第5話 男篠宮・覚悟を決める
紗彩の身体を強く抱きしめる。
柔らかな感触と、石鹸の香りに包まれて、胸の奥がじんわり熱くなる。安らぎと高ぶり――相反する感情が、同時に込み上げてきた。
ドライヤーで乾かした髪からふわりとシャンプーの香りが広がり、俺の理性を心地よく溶かしていく。どうして女の子の匂いというのは、こんなにも胸をざわつかせるのだろう。
「嬉しいです。篠宮さんが、私を大事に思ってくれてるのが……ちゃんと伝わってきます」
潤んだ瞳でそう囁く彼女に、心臓が大きく跳ねた。
長い間、抑えてきた気持ちが決壊する。
「紗彩……俺も、ずっと君を想ってた」
気づけば、自然に唇を重ねていた。
最初はぎこちなかったけれど、彼女は目を閉じて受け止めてくれる。やがて、確かめ合うように何度も触れ合った。
抱きしめる腕の中で、小さな肩がかすかに震えている。
怖さと嬉しさが入り混じっているのだろう。俺も同じだ。
「年齢差とか、色々理由をつけて逃げてきた。でももうやめる。……紗彩、俺は君を愛してる。これからも、俺の隣にいてくれるか?」
「はい……ずっと。私も、愛してます」
答えを聞いた瞬間、胸がいっぱいになった。
あまりに真っ直ぐな想いに、言葉が続かない。
互いの気持ちを何度も重ね合わせ、夜は静かに更けていった。
――そして翌朝。
目を覚ますと、隣に寄り添う紗彩の寝顔があった。
安らかな寝息を立てるその表情を見ているだけで、心の奥底から幸福が込み上げてくる。
(……夢じゃない。俺は本当に彼女に想われているんだ)
胸の奥で、確かな鼓動が響いていた。
紗彩の身体を強く抱きしめる。
柔らかく温かな感触と、石鹸の残り香が鼻腔をくすぐり、心臓の鼓動はますます早まっていった。
彼女の髪から漂うシャンプーの香りは、どこか甘やかで、胸の奥に眠っていた欲情と安らぎを同時に呼び覚ます。
「嬉しい……篠宮さんが、私を想ってくれてるって、ちゃんと伝わります」
潤んだ瞳でそう囁く紗彩に、胸の奥が熱くなった。
ただ名前を呼び合うだけなのに――それだけで心が満たされていく。
「紗彩……痛くないか?」
「大丈夫です。むしろ、もっと強く感じたい……」
言葉にする彼女は勇気に震えていて、それがまた愛おしかった。
俺はその頬を両手で包み込み、そっと唇を重ねる。
――そして彼女の脳裏に、これまでの思い出がよぎっていた。
初めて会った頃のこと。
「社長令嬢」という肩書きのせいで、同僚から嫉妬も受け、孤立していた自分。
そんな彼女を、誰よりも公平に、優しく扱ってくれたのが篠宮課長――いや、隆行さんだった。
自分のミスで会社に迷惑をかけたときも、彼は社長である父の前に立ちはだかり、叱責を一身に受けてまで庇ってくれた。
「若者には失敗こそが宝になる」――そう言って。
あの瞬間から、彼に心を奪われていた。
尊敬が、憧れが、やがて恋へと変わっていった。
「篠宮さん……いえ、隆行さん」
彼女は目を潤ませながら俺の名前を呼ぶ。
「私、ずっと……ずっとあなたを愛してました」
その言葉が、胸の奥に深く染み込む。
もう逃げ場などなかった。
俺もまた、彼女を抱きしめ返す。
「ありがとう。……俺も愛してる。ずっと君を守りたい」
手と手を重ね、鼓動を確かめ合う。
どちらからともなく再び唇を重ね、熱を帯びた想いを何度もぶつけ合った。
やがて夜は静かに更けていき――。
――翌朝。
窓から差し込む朝日の中、寄り添う紗彩の寝顔がそこにあった。
穏やかな寝息と、握ったままの小さな手。
その全てが愛おしくて、胸の奥で強く誓った。
(俺はこの子を絶対に幸せにする。何があっても――)
俺たちは長い夜を一緒に過ごし、互いの想いを確かめ合った。
まるで長年連れ添った夫婦のように、呼吸も鼓動もぴたりと重なり合い、相手の考えていることが手に取るように分かる――そんな不思議な感覚に包まれていた。
「……不思議だな。紗彩の気持ちが、まるで心の声みたいに伝わってくる」
「私もです。隆行さんの想いがすぐ分かる。……とても幸せです」
彼女は微笑みながら俺の胸に顔を埋める。
その仕草に、胸の奥からこみ上げてくるものがあった。
荒れていた呼吸も落ち着き、互いに体を預けながら時折キスを交わす。
何気ない言葉を交わすだけで――それが何よりも心地よい時間だった。
けれど俺の頭には、別のことも引っかかっていた。
「なあ紗彩、変な事聞くようだけどさ、俺って若返ってないか?」
「はい、確かにかなりお若くなっているように見えますね。お風呂上がってから急に若くなったからちょっと驚きましたけど、それが?」
紗彩はキョトンとして何を聞かれているのかわからないようだった。
「うん、いやさ、変じゃないか?急に若返るなんて」
「確かに普通じゃありませんけど、私にとっては嬉しい事ですし、何も問題ないと思いますよ」
「お、おう、そうか。問題ないならいいか。いいのか?」
「いいと思います。ミドルな隆行さんも素敵ですけど、若く凛々しい隆行さんとなら町でデートしても違和感なくなりますからむしろ良い事だと思います」
なんとも肯定的解釈する紗彩に、問題ないのかな、と段々思い始めてきた。
まあなってしまったものは仕方ないか。
「それで、原因に心当たりはあるのですか?」
「ああ、実は」
俺は紗彩に不思議な空間で会った老婆と魔法薬について包み隠さず話して聞かせた。
何といって説明したもんか悩んだが、恋人になった紗彩に隠し事はしたくなかったし、お互いの心が通じ合っている今、隠す意味もないだろうと思い、正直に話す事にした。
「なるほど。確かに不思議ですけど、そんな事もあるのかもしれないですね」
「随分あっさり信じるんだな」
「隆行さんが言うのなら嘘じゃないって分かってますから」
「それにしたって突拍子もない話だよ」
「そうですね、でも、この宇宙では科学で解明されている事って全体の2%にも満たないって学説がありますし、海だって地球上の90%以上が未開の海域であると言われてます。人体の構造だってまだまだ謎が多い。ほら、人間って何にも知らないんです。不思議な事があってもおかしく無いですよ」
「ははは、なるほど。紗彩には敵わないみたいだな」
「うふふ、隆行さんの事なら何でも知りたいです。もっと教えて下さい」
「そうだな俺も紗彩の事、もっと知りたいよ」
俺達は自然と眠りに着くまで深夜まで語り合った。
生まれてからこれまでの事、どんな子供時代を過ごして、どんな友達と過ごして、どんな恋をしてきたか。
特に別れた妻の事は結構聞かれた。
普通は忌避しそうなことであるが、俺も紗彩もそれにイヤな感情はないことが分かっていたので遠慮はされなかったし、俺も抵抗なく答えた。
「そうですか、それじゃあ娘さんとは血が繋がっていないんですね」
「ああ、彼女の連れ子だったんだ。だから俺は二番目の夫ということになるな。初めて会った時はもう5歳だった」
「むむむ、これはライバル出現の予感です」
「あいつとは別れて養育費の支払いが終わってから一度もあってないよ。もう俺には未練はないってはっきり言っていたしね」
「確かに話を聞く限りそうだと思います。しかし奥さんの方ではありません。娘さん、隆行さんに恋をしていると思います」
「ま、まさか。義理とはいえ俺は父親だよ?」
「でも血は繋がっていません。それに年齢差を考えても十分あり得ます」
うーん、彼女は今年20歳になったはず。確かに紗彩との年齢差を考えれば誤差の範囲内と言えなくも……。
そういえば彼氏はいるのかと聞いた時エラく不機嫌になっていたことがあったな。
あれはもしかしてそういう意味なのだろうか?
「いやいや、娘だよ彼女は。ないない」
「そうでしょうか」
「仮にそうだとしても、俺は紗彩以外に恋慕の情を向けたりしないよ」
「嬉しい。ありがとう隆行さん」
――最後に俺は、ずっと気になっていたことを口にする。
「ところで……なんで男物の下着とかスウェット持ってたんだ?」
「……引きませんか?」
「内容によるな」
冗談めかして返すと、紗彩は顔を赤らめながら告白する。
「……いつか隆行さんが泊まりに来てくれるって、ずっと想像してて。つい買っちゃったんです」
予想外の答えに、思わず苦笑がこぼれる。
――そんな可愛げのある彼女と一緒に眠りにつける夜が、何よりも幸せだった。




