謎の個体
「力を託すって…」
黒瀬は、独り言のように言った。間を置かず、胸の奥から低い声が返る。
(試せ、それが一番早い…)
黒瀬が顔を上げると、少し離れた場所に、古い石柱が立っているのが目に入った。
苔むした、風化した石柱だ。
「あれに、拳を打て」
黒瀬は眉をひそめる。
「……本気で言ってます?」
(冗談だと思うか)
黒瀬は一歩近づき、半信半疑のまま、軽く肩を回した。
(昨日の戦いに比べたら…正直怖さはない)
息を吸い、吐き――拳を、打ち込む。鈍い衝撃音が森に響く。
(ですよね…)
だが。地面が震えた。黒瀬の足元から土が弾け、周囲の落ち葉が舞い上がる。
石柱には――拳の跡が、うっすらと残っていた。皮膚は裂けていない。骨の痛みもない。
黒瀬は拳を見つめる。
「痛く……ない」
(今のお前では、その程度だ)
低く、胸の奥に響く声。黒瀬はゆっくりと息を吐いた。
「この程度…もっと、力がつけられるんですか?」
(鍛錬…そして、その力に慣れよ)
黒瀬は、わずかに眉をひそめた。
「ずいぶん、ざっくりしてますね」
(お前なら理解できるはずだ)
黒瀬は、静かに目を伏せる。
(そうだ、何事も、基礎をおろそかにすれば、土台から崩れる)
父に叩き込まれた日々が、脳裏をよぎる。
「……慣れ、か」
「それより――俺は、これからどうすれば?」
一瞬の沈黙。
やがて、ゴウラの声が落ちる。
(お前の人生だ、己自身で、見出せ)
(だが――いざという時は、わしを呼べ)
声は遠ざかり、今まで胸の奥にあった存在が薄れた。
「はぁぁ…なにも助言なしか…とりあえず、歩いてみるか」
黒瀬は、深呼吸し、歩き始め、森を進む。湿った土の匂い。
見慣れぬ樹木。遠くで獣の唸り声が響く。
(本当に、違う世界なんだな…)
そのとき、カサリ。乾いた落ち葉を踏む音。黒瀬は足を止める。
(複数か…二つ。いや、三つか。)
低い、濁った声が混じる。黒瀬はゆっくりと木の陰へ身を滑り込ませ、そっと覗いた。
そこにいたのは――緑色の、小柄な“何か”。人の形をしているが、明らかに違う。
背は黒瀬の肩にも届かない。皮膚は濁った苔色。
大きすぎる耳が横に張り出し、鼻は潰れ、牙が口の外へ覗いている。
目は黄色く濁り、どこか理性のない光を宿していた。手には、削り出しただけの粗末な棍棒。
「なんだ、あれ、気味悪いな…」
黒瀬はわずかに眉を上げる。謎の生物は、何かを探すように辺りをうろついている。
(迂回するか?でも、下手に外れたら、迷うな)
迷った、その瞬間。足元で、枝が折れた。
「ちっ」
三つの黄色い目が、一斉にこちらを向く。
ギィ、と喉を鳴らしながら、棍棒を構える。
「やるしかないか」
その謎の個体は駆け出す。足音は軽いが、速い。
棍棒が振り下ろされる瞬間、半身でかわす。二体目が横から振るうが、踏み込み、懐へ。
一匹目の脇腹へ、拳を叩き込む。
個体はくの字に折れ、そのまま吹き飛び、数メートル先の木へ激突。
嫌な音がして、動かなくなった。
(思ったより軽いな)
残り二体が怒声を上げ、棍棒を振り回す。だが動きは荒い。
「人間の動きとは全く違う…でたらめだ、けど、動きは単調だな」
一体の腕を外側へ弾き、肘を顎に叩き込む。
牙が飛ぶ。蹴り上げると、そのまま地面に転がった。
最後の一体。振り下ろされる棍棒を受け流し、腹部へ拳。
「んっ!」
衝撃で身体が浮き、転がり、沈黙。黒瀬は呼吸を整えながら、近づく。
間近で見ると、さらに醜悪だった。皮膚は湿っており、腐臭が鼻を突く。
牙の隙間からは黒ずんだ唾液が垂れ、爪は黒く汚れている。
「くさいな…なんなんだこいつら…」
思わず顔をしかめる。
「とりあえず先、行くか」
最後まで読んでいただき、ありがとうございます。




