第3話:ゴミ箱に群がる不燃ゴミたち
「……クレア・ヴィクトリアめ。たかが男爵令嬢の分際で、最後に生意気な口を利きおって」
王城の執務室。
第一王子である私は、忌々しい記憶を思い出しながら、苛立たしげに羽根ペンをインク壺に叩きつけた。
数日前、大広間であの女に婚約破棄を突きつけた時のことだ。
私と愛しのモモに向かって、あの女は得体の知れない青白い炎を放ち、「灰にしてやろうか」などと脅しをかけてきおった。
父上(国王)があの場に駆けつけなければ、危うく大惨事になるところだった。
「父上も父上だ。あんな小娘の脅しに屈して平謝りするとは。一国の王として情けないにも程がある!」
私はドンッと机を叩く。
あの後、父上は私を執務室に呼び出し、激怒した。
『お前は自分が何をしたのか分かっているのか! あの御方は我が国の……いや、何でもない! とにかく、二度とヴィクトリア家に関わるな!』
そう言って、私を半ば軟禁状態にする始末。
だが、私には分かっている。
あの青白い炎は、きっと何かの魔導具を使ったハッタリだ。由緒正しい王族である私を本気で燃やせるはずがない。
それに、私にはもうあの冷酷な女は必要ない。なぜなら、私には真実の愛があるのだから。
「殿下ぁ……お仕事、お疲れ様ですぅ」
執務室の扉が開き、甘い香水の匂いと共にモモが入ってきた。
侯爵家の令嬢である彼女は、フリルがたっぷりとあしらわれた新品のドレスを着て、私の腕にすり寄ってくる。
「おお、モモ! 今日も愛らしいな。あの忌々しい女に汚されたドレスの代わりは、気に入ってくれたかい?」
「はいっ! 殿下が新調してくださったこのドレス、とっても素敵です! ……でもぉ、私、まだあの日のことが怖くて……。クレア様、本当に私を灰にする気だったんじゃないかって……ひぐっ」
モモが私の胸に顔を埋め、上目遣いで涙ぐむ。
ああ、なんて可憐で守ってやりたくなる存在なのだ。あの常に無表情で、可愛気のかけらもないクレアとは大違いだ。
「安心しろ、モモ。あんな女、二度と王城には立ち入らせない。私が必ず君を守ってみせる!」
「殿下……! ああっ、私、殿下と結ばれて本当に幸せですぅ!」
私が力強く抱きしめると、モモはうっとりとした表情で微笑んだ。
「失礼いたします、殿下」
その時、執務室に恰幅の良い中年の貴族が入ってきた。
ガルベス子爵だ。彼は最近、私を熱心に支持してくれている有能な側近の一人である。
「おお、ガルベス子爵か。どうした?」
「はっ。実は、殿下のご婚約を祝して、いくつか『有益な提案』を持参いたしました。……少々、裏の資金繰りに関わる話なのですが」
ガルベス子爵は揉み手をして、いやらしい笑みを浮かべた。
彼は以前から、関税の引き下げや、特定の商人への便宜を図るよう私に進言してきていた。クレアが婚約者だった頃は、「不適切な癒着ですわ」などと小言を言われて却下されていた案件だ。
「殿下、ガルベス様は私のお父様とも親しくしてくださっているんですよぉ。殿下のお力になれるなら、ぜひお話を聞いてあげてくださいな」
モモが私の腕に絡みつきながら、甘ったるい声で後押しする。ガルベス子爵が入室するタイミングに合わせたかのように、実に自然な助言だった。
――いや、たまたまだろう。モモにそんな計算ができるはずもない。この愛らしく無垢な少女に。
愛するモモの頼みであり、私を支持してくれる忠臣の提案だ。無碍にするわけにはいかない。
「……ふむ。分かった、話を聞こう。クレアの小言がないと、こうも政務が円滑に進むとはな」
「殿下のご英断に感謝いたします! では、早速ですが……」
ガルベス子爵が持ち込んだ書類に、私は次々とサインをしていく。
それは、国境警備の予算削減や、一部の貴族への免税特権など、本来であれば国を傾かせかねない危険な法案ばかりだった。
だが、今の私にはそんなことは分からない。
私を称賛する甘い言葉と、モモの笑顔さえあれば、自分が正しい道を進んでいると信じて疑わなかったのだ。
* * *
「……というわけで、現在王城の『ゴミ箱(第一王子)』には、面白いようにハエ(腐敗貴族)が群がっているようです」
同じ頃、ヴィクトリア家のサロン。
執事のシリルが、紅茶を注ぎながら淡々と報告を上げていた。
「ガルベス子爵を筆頭に、これまでお嬢様が目を光らせていた『不燃ゴミ』たちが、水を得た魚のように王子殿下に取り入っています。殿下もモモ嬢の甘言に乗せられ、言いなり状態で次々と不正な法案にサインをしているとか」
「……想像通りの展開ですわね」
私は焼きたてのスコーンにクロテッドクリームをたっぷりと塗りながら、優雅に微笑んだ。
「私が婚約者という『蓋』をしていたからこそ、あのゴミ箱の中身は外に漏れ出さずに済んでいたのに。自ら蓋をこじ開けて、悪臭を放つゴミをかき集めるなんて……本当に救いようのない方」
スコーンを一口かじり、ふと窓の外を見る。
――殿下にも、まだ汚れきっていなかった頃があったような気がする。婚約が決まったばかりの、幼い頃。
……いけない。感傷は心の曇りの元ですわ。
「いかがなさいますか、お嬢様? このまま放置すれば、国庫が傾くのも時間の問題ですが」
シリルの問いに、私は紅茶を一口飲んでから答える。
「しばらくは泳がせておきなさい。中途半端に片付けるより、ゴミ箱が完全に満杯になってから、箱ごと『焼却処分』した方が効率的ですもの」
私の言葉に、シリルは「おっしゃる通りです」と深く一礼し、背後に控えるリタも無言でハサミをチャキッと鳴らした。
「それに、国王陛下から直々に『特命』が下るのも、そう遠くないはずですわ。……さあ、大掃除の準備を始めましょうか」
私は窓の外の、淀み始めた王都の空を見つめながら、楽しげに笑った。
次に王城へ向かう時は、本当の意味で塵一つ残さない完璧なお掃除を見せて差し上げましょう。




