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1:遅れてきた訪問者

 日和の丘を覆う濃い霧は、いつまでたっても晴れなかった。


 時が過ぎるにつれ、霧は白い輝きを鈍らせ、物憂げな暗い乳白色へと姿を変えていった。

 そろそろ夕刻に差し掛かる頃である。

 この日、村の重要行事である日和試し(ひよりだめし)の儀は滞りなく終わったかに見えた。


 村の西のはずれにある広場に設けられた会場には、日和試しへ参加した鳥使い達と見物に集まった村人達でまだ賑わっているはずなのだが、濃い濃霧が人の営みをすっぽりと覆い隠してしまっていた。

 それを、深い渓谷を挟んだ対岸に居並ぶ6,000米級の峰々より見下ろせば、その小さな村は、アンデスの山中に取り残された無人村のように見えた事だろう。


 会場の隅に貼られたテントの下では、とうもろこしから作られた酒であるチチャを片手に、酔いも回って談笑する男達の間から時折甲高い笑い声があがっていたが、それも霧の厚いベールに吸い込まれてしまい、今、村の大通りを行く一人の小さな人影にとって、すでに会場は無人であるかもと疑念を抱かせた。

 その人影は、おぼつかない足取りでころびそうになりながらも、精一杯 歩を急いだ。


 濃霧は世界を小さく見せた。その小さな居心地の中で、村の男達は奇妙な安らぎを感じていた。


 このコロ村では、村を上げて興される豊穣祭を一週間後に控えていた。低地に植えるとうもろこしと高地に植えるじゃがいもが共に豊かに実り、村の民が次の一年を健康に暮らせる事を山の神に祈願する、年に一度の大行事だった。

 豊穣祭となれば三日三晩、村の者達が総出で踊り明かす。誰も皆、コンドルやリャマ、古代の神や悪魔に扮した色鮮やかな意匠を身につける。それらの中には、一年かけて作り込んだ逸品も少なくない。

 生贄の儀式も執り行われる。身重のリャマが引き出され、生命の循環の象徴であるその胎児を祭壇に供えて、コカの葉で燃し山の神に捧げる。

 祭りも終盤になると、村人の誰もが体力を尽くしクタクタになる。それでも踊り続け、ケーナに合わせて歌い、ひたすら祈る。山の神と精霊を称える為に。その怒りを鎮める為に。大地の恵みに心からの感謝を示す為に。

 コカの葉とチチャの作用で村人の魂は渾然一体となり、気が遠くなり口から泡を吹いて倒れそうになりながらも、ひたすら地面を踏み鳴らし、手拍子を叩く。それは生命の営みを今日まで与えてくれた、神と精霊への敬愛であり、恐れであり、懇願だった。


 そんな豊穣祭のクライマックスとなるのが、”日和の儀”と呼ばれる儀式だった。

 これには、”鳥使い”と呼ばれる職の者がその任にあたる。

 それは年にたった一度。村の命運を決めると言っても過言ではない重要な儀式、日和の儀。それを執り行う栄誉をさずかるのは、特別に選ばれたただ一人の鳥使いのみであった。


 鳥使い。

 それは、精霊達の住まう天空に抱かれる事を唯一許された生き物である鳥を通して、精霊の声に直に触れる事を生業とする者たちの総称だった。


 生贄の儀式が厳粛な手順に則って行われるように、鳥使いによる”日和の予知”もまた、古来からの言い伝えを守った厳粛なものであった。

 いわく、鳥使いに使われる鳥たちは精霊に触れる神聖な身であるから、専用に育てられ選ばれた鳥を用いなくてはならない。

 いわく、鳥を精霊のもとに放つには、祈りによってその許しを得なければならない。

 いわく、精霊の機嫌を損ねないよう、鳥の舞は整然とした列を成し、荘厳で美しくなければならない。


 そして鳥使いは、天界と交わり一体となった鳥たちの舞いと歌声を通し、精霊の声に触れなければならない。そして何よりもその意味を”解釈”せねばならない。

 そうする事で初めて、山の神と精霊のきまぐれである日和‥、つまり天候の変化を”前もって知る”事が出来るのだ。

 これはまことに高度な適正を要する職業であり、要領を知れば誰でもこなせる仕事などではなかった。


 こういう仕事であったから、同じ鳥使いであっても自ずと技量の差というものが出てきてしまう。

 それは仕事の依頼の数に現れ、農民達ひいては村人達の信頼の度合いの差となって現れる。

 すなわち、優れた鳥使いというものは同時に、村における有力者ともなるのだった。


 この村ではカネス・カスティジェホスがそうだった。

 カネスは、今しも5杯目のチチャに手を伸ばした所だった。誰からも親しまれている丸々とした顔とその人懐っこい笑顔は、長年コロ村における日和仕事を一手に引き受けた自信に裏付けられたものだった。

 強い立場にある者はいくらでも周囲に親切にすることができる。カネスはその哲学を存分に発揮して、コロ村の農民達との間に揺ぎ無い信頼関係を築いていた。

 その地位は村の長であるヤトゥーリにこそ及ばないものの、そのヤトゥーリの後を継ぐのは彼しかいないと村の誰しもが思うところであった。


 テントに吊るされたランプは日中にもかかわらず灯され、そのぼんやりとした明かりを受けたカネスの、恰幅の良い腹に負けずふくよかな赤い頬を照らした。カネスの吐き出す息でランプの炎が加勢を増すのではないかと思われた。


 カネスの周りを取り囲む男たちもまた、鳥使いであった。

 今日の”日和試し”には、ここの鳥使い全員が出場して、すでに各々が日和を読み終わっていた。


 日和試し。

 それは、むこう一週間の日和(天気)を各自が予知し、その正確さを競う儀式だった。


 その結果は、7つの結び目がある紐へ色分けされた貝殻を挟む伝統的な方法で「翌日は晴れで温かい、翌々日は曇で寒い」といった日和の予知を表現し、その紐は村長であり村の主席シャーマンでもあるヤトゥーリの手に託され、一週間後の豊穣祭の時まで大切に保管される事になる。

 豊穣祭は一週間後だから、その頃には鳥使い達による各自の日和予知がどの程度正確であったか判明する。

 その結果を元に、その年の豊穣祭で”日和の儀”を任される鳥使いが決定される運びとなっていた。


 とはいえ、この村で長年日和を詠んで来たベテランであるカネスの右に出る者はなく、結果はすでに出たと言って良かった。

 カネスを取り囲む鳥使いたちもそう思っていたし、それをくやしがる者もいなかった。

 金銭を含めこまごまとした面倒を何かと見てもらっているカネスに対して、誰しも恩義があるし、実のところカネスもまた、日和の儀を任されるための根回しに余念が無かったのだった。

 それを「不正」と呼ぶ野暮な村人はおらず、カネスを引き立てる鳥使い達の誰もが異論など持たなかった。


 カネスが日和の儀を任されれば、それは自動的にコロ村における”主席鳥使い”の座に今年もまた収まることになる。

 そうなればまた一年間収入が約束され、農民達からお礼の作物や特別の引き立てに伴う金品の実入りが見込める。そしてそれらは、他の鳥使い(我が愛しき仲間達よ)に対する”袖の下”の元手となるのだった。

 息子のカチャもだいぶ大きくなってきた。このまま主席鳥使いの座を維持出来れば、カチャへ役目を引き継ぐのもすんなりいくだろう。(愛する息子よ。我が愛しき村人達よ)


 カネスはすっかり上機嫌になっていた。すでに6杯目のチチャを飲み干し、お代わりをもらう為に腰を上げた。カネスの尻から開放された木と籐の椅子はきしみながら元の高さへ少しでも戻ろうとした。


 給仕役の女は見当たらなかった。さっきまでチチャをなみなみとたたえていた樽は空になっている。カネスは悪態をつくと、テントの外へぶらりと出た。

 ほてった頬に冷たい霧がここちよかった。辺りは濃密な霧で見通しがあまり効かない。日はすでにアンデスの高嶺の影に隠れてしまい、広場は急速に薄暗くなってきていた。


 そろそろ日和試しの儀を締める頃合いではないか‥。そう思ったカネスは、役員席に静かに座っているヤトゥーリの元へ歩きだした。足元がおぼつかない。


 ふと、カネスの視線の隅に何やら見慣れぬものが写った。

 村の広場はそれほど広くない。

 それほど広くない広場が、ミルクの様な霧に包まれますます狭く感じる。それは奇妙な居心地の良さをかもしていた。

 その霧の中に、すっと黒いシミが出来た。それはだんだん大きくなると、頭からコートを羽織った小さな人影になった。


 フードを目深に被った人影は、奇妙にぎこちない足取りで広場の中央まで歩いてくると、立ち止まった。

 束の間 辺りを見回したかと思うと、急に声を上げた。

 「”日和試し”の会場はこちらでよろしいですか? 」

 その高く澄んだ声は、厚い霧を通して広場の隅々に届いた。まぎれもなく若い娘の声だった。


 カネスは、酔いが回り赤くなった目でその人影を凝視した。目をゴシゴシとこする。

 おかしな奴だと思った。

 頭の上に、小鳥が一羽停まっている。


〜続く〜

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