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短編)転移先の異世界で『人間型の鍵』になってほしいと言われたので、部屋を整えてから帰ります

作者: 黑野羊
掲載日:2026/03/03

 ハッとして身体を起こすと、俺は薄暗い室内で、巨大なクラゲのような生き物に取り囲まれていた。

「……へ?」

 その生き物は、平均的な日本人男性である自分と変わらない背丈で、開いたビニール傘のような頭部に、太いゴムチューブのような触手をいくつもぶら下げている。彼らの足元は僅かに浮いていて、地面には小さなカニのような生き物も見えた。

 意味がわからない。

 さっきまで俺は、上司の無茶振り仕事を残業してまで終えた後、ヘロヘロで帰り道を歩いていた、はず。

 呆気に取られていると、自分を遠巻きに眺める異形の集団の中から、クラゲのような生き物が一匹、静かに近づいてきてこう言った。

「ようこそいらっしゃいました、新たな『鍵』よ」

 彼は頭らしい傘部分をうやうやしく傾ける。どうやら話しかけてきたこのクラゲが、この群れの中で一番偉いようだ。

「あ、えっと。『鍵』とは?」

「はい、この世界を救う『鍵』として、あなたを召喚させていただきました」

 ちゃんと日本語で会話も出来るらしい。目も口も、耳すらあるのか分からないが、話が出来るのは幸いだ。

「ここはアファべータ。そして私はガルマシス族の長、パルヴァーレ・ガールフェールといいます」

「えっと……俺は、鮫島義之といいます」

 目の位置は分からないが、視線を感じてつい顔を背ける。会社ではよく嫌な顔をされ、上司にも文句を言われる悪癖が出てしまった。

 しかし、パルヴァーレからは嫌な雰囲気を一切感じない。表情がないので定かではないが、なんだか笑顔を向けられているような気さえする。

「ヨシユキ様。突然のことで驚かせてしまい、申し訳ありません。どうか我々を助けていただけませんか?」

 俺はどうやら仕事帰りに、異世界に召喚されたようだ。



 ◇



 彼らの話を聞いた後、ベッドと小さな机と椅子があるくらいの、簡素な部屋に案内され、用意されていた服にとりあえず着替える。どこかの民族衣装のような服に袖を通しながら、聞かされた話を頭の中で整理した。

 アファべータでは数百年に一度、世界のバランスが崩れて危機に瀕した時、異世界から『人間』を召喚し、救ってもらうという慣習があるらしい。

 その方法は、この国の中心にある巨大樹『シルトリア』の中に入って、崩れた『均衡』を戻すこと。難しいことはないが、この国の住人では出来ないことらしく、毎回『人間』を召喚しているのだそうだ。

「せっかくの異世界転移だってのに、人がいない世界だなんて……」

 薄暗い窓の外を眺めながら、俺は深く息を吐く。

 元の世界で読んだ漫画や小説の異世界は、普通に人間の住む世界ばかりだったから、それが当たり前だと思っていた。

 それにしたってニッチすぎる。

 巨大クラゲのような『ガルマシス』に、小さいカニのような『イプロトス』。そしてこの国全体を『ゼラミュー』という巨人が壁になって囲んでいるらしい。

「異世界っていうか『異形世界』だな、こりゃ……」

 世界の均衡を戻すことができれば、ちゃんと元の世界に帰してくれるらしいので、さっさと役目を終えてこんな不気味な世界とは早々におさらばだ。

「どうせなら、金髪で可愛いエルフにチヤホヤされたかったなぁ」

 そんな淡い夢も、トントンとノックの音で砕かれる。開いた扉からこちらを覗いたのは、エチゼンクラゲのような見た目のパルヴァーレだ。

「ヨシユキ様、お食事をご用意しました」

「は、はーい」

 人間のいない世界で出される食事は、ちゃんと食べられるのだろうか。

 案内された食堂で緊張していると、白いクロスの掛かったテーブルの上には、見覚えのある銀色のナイフとフォーク。

「どうぞこちらへ」

 椅子に座ると、高級レストランさながらの料理が運ばれてきた。いろんな種類の前菜にスープ、サラダにステーキに、他にもいろんなメニューが高級フレンチのように並ぶ。

 ドキドキしながら分厚いステーキを切り分けて口に運ぶと、じゅわっと口いっぱいに肉の旨みが広がった。

「……おいしい!」

 これは見た目通り、いや見た目以上のうまさ。

 夕飯もままならないまま帰宅の途中だったので、口に運ぶ手が止まらない。

「お口に合って何よりです」

「人間のための食事を用意するのは、久しぶりだったものですから」

 喜ぶパルヴァーレの近くにいた、料理を作ったらしいガルマシスがホッとしたように言った。

 確かに、見た目がこんなに違うなら、彼らの食事もまた違うはず。

「みなさんの食事は違うんですか?」

 雑談のつもりで尋ねると、ガルマシスたちはどこか嬉しそうに話し始めた。

 ガルマシスとイプロトスは、巨大樹『シルトリア』が落としてくれる葉っぱが主食なこと、国境を守るゼラミューは人間と同じように肉を食べることなど、この国の食文化を丁寧に説明してくれる。

 誰かと一緒に食事をする時、どうしても相手の視線が気になって落ち着かなかったけれど、目がどこにあるのかすら分からない彼らと過ごすのは、これはこれでなかなか居心地がいい。

 食事を終えても、おしゃべりをしてくれたガルマシスたちは妙にテンションが高いままだった。

「お食事は足りましたか?」

「他に不便はございませんか?」

「気になることがあれば、ぜひお申し付けください」

 妙にグイグイと迫ってくるので、俺は彼らからつい視線を逸らす。

「あ、はい。でも、今は大丈夫なので……!」

 俺はなんとか宥めると、パルヴァーレにお願いして部屋へ戻ることにした。

 ガルマシスたちはみな似たり寄ったりの形と色合いをしているが、傘の部分の模様が違うので、それでなんとか判別できる。特にパルヴァーレは傘に何も描かれていないので、彼だけは早々に覚えてしまった。

「……ヨシユキ様はお優しい方ですね」

 部屋に戻る道すがら、パルヴァーレがポツリと言う。

「いやぁ、そんなことないですよ」

「実は、私が『人間』をお迎えするのは、ヨシユキ様で二人目なんです」

「え?」

 パルヴァーレによると、俺が来る数ヶ月前に一度『人間』を召喚していたらしい。しかしその人間は自分の立場を利用して、彼らに酷い態度をとったどころか、頼まれた役目をまともに果たそうとせず、暴れ回って手がつけられなかったそうだ。

「なので仕方なく、強制的に返還させていただきました」

「それは……大変だったね」

 ガルマシスたちの寿命はおよそ三百年ほどで、人間の召喚は数百年に一度。彼らにとっては一世一代の大仕事だろうのに、そんな奴が来てしまうなんて、随分と気の毒な話だ。

「ーーですので、今回の召喚でヨシユキ様のような方がいらしてくれて、本当に嬉しいです」

 そう言ったパルヴァーレの頭部が、スッと斜め上を向いた。

 こういう時、人間であれば感謝を向ける相手に顔をぐっと近づけてくるものだが、彼らはその辺までも人間と違うらしい。

「あ。人間の世界では話をする時は、目を合わせるのが正しいのでしたね。この国では好意や誠実、歓喜を表す時に視線を上か下に逸らすのが礼儀なんです」

「そうなの!?」

 だからみんな妙に顔を背ける割に、言っていることが親切だったのか。

 彼らの見た目と生来の人見知りもあって、自分もつい視線を逸らしていたのだが、彼らからすれば『こちらに好意を振りまいている』と思われていたのかもしれない。

 食事中は少し失礼ではないかと思っていたが、あれはあれでよかったようだ。

「でも、よく人間は目を合わせるのが礼儀って知ってたね?」

「……その、前回いらした方が『目を見て話せないなんて礼儀がなってない!』とよく怒っていたもので」

「ああー……なるほど」

 つい、会社の上司の顔が頭に浮かぶ。

 視線を逸らしてしまう癖がある俺も、しょっちゅう言われていた言葉だ。

「ですが、視線を無理やり合わせて話すことは、我々の間では『強い命令』を行う時や『不快』を示すものなので……」

「そうなんだね」

 前回来たのは本当に随分なヤツだったようだ。そんなヤツに頼らなければいけない立場で、強い命令をされ続けたパルヴァーレたちは、すごく傷ついたに違いない。

 それでも、この世界を救うため、再び『人間』を召喚することにした。とても勇気がいることだったはず。

 ーー『人間』として、しっかり役目を果たさないとな。

 話しているうちに、寝泊まりする部屋に到着した。

「それでは明日、シルトリアの『均衡の間』にご案内しますので、ゆっくりお休みください」

「はい、ありがとうございます」

 俺たちはお互いに深々と、視線を合わせないようにして頭を下げた。



 ◇



 翌日、ガールフェール邸の外に出て、俺は初めてこの国全体を見回した。

 シルトリアと呼ばれた超巨大な樹木が中心にそびえ立ち、それをぐるりと囲むようにして小さな建物の密集する街が広がる。遠くに見える壁のようなものが、この国を囲むというゼラミューだろうか。

「足元、気をつけてくださいね」

「は、はい」

 先行するパルヴァーレに言われ、俺は歩いている道に注意を向けた。

 この道は、小さなカニによく似たイプロトスたちが使うもので、パルヴァーレのようなガルマシスたちは、外だと基本宙を浮いて移動をする。

 イプロトスたちは大きい個体でも俺の膝下くらいまでしかなく、地面に密集する建物のほとんどがイプロトスの住居で、ガルマシスたちはシルトリアの伸ばす枝から下がるミノムシの袋のような物の中に住み、ゼラミューは基本住居を持たないらしい。

 そして俺が出てきたガールフェール邸は、巨大な塔のようになっていて、この国の『お城』のような役目を持っているため、人間の召喚や召喚した人間の寝泊まりもここになるのだそうだ。

 ーー本当、不思議な世界だな。

 どんよりと暗い雲に覆われた空には、明らかに痩せ枯れたシルトリアの枝が広がっている。風で舞い落ちてきた葉っぱを一枚拾ってみると、薄汚い灰褐色をしていた。

 パルヴァーレのほうを見ると、同じように葉っぱを触手で掴んでじっと見ている。

「……そういえば、これが主食なんだよね?」

「はい。本来であれば、美しい虹色なのですが……。この状態では食べても、栄養を得ることは出来ません」

 ふと視界の端に、地面に横たわる小さなガルマシスをイプロトスたちが心配そうに囲んでいるのが見えた。

 ハッとして辺りを見回すと、普段なら空中を移動するというガルマシスたちが建物の影で倒れている。

 シルトリアの葉っぱが枯れているので、ガルマシスもイプロトスもまともな食事は出来ていないのだろう。

 俺はふと、ガールフェール邸で食べた豪華な食事を思い出した。今朝もかなりしっかりした朝ごはんが出てきて、あまりの美味しさにパンを追加でもらったくらいだ。

 俺はギュッと拳を握りしめる。

「大丈夫、ちゃんと役目を果たすから、安心して!」

「……ありがとうございます」



 ようやく巨大樹『シルトリア』の根元に辿り着く。神聖な場所ということもあってか、出入り口周辺には自分より少し大きいくらいの背丈をしたゼラミューたちが、まるで兵士のようにずらりと並んで警備していた。

 幼体のゼラミューたちは、大きくなるまでこうしてシルトリアや街を守っているらしい。

「どうぞ、こちらです」

 パルヴァーレの案内で中に入ると、大きな螺旋階段があり、今度はそこをひたすら登らされる。

 普段の運動不足を呪いながら息を切らせてのぼり、ようやくたどり着いた場所にあったのはーー『人型』の穴の開いた壁だった。

「この中が『均衡の間』になります」

「本当に人間の形なんだ……」

 昔アニメで見たような、人間が壁をぶち抜いた跡のような穴である。この世界の生き物たちとは全く違う形。

 どうやらこの部分が扉で鍵穴でもあるため、召喚された自分は『鍵』と呼ばれたのかもしれない。

「じゃあ、入ってみるね」

 俺は緊張しながら、人型にくり抜かれた穴に入る。穴のサイズは日本人男性の平均より少し大きいかも、といった感じ。なので身長がギリギリではあったが、なんとか綺麗に通り抜けることができた。

 ホッとしながら中に入って辺りを見回すと、そこにあったのは壁の二面が本棚になった、四畳半ほどの薄暗い和室。

「……え?」

 どこからどう見ても、簡素な畳敷きの部屋で、日本家屋によくある一室のようだ。

 パッと見た感じは埃もなく清潔な雰囲気だが、よく見ると本棚はあちこち歯抜けだらけで、そこにあるべき本は小さな座卓の周りに積み上げられており、小物も棚があるにも関わらず、畳の隅で芸術的な山を作っている。

「これが『均衡の間』なのか?」

 とりあえず片付けろと言われて雑に片付けたような、まるで動けばいいからと長年いろんなコードを継ぎ足して作ったプログラムのような雑さ加減だ。

 部屋に冠した『均衡』には程遠い。

「そうです。ここを美しく保たなければ『シルトリア』に異常が起きるのです」

 振り返ると、パルヴァーレと小さなイプロトスが数匹、『均衡の間』に入ってきていた。

「え、あれ? 君らも入れるの?」

「はい、入ることはできるのですが、我々にはここを『整える』ことができないのです」

 確かに小さなイプロトスでは、本を本棚に戻すこともできないだろう。しかし人間と同じような背丈のガルマシスなら、できそうな気もする。

 そう思いながら、俺は積み上げられていた本を一冊手に取ってその理由を理解した。

 本に書かれていたのは、見慣れた日本語や英語。

 本棚を見れば、そこにある本たちはすべて日本語はタイトル別に五十音、英語はアルファベット順に並べてあったのだ。

「そっか。だから『人間』の、それも『日本人』じゃないとダメなのか」

「……我々には、人間の世界の言葉は分かりませんから」

 どうして日本人の部屋がこの世界の秩序と繋がっているのか、なぜこんなふうに散らかるのか、そもそもここはなんなのかーーその辺のことが気にならないわけではないが、片付けなければパルヴァーレをはじめとしたこの国の生き物たちが死んでしまう状況だというのだけは分かる。

 ーー整理整頓も、コードを綺麗に整えるのも、得意分野だ。

「よし、じゃあ整えようか」

 まずは座卓周辺に積み上がった本を本棚へ戻し、座卓も畳に残った跡から所定の位置へ移動する。雑に積まれた小物を棚の引き出しの中に片付けて、人形は棚の上の空いている場所にレイアウトし、壁に掛かっていた絵画の向きまで直して、あっという間に完成。

「……よし、こんなもんかな!」

「おお、素晴らしいです!」

 パルヴァーレが嬉しそうに触手を打ち合わせて拍手をする。

 すると、頭上から金色の光が差し込んできた。

「……ああ、シルトリアが、世界が再び整い始めたようです」

 嬉しそうな声でパルヴァーレが言うので、どうやらちゃんと役目は果たせたらしい。

 しかし、それだけでいいんだろうか。

 俺はジッと『均衡の間』の本棚を見つめる。

「ーーねぇ、この部屋にさ。君たちにも分かるよう『印』を書いたりしちゃダメかな?」

「え?」

「いや、どこに何を置くか『印』があれば、自分たちで片付けることができるでしょう?」

「確かに、そうですが……」

 パルヴァーレの声が困惑している。

 彼らにとってここは神聖な場所。そこに手を加えるというのは、やはり抵抗があるようだ。しかしーー。

「そうしておけば、定期的に確認して、崩れてたら直せるし、わざわざ『人間』を呼ぶ必要はなくなるんじゃないかなって」

 自分は彼らに好意的に接することが出来たけど、今後やって来る『人間』が自分と同じような人間とは限らない。もしまた横暴なヤツがやってきて、彼らが傷つくのは嫌だし、そうならない対策をしてもいいはずだ。

「……そこまで考えてくださるなんて」

 これまでやってきた『人間』は、きっと解決したらすぐ帰りたがる人ばかりだったのかもしれない。自分だって最初はそうだった。あまりに不気味で怖かったから。

 でも、一生懸命もてなそうと親切にしてくれる彼らを見て、この世界も嫌じゃないなと思ってしまった。

 ーーむしろ、居心地がいいくらいだし。

 そんな彼らには笑顔でいてほしい。

「とりあえず、試しに本に番号を振ってみない?」

「わ、わかりました」

 パルヴァーレにこの世界の数字の『1』を紙に書いてもらい、本と本棚に貼り付ける。

 しかし天井から降り注ぐ金色の光は変わらず揺らめくだけで、異常は起きなかった。それならば、と俺は『均衡の間』にある全てのものに片付けるための目印をつけて回る。

「……よし、これなら君らだけでも『均衡』を保てるんじゃないかな」

「すごい! たしかにこれなら、私たちだけでも出来そうです。ありがとうございます!」

「じゃあ、外がどうなったか確認しよう」

 興奮してずっと感謝の言葉を言い続けるパルヴァーレを宥めながら、螺旋階段を降りていき、シルトリアから外に出た。

 外ではすでにガルマシスやイプロトスたちが歓声を上げながら空を見ている。

 空を覆う厚い雲が割れ、隙間から青く美しい色が見え始めていた。さらに、枯れてくすんでいたシルトリアの葉っぱたちも、徐々に虹色に光り始めていて。

「……本当に、ありがとうございます」

 空を見上げたままのパルヴァーレが、嬉しそうに呟いた。

「いやぁ、そんな。たいしたことは……」

「ヨシユキ様は、本当に整った方です。こんなに整っている方は、初めてお会いしました」

 整っている、というのは彼らなりの褒め言葉のようなものなのだろうか。

 会社でこんなに感謝されたことも、褒められたこともない。そのせいかなんだか気恥ずかしくて、つい視線を空に向けた。

 空はあっという間に晴れ渡り、真っ青な空にシルトリアの虹色の葉がキラキラと、まるで宝石を散りばめたように美しく揺れている。

「……すごい」

 元の世界では見たことのない、幻想的な光景に思わず声が零れた。

「よかったら、もっと綺麗に見える場所までご案内しましょうか?」

「はい、ぜひ!」

 俺はパルヴァーレの申し出に、前のめりで答える。

 だって、この世界に来て初めて子どもの頃に思っていたようなファンタジーに遭遇したのだ。

 ーーまぁ、巨大なクラゲやカニと喋るのも、充分ファンタジーではあるけど。

 シルトリアから随分歩き、巨大樹全体を眺められるような小高い丘にやってきた。国境に立ち並ぶゼラミューたちが、それぞれ一人ずつ視認できるくらいに近い。

 広く枝を伸ばすシルトリアは、先ほどまで灰褐色に枯れていたとは思えないくらい生き生きと、虹色の葉っぱを眩しく光らせていた。そしてその葉っぱは、デコボコとした岩の街に、キラキラと降り注いでいて、街全体が輝いているようにも見える。

「すごく綺麗だ……」

 俺は丘の上で腰を下ろし、感嘆の息を吐いた。

 大人になってからここまで心が動くことはなかった気がして、今は純粋に、この光景をずっと見ていたい。

「はい、今までにないくらい美しいです。再びこんなにも整った姿を見られるとは思いませんでした」

「それはよかった」

 隣に座ったパルヴァーレも夢中でこの光景を見ているようだ。

 彼らに喜んでもらえたのが、素直に嬉しい。

 そうしてのんびりと街並みを眺めていたら、ビュォオオと凄まじい突風が吹きつけてきた。

「……わっ!」

 強い風に目を開けられずにいると、隣に座っていたパルヴァーレが叫ぶ。

「危ない!」

 たくさんの触手が俺の身体を覆うように伸びてきた。その隙間から見えたのは、こちらに向かってくる大きな枝の一部。

 思わず目を瞑ると、バシンッ! と枝が何かにぶつかる音がした。

 身体はどこも痛くない。

 そっと目を開けると、俺とパルヴァーレの目の前に、巨大な手があった。

「……これは?」

 緑色の苔に覆われた、岩盤のようにも見える四角い手。

 その手の伸びてきた先を視線で辿ると、背後にいるゼラミューに行き着いた。どうやら後ろにいた彼が助けてくれたらしい。

「……ゼラミューが動いてくれるなんて」

 パルヴァーレが驚いたように呟いた。そういえば、国境を守る壁であるゼラミューたちは、有事でもなければ滅多に動くことはないそうだが。

「ありがとう!」

 ズルズルと静かに、元の位置に戻っていくゼラミューの手にお礼を言うと、飛んできた枝を確認した。シルトリアの枝のようだが、真っ黒に変色して腐っている。

 どうやら悪くなっていた箇所を、元気を取り戻したシルトリア自身が排除したらしい。

 あの『均衡の間』さえ整っていれば、シルトリアも自浄作用が働くようだ。

 これならよほどのことがない限り、この世界はきっと大丈夫だろう。

「さぁ、帰りましょうか」

「うん」



 ◇



 ガールフェール邸に戻ると、使用人たちがたくさんのお祝いのご馳走を用意して待っていてくれて、パルヴァーレたちと一緒に最後の食事をした。

 絶え間ない感謝の言葉に照れながらの食事を終えると、俺は元々この世界に来た時に着ていたスーツに着替え、大広間に向かう。

 大広間にはたくさんのガルマシスとイプロトスが集まっていて、その中心には俺が元の世界に戻るための魔法陣が描かれている。

「本当に……本当に、ありがとうございました」

 改めてパルヴァーレが深々と頭を下げた。

「こちらこそ、自分が何を好きだったのか思い出したよ」

 最後に握手でもしようと手を差し出すと、二本の触手が絡みつくように俺の両手を包み込む。

「……もしまた『人間』を呼ばなければいけない時は、ヨシユキ様をお呼びしたいです」

「そう言ってもらえて嬉しいけど、人間の寿命は短いからなぁ」

 彼らの寿命が数百年に対し、人間の寿命は百年もないので、こればかりは仕方がない。

「それでしたら、ヨシユキ様のご子孫に会えることを祈っています」

「うん、そうしてくれ」

 俺はパルヴァーレの触手をギュッと握り返すと、広間の中央の魔法陣に向かう。

 陣の中央に立つと、描かれた線が濃いピンク色に光りだす。この世界に来る時に見た光と同じだ。

「本当にありがとうございました!」

 たくさんの感謝の言葉がフェードアウトで消えるように、視界が眩しい光で見えなくなる。それと同時に強い眠気がやってきた。普段からの運動不足がたたって疲れたのだろう。

 ーーそういえば、俺はどこに帰り着くんだろう。

 そんなことを考えながら、ゆっくりと重い瞼を閉じた。



「あ、鮫島さん! 目が覚めました?」

 女性の声が聞こえてハッとする。

 視界にあるのは白い天井。すぐ近くには白い制服をきた女性看護師が立っていた。周囲の様子から察するに、病院のベッドの上らしい。

「ああ、よかった! 鮫島さん、解体工事中のビルの崩落に巻き込まれて、二週間も眠ったままだったんですよ!」

「はぁ!?」

 言われて身体を起こそうとしたが、腕と頭はかろうじて動くものの、それ以外はピクリともしない。

 ーーどうなってるんだ?

 確かに通勤路の途中に解体工事中のビルがあり、その辺で魔法陣を見かけて異世界に転移したはず。もしかして自分は生死の境を彷徨いながら夢を見ていただけで、ずっと眠っていたのだろうか。

 そんなことを考えながら医師の診察を受けたところ、もうしばらくは入院だと言われてしまった。

 ーー二週間ってことは、プレゼンも終わってるよなぁ。

 元の世界に戻ったせいか、一気に現実を思い出して頭がいたい。

 残業で上司の代わりに作らされたプレゼン資料は、ちゃんと使ってもらえただろうか。

 ベッドを動かしてもらい、俺は上体を起こしたままぼんやりと窓の外を眺める。

 夢か現実か分からないが、巨大樹シルトリアが美しく輝く様はありありと思い出せた。もしこのビルだらけの世界にあの樹が生えていたらと、つい考えてしまう。

「鮫島さんの持ってた荷物はここにありますからね」

 シーツ交換に来てくれた看護師が、サイドテーブルの上にボロボロになったビジネスバッグを置いた。やはり崩落事故に巻き込まれたというのは本当らしい。

 中身の確認していると、看護師が少し気の毒そうな顔をする。

「鮫島さん。あなた、あんな会社早く辞めたほうがいいわよ?」

「へ?」

 意味がわからずそちらを見たが、看護師は苦笑した顔のまま、シーツ類を持って病室を出て行った。

 心当たりのある不安を抱えながらバッグを漁っていると、案の定、出てきた携帯電話に大量の着信やメールの通知が残っている。

 ーー絶対なんかしたな。

 俺は深い深いため息をついた。

「もういっそ辞めるか、あの会社……」

 口から零れ出てきたのは、そんな言葉。

 嫌だったら世界を、環境を、根本を変えればいいんだ。あの異形たちが住む世界で、それを実践したじゃないか。

 ちゃんと就職できるのかという不安もあるけれど、きっと今よりはずっといい。

 俺は携帯電話の通知を消してバッグに放り込むと、斜めになったサイドテーブルをきっちり整える。

 ーー今の会社じゃ残業ばっかで、パルヴァーレとの約束も果たせそうにないしな。

 俺の子孫にいつか会いたいと、願ってくれた異形の友を思い出す。

 ふふ、と小さく笑って窓の外を、その先にある遠くを見上げた。


〈了〉

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