次女・ダリアの場合
ヴァイシイラ家の次女ダリアは、一言で言えば非常に変人である。
そんなことは、ある意味高名な彼女において、ほとんどの人間が既知のお約束である。
だが、王子に調査書を渡した人間は、面倒な、いや、基本的な調査すら嫌がったのか、そこには名前と年齢、職業しか記されていない。王子に時間を割く必要性を感じなかったのか、彼の好奇心を刺激したまま全てを側近へと丸投げしようとしたのか。どちらかといえば後者の可能性が高く、側近は王子が持つ限りなく薄い調査書を見下ろして眉間を押さえた。
複雑な事情や心情が絡みあってごった煮になっている状態にもかかわらず、それに気がつかないのは嬉しそうにダリアを見つめる馬鹿王子、だけである。なにせ、ダリアはその容姿だけは非常に温かみのある美貌を備え、黙っていれば人当たりの良い美人、で通ってしまうからだ。その錯覚も一呼吸する間もないほどの速さで壊されてしまうのだけれど。
「醜いロバ?」
やはり開口一番、ダリアは王子に向かってそう吐き出した。
確かに、王子はどちらかというと草食動物であるところのロバ、に似た風貌をしてはいるが、それにわざわざ形容詞をつけて本人に告げる人間はいない。
「な!」
案の定、王子は盛大に引きつり、それに引き換えダリアは面倒くさそうな顔をしたままだ。
「何の用?」
全く敬意を払う様子のないダリアを、珍しいものを見るかのように眺め、王子が満足そうな顔をする。
「気に入った、おまえ側室になれ」
「断る」
最短で誘いを断ったダリアは、話は終わったとばかりに踵を返す。
「まて、まてまてまてまて。妃になれるのだぞ?」
振り返って胡乱げに王子を視線を合わせ、ダリアが口を開く。
「何の得が?」
「いや、王室に入れるのだぞ?」
「予算使い放題で、実験も研究もできるのか?」
「いえいえ、ダリア様、最近奥向きの予算は縮小傾向にありまして」
指一本王子に触れさせず、なおかつ小手先の理屈で予算を使いたい放題するダリアの姿が容易に想像できてしまった側近は、慌てて突っ込みを入れる。
ダリアは、国の研究機関に所属する学者であり、魔術師である。
その稀有な能力は、非常に有効な薬や道具などを生み出しており、高額な資金が流用されてはいるが、費用対効果としては非常に満足できるものとなっている。その調子で奥向きで好き勝手されれば、その意味も効果もわかろうとはしないできの悪い側室たちが勢いづき、予算を寄こせと大騒ぎをするだろう。想像だけで気力が削がれたかのような側近が、王子の隣で項垂れる。
「だったら何の得がある?」
「王子の妻になれるのだぞ?」
「それが?」
いくら政治的権限がないとはいえ、王家は王家である。
王子と言えば女の子の憧れであり、御伽噺の定番だ。それを一刀両断して切り捨てるダリアは、いささか情緒に欠ける部分があるといわざるを得ない。見た通り容姿や頭脳が残念だとしても、王子は王子だ。だからといって側近が同じ立場に立てば、同じ速度で拒否しているのは間違いないはずなのだが。
「時間の無駄。あんたのせいでどれだけの銭が無駄になったと思っている?」
ダリアは美麗な顔を非常に不機嫌に歪ませ、王子を睨みつける。
時間と金を等価に扱うあたりは、さすがに商人一家の出身だけはある。
「おまえ、俺にそんな口を聞いても知らないからな」
『猿以下だな』
そのあとの猿に申し訳ないか、という呟きの前の聞きなれないダリアの言葉に、二人とも首をひねる。
その言葉は、この国の公用語でも方言でも、また彼らがしる他国の言語でもないからだ。
ダリアの祖母、サユリがどこか遠くの国からやってきたことは周知の事実ではある。しかし、サユリの祖国が、ここではないどこか、だと知る者はヴァイシイラ家の人間しかいない。当然異なった言葉を話し、当初は祖父が非常に苦労したということは、のろけ話とともにダリアも知っている。
そのサユリの故国に興味を持ったのはダリアと、四女のセリであり、彼女たちはよく強請っては彼女の故郷のことを聞きだしていた。その中にはサユリの母語があり、その簡単で難しい言語にとりつかれたダリアとセリは、出来うる限りの知識をサユリから引き継いだ。徐々に話せるようになると、母語で会話が出来ることを喜び、女同士の秘密、と称して家族たちにもわからない秘密の言葉、サユリの母語で会話をすることが楽しみでもあったのだ。
今、あえてその言葉を使って悪口を吐き出したのは、理解されてはまずい、と思ったわけではなく、ダリアが考えるところに、その言語が悪態について非常に豊富な語彙をもっているせいである。
彼女は改めて共通語を口に乗せる。
「ばかだろ?おまえ」
彼女は言い捨てて、そのまま勝手に部屋を去っていった。
残された王子は、驚きに固まっており、側近はやはり深いため息をついた。
「あれは、あれはいったいどういう女なんだ!」
最初の印象が良かった分だけ、その落胆は大きかったようで、声を荒げ側近に怒鳴りつける。
「ダリア様でしたら、高名な学者でしょう。王子も随分とお世話になっているはずですが」
「知らん!そんなものの世話にはなっておらん」
「王子はよく熱を出しますでしょう?そうしたら医師から熱さましの薬をもらいますでしょ?」
「あの魂がひっくり返りそうなぐらい苦い薬のことか」
「それです。あれを作ったのが彼女ですよ」
「なんだと!あんなまずいものを世に出すだなんて、どれ程悪党なんだ」
「だからあなたは馬鹿なんですよ」
あっさりと言い切り、側近は懇々と説明を施す。
曰く、彼女によって開発された新しい熱さましは、害も与えず、確実に効くと評判の薬であり、それにより高熱によって齎される様々な後遺症も随分と軽減されたと評価されている。何よりその製法により、薬価が非常に安く抑えられ、庶民にも十分手の届くその薬は、まさに神の贈り物として広く愛されている。
それを、どういうわけか国家管理ではなく、ヴァイシイラ家が一手に取り仕切っているというのは、研究員たちがぼんくらだったせいでも、長姉アベリアが優秀すぎたせいでもあり、当時を思い出し側近は王子に八つ当たりをしたい気分に駆られる。
「それに大体ダリアさまの頭脳をあなたが御せるはずはないでしょう」
「お前も大概失礼なやつだな」
「正直なだけですよ、私は」
不毛な会話が繰り返され、側近はため息をつく。
王子は、これをいつまで続ける気だと。
側近の記憶が確かならば、あの有名な一家には五人の娘がいたはずだ。
すでに長女には体よくあしらわれ、次女には見下げられた。
残り三人の反応を想像して、側近は眉間に皺をよせた。