長女・アベリアの場合
アベリアは祖父の代で築き上げた商家ヴァイシイラの跡取り娘であり、サユリの長女の長女にあたる。比較的男女差別のないこの国においても、女性が跡をとる、ということは珍しい部類に入り、また、それがヴァイシイラ家ほどの規模ともなるとなおさらである。それは祖母がこの家に取り入れた思想によるところであり、能力のあるものが男女、生まれ順に問わず跡を継げばよい、ということがヴァイシイラ家の家訓ともなっているからである。
その点、アベリアは、非常に優秀な商人であり、また情にほだされないある程度冷酷な性格は、商家としてうってつけである。長子、ということを抜きにして考えても、その適正から彼女がヴァイシイラを継ぐことに異議を唱えるものはいない。
彼女は今日、王家からの呼び出しに粛々と応じ、控えの間にて待機中である。
高そうな装飾品に囲まれた部屋に萎縮してしまうものも多いなか、軽んじられているとはいえ王家からの招聘、という圧力をものともせず、アベリアは艶やかな笑顔を称え、ゆったりと椅子に座していた。
ことの起こりは、珍しく一族が揃った食事会の出来事に遡る。
王家の使いだ、という使者の尋ね人は、アベリアの祖母であった、というなんとも間抜けな話は、酒席での笑い話になりこそすれ、それを気にするものは一族の中には一人もいなかった。
それが、どういうわけか適齢の女性は全て王宮を訪ねてくること、という横暴ともいえる呼び出しがヴァイシイラ家にかかり、彼女はとりあえず、ということで様子伺いにやってきたのだ。
状況把握すらできずに、妹たちを危険な目にあわせるわけにはいかない。一家の長としての矜持が、彼女にここへ足を運ばせたのだ。半分以上好奇心、といったもので満たされているのだが。
呼び出しておいて散々待たせる王宮側にかすかな不快感を抱くものの、それを微塵もみせることなく、おっとりとようやく呼び出された彼女はどこか別の部屋の扉をくぐる。
「顔を上げよ」
男の声でそう告げられ、彼女は華やかな面を男に向ける。
そこには、彼女が知りうる情報と合致する、王家の跡取り、第一王子がふんぞり返って座っていた。
「他のものは?」
「おいおいとまいりましょう。ヴァイシイラ家の跡取りとして、殿下にまずはご挨拶を」
形式的な挨拶をやりとりし、アベリアは笑顔を称えて王子を見据える。
「サユリという女がおまえの祖母だというのは確かなのだな」
尊敬すべき祖母を呼び捨てにされ、内心思うところはあるものの、アベリアは静かにその質問に答える。
「はい。確かに特徴を考えれば、祖母だと思われます。そのようなものは今ではヴァイシイラ家にはおりませんし。何よりその名前が祖母以外を指すとは思えません」
この国でサユリ、という名前は非常に珍しい。いや、いないといって差し支えない。
彼女はどこか遠くの国からやってきた、というのは誰もが知る事実ではあるが、その遠くの国、というのがこの世界のどこにもない国であることを知るものはヴァイシイラ家の人間だけである。
ある日突然祖父の目の前に現れた少女は、まるでこの国の言語を解さず、また全てがこの大陸に育ったものとしてはありえない習慣、思考をもった女性であったことは、のろけ話として祖父に嫌というほど聞かされている。
「ところで、おまえは独身か?」
「いえ、夫がおりますが」
あっさりと答えたアベリアに、王子はあからさまに落胆する。
アベリアが、さっさと商人として優秀な男を婿としてとったことは有名な話である。金持ちの美しい娘であるアベリアが結婚した際には、枕をぬらす男が両指の数では足りないほどいた、というのは笑い話ではあるが。
「そう、か。おまえならちょうどよいと思ってのだが」
ここにきてようやく、アベリアは王子たちの狙いを確信した。
いや、薄々感づいてはいたが、よもやそれほどまで阿呆な理由で呼び出されたとは信じたくなかったのだ。
紫の魔女の予言、を成就させるべく、サユリの血縁を狙って縁談を持ち込もうなどとしている、とは。
予言などなくともこの国は議会が適切に運営しているし、所詮彼らはお飾りだ。
お飾りはそれらしく、それなりの嫁を娶ればよいのだ。
決して、アベリアのような見目はよくとも野心のある女を引き入れてはいけない。
アベリアは、王宮に入り込んだのち、他大陸にさらに支店を広げる夢を一瞬だけ計画し、この男と寝室を供にせねばならないことに気がついてしまい、わからないように頭を振る。
「私は失礼しても?」
「下がってよい」
顔もあわさず、落胆したままの王子に退室を求められ、アベリアは大人しくそれに従う。
多忙を極める商人を呼び出し、数刻の時間を無駄にさせた王子は、その代償を美容、宝飾用品を売り倒したアベリアの商魂に払うこととなった。
「既婚とはおしいことをした。私にふさわしい女だったのに」
アベリアが帰り際にせっせと商売活動をしている中、この国の世継ぎである王子は、アベリアの顔を思い出しながらためいきをついていた。
「何をとぼけたことをいっているんです。分不相応という言葉を覚えなさい」
側に控える側近が顔色も変えずに言葉を挟む。
「あれが商人の出だとしても、側室ならば気にしないぞ」
「逆ですよ逆。あれほど優秀な女性がお飾りのぼんくら王子に嫁ぐ意味がない。寝言は寝てからおっしゃってください」
言葉遣いは丁寧だが、辛らつな言葉を吐き出す側近は、才も家柄も十分ながら議会と王家、この残念な第一王子をつなぐ中間管理職のような立場に捨て置かれている。
ここの王家は確かに象徴として議会の上に君臨している。
だが、代々の王たちはそこに大したくちばしを突っ込むことはせず、対外的に装飾品のように威厳をまとって存在すればよい、ということを自覚している。慈善事業や文化活動には熱心で、その代わりに政治にはかなり疎い。
だが、この王子は中身が全く伴わないにも拘わらず、議会において権限をもつことをたくらんでいる迷惑な野心家だ。ことあるごとに余計なちょっかいをかけ議会を混乱させ、ひいては国民生活にまで迷惑をかける。それを解消すべく、あてがわれたのが側近であり、貧相な王子の隣で眉間に皺を寄せて立っている細身な彼である。
政治家として優秀であり、なおかつ家柄の良い彼がこの位置に立ったのは、運が悪いとしかいいようがない。どれ程同情はしても誰も交代してはくれない役目なのだから。大きな子供の守をしているかのような毎日は、彼の眉間の皺を深くし、ため息の数を増やす。
「だいたい、側室はもういるでしょう?」
「・・・・・・あれは、まあ」
権力者の常として、女は必要だな、という単純な理由で、家柄の良い娘たちを娶ったはいいが、彼はその奥向きを一向に掌握していない。寵を競う、のではなく、己こそが一番だと勝手に競い合った妃たちの浪費は、目に余るものがあり、側近が手配したものによる粛清により一段落したものの、今だその火種は燻っている。
彼は、数名居る側室を把握もせず、まとめることもできないくせに、紫の魔女の予言を頼ってまた馬鹿なことをしているのだ。
「あのばあさんがぼけてたのはご存知でしょう?」
時間軸のずれた予言は、全くあてになるものではなく、過去の出来事であれば、それはただの歴史書の文言に他ならない。
「いや、そんなことはないぞ。私はあれを信用しておる」
何を馬鹿なことを、という言葉を飲み込み、ただ深く息を吐き出す。
「だいたい、少し調査すればヴァイシイラ家ほどの人間はすぐわかりますでしょ?やり手の当主を呼び出して、何をしているのですか、何を。私ですらアベリアさまが結婚していたことは存じておりました!」
「そんなことは一言も書いてなかったけどなぁ」
王子はやけに薄い調査書に目を落とす。
「まあ、いいんですけどね」
あなたの気が紛れれば、という言葉をあえて黙し、側近は次の仕事へと王子をせきたてることにした。