決闘
黒瀬は、ゆっくりと立ち上がった。
反射的に、背中へ手を回す。刺されたはずの場所。
だが、指先に触れるのは、破れのない制服と――自分の体温だけだった。
「……?」
痛みは、ない。血も、滲んでいない。
おかしい、と思うより先に、周囲の気配が意識に入ってきた。
獣の鳴き声。どこからともなく響く、木々のざわめき。湿った空気と、夜の匂い。
街灯も建物もない。見渡す限り、闇に沈む森だった。
「……夢、なのか……」
見たことのない景色。聞いたことのない音。
それでも、立ち止まっているわけにはいかなかった。
黒瀬は、慎重に森の中を進み始める。枝を避け、足音を殺しながら。
そのときだった。
――赤い、光。
森の奥、木々の隙間に、炎のような色が揺らめいている。
「……なんだ、あれ」
自然に、足が向いた。
理由は分からない。だが、あの光は――無視できない何かを放っていた。
赤い光の正体は、すぐに分かった。
開けた場所。そこに、巨大な石盤が鎮座している。
そして、その上に――
腕を組み、仁王立ちする巨人。身長は、軽く二メートルを超えている。
首には、異様なほど太い数珠。肌は、燃え盛る炎のように赤く輝き、ただ立っているだけで、周囲の空気が歪んでいた。
「……は?」
黒瀬の思考が、一瞬、止まる。
(……催し物?)
(……展示? いや、こんな森の奥で?)
一歩、踏み出そうとして――足元の枝を踏んだ。
次の瞬間、巨人の視線が、こちらを捉えた。
「……動いた……?」
黒瀬は、無意識に身構える。
そのとき――巨人の口が、ゆっくりと開いた。
「……人間か」
低く、腹の底に響く声。
黒瀬は、思わず周囲を見回した。
「……俺に、話しかけてんのか?」
わけが分からない。夢だとしても、悪趣味が過ぎる。
巨人は、腕を組んだまま、言葉を続ける。
「……わしの言葉を、無視するか」
「来い、人間」
拒否を許さない、重さ。
「……あー……」
何を言うべきか、分からない。
赤い光に導かれるように、黒瀬は歩みを進めた。
巨人の前まで来ると、その威圧感はさらに増す。近くに立つだけで、皮膚がひりつくようだった。
巨人は、腕を組んだまま、黒瀬を見下ろしている。
「……ほう」
低く、唸るような声。
「人間が、ここまで辿り着くとは。珍しい…」
燃えるような視線が、黒瀬を射抜く。
「名は、なんという」
一瞬、言葉に詰まる。
黒瀬は、短く息を吐く。
「……黒瀬、恒一です」
巨人は、わずかに口角を上げたように見えた。
「わしは――闘神ゴウラ」
その名が告げられた瞬間、空気が、重く沈む。
「その身なり……その言葉遣い……この地の者ではないな」
ゴウラは、黒瀬を観察するように目を細める。
「どこから来た、人間」
黒瀬は、視線を少し逸らし答えた。
「こことは、違う世界だと思います…」
少し考え、言葉を選ぶ。
「学校の帰りに……刺されて。 気づいたら、この森に…」
ゴウラは、しばし黙り込んだ。
やがて、低く呟く。
「……転生か」
聞き慣れない言葉に、黒瀬は眉をひそめる。
「……転生?なんですか、それ」
ゴウラは、面倒そうに鼻を鳴らした。
「死に際に魂が裂かれ、新しい肉体に生まれ変わり、異なる世界へと投げ出される現象だ」
「稀に起こる。望まれようと、望まれまいと、関係なくな」
黒瀬は、言葉を噛みしめる。
「よくわからないですけど…ようは死んだってことですか…」
「……それで、これから、どうすれば……」
小さく呟く。
その問いに、ゴウラは即答しなかった。
代わりに、周囲に――炎が立ち上がる。
ごう、と音を立て、赤い壁が円を描く。
黒瀬は、思わず周囲を見回した。
「なんだ…炎の……壁?」
ゴウラは、腕を組み直し、重く告げた。
「ここに立つということは」
「――わしと、決闘するということだ、運がなかったな、人間」
「案ずるな。これからどうするかなど……」
黒瀬の喉が、鳴り、ゴウラは、ゆっくりと一歩踏み出し、燃える瞳が、黒瀬を捉える。
「生き残ってから、考えればよい…精々足掻いて見せよ、人間」
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