第32話 フィルリーナの悩み
俺のクビ騒動から始まった一連の社内トラブルが収束して早一ヶ月。
ひょんな事から目醒める事になった神力もかなり使い慣れ平和な日々が続いていた。
体力はほとんど無限みたいなものだし仕事し過ぎて疲れることもない。
見た目も若々しい姿を取り戻し、元の姿より気力が満ちている分だけ良い姿になっている。
神力の恩恵はそれだけではない。
なんだか以前よりも頭の中まで冴え渡るようになり仕事の処理能力も向上した。
あの騒動のすぐ後に人事異動で本部長に昇進させられてしまい仕事に求められる能力が跳ね上がる事になってしまったため、これはとても助かった。
何しろ副社長含めて大量の幹部が処分された為に社内はてんやわんやの状態で混乱を収めるのに相当な苦労が伴ったからな。元のままなら苦労や失敗はもっと多かった筈だ。ビバ神力。
さて、本部長ともなるといよいよ会社組織でも上層部に位置するため企画部のイチ社員は卒業となる。
入社から早20年。ずっとここでやってきた為に思い入れもそれなりにあった。
部下の皆からは盛大にお祝いしてもらい昇進祝いにもらったネクタイを締めて毎日の仕事に臨んでいる。
クビの時には何故俺に対して冷たい態度だったのか追及するつもりはない。
そんな事をしても無益だし疲れるだけだ。
おそらくだが、神力の目醒めに伴いなんらかの神がかった力が働いていたものと思われる。
俺が復職した途端に歓迎された事を鑑みるにそう考えるのが妥当だろうな。
「篠宮本部長。お茶が入りました」
「ありがとう水無月君」
「はい♪」
そうそう、昇進といえば俺にもついに秘書がつく事になった。
水無月ほどの大企業ともなると本部長クラスでも秘書が付く、という事ではなく異例のスピード出世ということもあり不安はつきものだろうと社長が気を利かせて特別に秘書を手配してくれる事になったのだ。
というのは建前であり、パパである社長に紗彩のおねだりで実現した特別人事だとの事だ。
そんな私情を挟んでいいのかとも思うけど先の誘拐事件の責任を取る意味でも常にそばにいる方がいいだろうと深雪と何故かフィルリーナ専務も徒党を組んで社長を説得したらしい。
昇進人事には上司の承認が必要となる。
そう、つまり俺には新しい秘書と同時に新しい直属の上司ができたのだ。
なぜかこのメンバーが同じ部屋に存在している。
「隆行、お茶」
「専務、お茶汲みは本部長の仕事じゃないですよ」
「シュン……じゃぁランチ奢って」
「部下にたかってどうするんですか、って要求ハードル上がってる」
「あ!本部長、私っ最近出来たパスタのお店【シャルロットメリフェーゼ】のスペシャルランチがいいです♪」
「隆行、フィルはスイーツ付きがジャスティス」
「なんで全員分奢る流れになってるの!?っていうか!紗彩以外は部外者ですよね!」
「既に全員分予約してある」
「抜かりなし!?」
役員クラスは普通のサラリーマンと違って管理がメインとなる為それぞれが自分の部屋を持つのが水無月のシステムだ。
なのに専務になったフィルリーナ女史は「ここの方が仕事捗るから……」という理由でいつのまにか自分のデスクを運び入れやがった。
何故だか副社長の深雪まで自分の執務室ではなく俺の部屋に入り浸り仕事している。
「副社長までなんですか。自分の部屋があるでしょうに」
深雪には専用の副社長室が与えられている。ぶっちゃけここより数段上等な作りだ。
「あらあら。篠宮本部長ったら冷たい事言わないでくださいな。ちなみに私はピッツァランチをワイン付きで」
「車で来てるくせに何言ってるんですか!ランチにワインなんてつけて良いわけないでしょう!」
「あら、本部長が運転してくださるのでは?」
「え、いいの?」
ブガッティという餌に釣られる情けない俺である。
恋人である俺にすらたまにしか運転させてくれないのだ深雪は。意外とこだわりがあるらしい。
まあそれはともかく……
「お昼のベルが鳴ったら全員でランチ。これはじょーしめーれー」
ビシっと立てた人差し指で息巻くフィルリーナ専務。
普通にパワハラで訴えるレベルだ。
部下時代から俺に対する扱いは変わっていない。
新人の頃から俺を引き連れてランチやら飲み会やらに連れて行かれたしな。
今考えるとあれは紗彩と俺をくっつけようとしていたからだと分かる。
こんな日常が続いていた。なんだかんだで楽しい職場である。
◇◇◇
常務や専務クラスの上司ともなると管理業務が主となり通常のサラリーマンとは毛色が違うことになる。
水無月コーポレーションの役員ともなれば給料も社会的地位も通常の人とは桁違いにステータスが高い。
水無月の役員というだけで大抵のクレジットカード審査や銀行の融資も通ってしまうくらい優遇されたりもするのだ。
それだけ社会的に貢献する企業としての信頼があるということになる。
そんな水無月役員の中でも一風変わった人が存在する。男社会の仕事業界で役員少数の女性であり、小さな風貌は成人女性には見えず、ランドセルを背負ってもギリギリ通ってしまうのではないかというくらいの小さな女の子。
フィルリーナ=エレノフスク 25歳 独身
ロシア生まれの日本育ち。
両親が水無月のロシア支社の役員であるため日本にも時折役員会の召集でやってくることがある。
本人は本土よりも日本で過ごした時間の方が長いらしく、ロシアの言葉よりも日本語の方が得意とのことだ。むしろ海外事業部の性質上、英語の方が使用する機会が多いらしい。
ちなみにロシア本土には双子の妹がいるらしいがかなりの日本フリークで来年あたり二人そろって留学してくる予定なんだとか。
ほとんどの時間を日本で過ごしているため外国人っぽくはなく、見た目とのギャップで社内にもファンが多い。
しかし見た目のファンシーさとは打って変わり仕事の面においては下手なエリートよりもすさまじい仕事ぶりを発揮する。
彼女が海外事業部に移ってからというもの水無月の業績は上昇の一途を辿っており今回の専務昇進も常務をすっ飛ばして二段階の役職アップということになるからな。
それもこれまでの業績に加えて先日の社内の膿一掃作戦における裏の功労者として社長から直接評価を受けての昇進となった。
現在のところフィルリーナ女史は俺の直属の上司となっており、引き続き海外事業部を含めた複数の部署をまとめて管理する役職に就いている。
つまるところ俺は彼女の管理する部署の一部を任される下部社員ということになるな。
企画部の社員は卒業したが管理することで関わりが無くなったわけではないが絡みが少なくなっているのは間違いないだろう。
さて、そのフィルリーナであるが、なにかと不思議ちゃんな人物である。彼女と出会ったのは紗彩とほぼ同じくらいの時期だった。
紗彩と同期入社だが彼女はいろんな意味で初めから目立っていた人物である。
一見物静かで何を考えているか分かりにくいが、付き合いが深くなるにつれてその感情表現の豊かさに気が付くことになる。
どういうわけか俺に対する態度は上司へのそれではなく名前も呼び捨て。
しかし仕事の面においては優秀そのもので俺が特に指示しなくても勝手に結果を出していたためなめられているのかとも思ったが、そうではなかったらしい。
紗彩が社内で浮いていた頃も一人だけ真っ先に味方についていたし、彼女の仕事ぶりは必ず部署全体のフォローになっていた。
結果を出すなら一人でも出来たようなものも全体を見通して一人の手柄にしない。
そういうところを見込まれて海外事業部にスカウトされたわけだが、業績を上げることに関していえばフィルリーナは企画部よりも、むしろ海外事業部のほうが天職だったと言えるだろう。
いわば、あれが彼女の素なのだ。口の利き方ひとつでその人の能力を判断する元部長の殿山(先日の一件でクビになった元係長のあいつだ)とはそりが合わなかったが、社内での評価はかなり高かった。
恐らく殿山など相手にしていなかったのだろう。
「隆行、今日の仕事は終わり。今日はフィルに付き合ってもらう。じょーしめーれー」
今日も今日とてパワハラが酷いがいつもと違って飯をたかるつもりではなさそうだ。
「今日はどうしたんですか?」
「相談がある。ちょっと困ったことになった」
珍しく本当に困った顔で俺にそんなことを相談してきたのは、会社が平和を取り戻して1月ほど経った頃だった。
フィルリーナから相談があると呼び出されてちょっとオシャレなカフェの一角に二人で座っている。
小さな身体は椅子から地面に足が届いておらずプラプラと揺らしながら注文したアイスミルクティーのストローを弄っている。
改めてみるとフィルリーナは凄まじい美少女だ。ビスクドールのような透き通った瞳に金色の髪は見ているものを惹きつける。
「それで、一体どうしたんです?」
隣に座ったフィルリーナに尋ねてみる。彼女はめーれーしてくることはあってもお願いをしてくることは滅多にない。なんだかんだ俺もそのめーれーとやらを今まで受け入れてきたしな。今更ではあるが、彼女の不遜な態度は決して悪意のあるものではないのは分かっている。
ある意味で親しい仲の人間にしかこういう態度をとることはない。
何故なら本当に初期の初期は彼女も俺に対して丁寧な態度をとっていた。それがいつの間にやらこのような不遜な態度をとるようになったのだが、彼女に言わせれば、また親友の紗彩いわく、信頼の証なのだそうだ。
「隆行、今日はもうプライベート。上司扱いはやめて」
フィルは困ったようにはにかむと口の端に加えていたストローを指で弄った。控えめに塗られたグロスが輝いて少し色っぽく見える。
「OK分かった。それじゃフィルリーナ君。相談事の内容を承りましょうか」
「ぷう。フィルって呼んで欲しいのに」
いくらプライベートとはいっても恋人でもない女性に呼び捨てはまずいだろう。
俺がそれを伝えると、相談事の内容というのはまさしくそれに関することだった。
「フィルは隆行を男だと見込んで頼みたいことがある。フィルと結婚してほしい」
「んん?ちょっと待て。どういうことだ?最初から説明してくれ。なんで俺と結婚することが頼み事なんだ?」
いきなりぶっ飛んだ内容に思考が停止しかけるがなんとか意識を保つ。
「単刀直入にいう。フィルをお嫁さんとして娶って欲しい。正確には結婚相手のふりをしてほしい」
「ああ、フリか。しかし、どうしてそんな話になるんだ?」
「もうすぐフィルの両親が日本にやってくる。フィルももう25歳。彼氏の一人くらいいないとおかしいってお見合いさせられそうになった。だからついつい彼氏がいるから無理って言っちゃった」
「勢いで言ってしまったわけか。それで、じゃあ今度日本に行くからその彼氏に会わせろと言ってきたと。そんなところかな?」
「Это верно」
「それはロシア語か?急に入れてきたな」
彼女は普段からロシア語はあまり使わない。そもそもあまりなじみある言葉ではないそうだ。物心ついた時からほぼ日本で育ったため両親や姉妹以外ではほとんど使わないらしい。
会社でも求められるのは英語だしな。
あえて言うならロシア支社とのやり取りの時だけは使うみたいだ。
「このままだとフィルはザンギ〇フみたいな人と結婚させられる。お見合い写真見て絶望した」
「ふーむ。なるほど。ザンギエ〇はキツイな。マニア受けしそうではあるが」
「フィルはゴリマッチョは眺めるだけでいいタイプ。実際付き合いたいと思わない。それに、フィルには心に決めた人がいる。その人以外とは結婚したくない」
「なるほど。既に決まった人がいると」
「でも、その人はフィルを女性としては見てくれていない。フィルは小さいから。ほとんど妹みたいに扱われてる。ずっとアプローチしてるのに」
「いったいどこの鈍ちんなんだろうなそいつは。君は魅力的な女性なのに」
「ほんとに?フィルは隆行にとって女扱い出来るレベル?」
「ああ、勿論だ」
まあ、その鈍ちんとは俺、なのだろうな。いくらなんでもそこまで鈍くはないつもりだ。
まず第一に彼女は運命の女性ではない。
運命の女性は身体の周りに何かしら光を纏っている。
その光は眼には映っていないのだが、俺はそのことについてどうするべきかいまだに決められないでいた。俺がもっと強欲な人間だったらこんなに悩まなくても済むのだろうが……。
この場合神力はどのように影響するのだろうか。
キングキャッスルの猫耳店長に神力を注入してみたところ確かに若返りの効果はあったが俺に対して恋愛感情を抱くようにはならなかった(一体どういう原理なのかとかは突っ込まれなかった。一応気功の一種だといってある)。
そのことには泣いて感謝されたが、それで俺に対して好意的にはなるものの、やはり恋愛感情を抱くにはいたらなかったのだ。
では相手が俺に恋愛感情を抱いてくれていた場合はどうだろうか?彼女の態度は明らかに男性として俺を意識している類いのそれだ。
いつからなのかは分からないが、フィルリーナは俺に対して憎からず思ってくれている節は見て取れた。
俺は離婚以降そういうことには何となく億劫で意識から外していたが、紗彩との一件以降出来るだけ無視はしないように心がけている。
ある意味でフィルリーナが俺の事務室に入り浸るのを黙認しているのもその一環だ。もともと紗彩とは仲がいいし深雪とも早期に打ち解けていい連携を保って会社を盛り上げている。
だがこれは逃げでしかない。現状維持を望む意図的難聴系主人公でもあるまいに、好意を向けてくれている女性に対してどっちつかずの態度をこれ以上取り続けるのは彼女に対する侮辱になるだろう。
「分かったフィル。だがその前に君に言っておかないといけないことがある」
俺は意を決して彼女にこれからの事を伝えることにした。




