです、これは」
「えぇ?」
小首を傾げた様は、憎らしいほどかわいらしい。
王子がにやけた顔をしていると、当初から全く変わらない笑顔でルクレアが答える。
「お歌は?」
唐突に問われ、王子が答えに窮する。側近は、やはり王子に渡された調査書が限りなく手を抜かれたものであることを確信した。
ヴァイシイラ家のルクレアと聞いて何も思い浮かばないほど世俗離れした人間が、まさかいるとは思っていなかったのかもしれないが。
「おまえは歌が好きなのか」
「大好きぃ」
かみ合っていないようで、かみ合っていると王子に錯覚させる会話が続く。
「どういう歌が好きなんだ?」
「恋の歌とかぁ、騎士さまの歌とかぁ」
にこにことした顔をしてルクレアが答える。
どちらも酒場や劇場なので人気の演目となる題材だ、ルクレアがそれを答えたとしてなんら問題はない。
「では一曲歌ってみろ」
上機嫌でルクレアに命令をした王子は、だがあくまでにこやかに返される。
「料金は?」
一瞬だけ真剣な顔をして、すぐににこやかな顔に戻ったルクレアの言葉に王子が絶句する。
どこの世界に、王子の御前での命令に、報酬を要求する人間がいるのだと。
側近が固まった王子に代わり口を挟む。できれば何事もなく通り過ぎて欲しかったのだが、致し方がないだろう。
「ルクレアさま、申し訳ございません。王子は知らないようですので」
低姿勢な側近に、ルクレアは華やかな笑顔で答える。
「どこの世界にただで技術を売るバカがいるものですか、っておねーさまが言ってたのぉ」
アベリアの声音をまねたルクレアのもの言いに、やはりアベリアの教育の賜物だったのだと、側近が引きつった頬をさする。
「その通りです。これにはよく言い聞かせておきますから、失礼をお詫びします」
無理強いをすれば、一時は彼女の歌に聞き惚れることができるが、法外な請求書が宮殿宛に届くに違いないことを確信する側近は、早々に白旗をあげる。
「ま、まあよい、妃となって隣で歌っていればいいではないか」
「なぜ?」
そして最初の会話の繰り返しにはまりこみ、側近はやはり眉根を押さえる。
「この人は宮殿に囲まれて、王子だけを相手に歌っていろ、とお願いしているのですが」
側近の端的な説明にルクレアは小首を傾げる。何も考えていないような笑顔が一端ひっこみ、無表情となる。
「だれもぉ、聞いてくれないの?」
「はい、もちろんです」
「なんで?」
「つまり、王子のような仕事をしなくちゃいけなくなるからです」
この王子がまともな仕事をしているはずはないものの、普通の王族はきちんとその役割を知り仕事をこなしている。その仕事の中に、国民に向かって歌う、などという項目は入ってはいない。
ようやく理解したのか、少し考えて嫌な顔をして、だがすぐに笑顔を持ってルクレアは返答する。
「いや」
「なぜだ!」
「だって歌えないもん」
「歌うのはかまわないと言っているだろう」
「みんなにー、みせれない、でしょ?」
王族が人前で歌う、ということはありえない。稀に神殿に下った王族が、神への賛歌を歌うことはあるが、そういう特殊な事情を説明する必要はないだろう。王子は、側室が欲しい、とわがままを言っているからだ。
「わたし、歌うの好き。だから嫌い」
そう言って、帰ろうとするルクレアを王子は引き止める。
だが、彼女の腕を掴もうとした王子の右手は、どういうわけか護衛騎士によって阻止された。
「失礼します、王子」
「無礼な!」
「ですが、王子、私はルクレアさまの歌を愛しております」
よくわからない言い訳をされ、王子は困惑する。
その隙にさっさとルクレアは部屋を出て行っており、のんびりした性質ながら、そういった瞬間を逃さないのはやはりヴァイシイラ家のものなのかもしれない。
「王子、彼女は街で有名な歌姫です。いくら王子でも彼女を民衆からとりあげたら、暴動がおきますよ?」
それほど、王家に威厳はない。
特にこの我がまま王子は国民に不人気だ。
頭がからっぽであったとしても、それを上回るほどの美貌があればまだよかったものの、そういったものは他の兄弟姉妹に吸い取られ、彼は非常に残念な容姿だ。おまけにこの傲慢な性格だ。全てが稚拙ゆえに、笑い話で片付けられてはいるが、周囲に少しだけ頭の切れる人間がいて彼をそそのかせば、事態は非常に深刻なものとなるだろう。
もっとも、そうならないための側近、ではあるのだが。
よくわからないままの王子を取り残し、騎士すらルクレアを追って部屋には居ない。
側近はとりあえず、当たり障りのない書類を持ってこさせ、その日一日署名をさせることで、小さな鬱憤を晴らすことにした。
「お前も反対なのか?」
「ルクレアさまですか?」
「ああ、あれほど華やかなのは、隣にいてこそだと思わないか?」
「その分王子の貧弱さが強調されますが?」
ルクレアと並び立つ王子、を想像して正直に答える。
「おまけにあの乳ときたら」
ルクレアを特徴付けるものの一つに、その豊満な体が上げられる。
どちらかというと華奢なだけの姉二人に対し、その中にも豊かな胸を併せ持つ彼女は、童顔とあいまって非常に怪しい魅力すら称えている。
「それに結婚を何度も繰り返している人間は、さすがに王家が開かれているとはいえ迎えいれるわけにはまいりません」
本当は、他のところに理由があるのだが、側近は敢えてわかり易い理由を説明する。
「はぁ?あれはまだ若いだろうが」
この国の婚姻年齢は他国と比べ非常に高い。
それは温暖な気候と、緩やかな性格によるものだろうが、きわめて早く結婚する人間と、遅くする人間が同程度に存在するせい、でもある。女は結婚してこそ、といった風潮がないここでは、居心地の良い実家にいつまでも娘が居座ることを悪とはしない。いや、いっそ子供さえもうければ、嫁に行かずとも良い、と考える富裕層があるほどだ。
「しかも子持ち」
「は?はあああああああああああああああああ?」
王子の間抜けな絶叫が響く。
「一男二女」
「って、ほんとうなのか?」
「こんなことで嘘ついてどうするんですか。貴方をだましても何の得にもなりはしません」
呆れて言う側近の胸倉を掴みつつ、狼狽した王子はルクレアの笑顔と豊かな肢体を思い出す。
あれで子持ち。
糸が切れたかのように専用の椅子へへたり込む。
「報告書には記載されていなかったが」
「調べてないんでしょ。そんなことは下町の猫でも知ってます」
ルクレアが結婚離婚を繰り返す恋多き女だ、ということは有名な話だ。なにせあのヴァイシイラ家の美女、おまけに本人は誰をも虜にする声をもつ歌姫だ。知らない方がどうかしている。
やはり、王子が頼んだ文官は、何の調査もしていない、どころかおもしろがって知っていることすら書いていないようだ。
「あきらめました?」
「・・・・・・ああ」
書類を用意し、八つ当たりを開始した側近に王子の懲りない一言が投げつけられる。
「だが、まだ二人残っている!」
側近が書類を握る手に力が篭ったのも致し方がないことだろう。
ちなみに、ルクレアが彼女を追っていった護衛騎士と三度目の結婚をするのはまた別の話。今度こそ家人に認められ、まっとうな婿として迎えられた彼は、その職業とは違って非常に波乱万丈な人生を送ることとなった。