灰牙の底で
灰牙の小迷宮は、森の奥に口を開けていた。
岩肌を削るように作られた入口。
周囲には、踏み固められた地面と、朽ちかけた杭。
洞穴の奥は黒く沈んでいる。
ルヴィアが足を止めた。
「ここね…」
しばらく入口を見つめたまま、呟く。
「何かがおかしい…」
黒瀬は首を傾げる。
「おかしい?」
「空気が淀んでいる。魔力の流れが、乱れている」
「通常の迷宮は、もっと一定の循環がある。ここは……混ざっている」
「混ざっている?」
「外から魔力が持ち込まれた…普通じゃないのは確かね」
黒瀬は洞穴を見つめる。
「ここが、迷宮か……」
ルヴィアが横目で見る。
「なに、初めてなの?」
「昨日、冒険者登録したばかりなんで」
ルヴィアの視線が止まり、小さく、ため息をつく。
「……そう」
それだけ言って、迷宮の中へ歩き出す。
黒瀬は後を追いながら、心の中で苦笑する。
(なんか、気まずいな…)
洞内はひんやりとしていた。
足音が反響する。
壁に埋め込まれた淡い魔光石が、薄く通路を照らす。
しばらく無言。その中で、ルヴィアの視線を感じる。
黒瀬は居心地悪そうに視線を向ける。
「な、なにか……」
ルヴィアは淡々と聞いた。
「あなた、名前は?」
「黒瀬です」
「私はルヴィア・エルシェル」
「初めて聞く名前ね…よそから来たの?」
黒瀬は一瞬だけ言葉に詰まる。
(刺されて気づいたらここに…なんて言えるわけないよな)
「東にある、遠い国から来ました。そこで……レオンさん達に助けてもらって」
「なるほど」
「だから、頑なについて来たのね」
「まあ……そうですね」
ルヴィアがふと視線を落とす。
「あなた、武器は所持していないの?」
黒瀬は胸の前で拳を握った。
「武器は……これです」
「……そう」
否定も肯定もない。
ただ事実として受け取っただけの反応。
黒瀬は内心で肩をすくめる。
(あぁ……気まずい)
(やっぱり一人のほうが楽だな)
第十階層の入口に辿り着くまで、魔物は一体も現れなかった。
「……おかしすぎる」
「そうなんですか?」
「本来なら各階層に魔物がいる。最低でも数匹は遭遇するはずよ。
それが一匹たりともいない……嫌な静けさ」
「この先に、レオンさん達が……」
ルヴィアは視線を前へ向けたまま言う。
「ここからは、私の指示に従って」
「……わかりました」
第十階層。
広大な空間が広がっていた。
天井は高く、中央は開けた円形の広場。
その中心で。ミリアが座り込んでいた。
血に濡れたセラを、膝に抱いている。
セラの服は裂け、肩口から腹部にかけて深い斬撃痕。
血がまだ止まりきっていない。
ミリアの手は赤く染まり、震えている。
「どうして……」
その少し離れた場所で、レオンが片膝をついていた。
折れた剣を杖代わりに、荒い呼吸を繰り返す。
腕には深い切り傷。
鎧の隙間から血が滲み、床に滴っている。
「ミリア……セラを連れて……逃げろ……次が来る……前に……」
「……嘘だろ……」
反射的に黒瀬は駆け出す。
「待て!黒瀬!」
仕方なくルヴィアも追う。
「大丈夫ですか!何があったんですか!」
レオンは顔を上げる。
「黒瀬さん……なぜ……」
「キーナさんが、帰ってこないって……」
レオンの視線が黒瀬の背後へ向く。
「あなたは……ルヴィアさん」
ルヴィアは周囲を警戒しながら問う。
「何があったの」
レオンは歯を食いしばる。
「そんなことより……早く逃げてください……!次が、来ます……!」
その瞬間。空気が重く沈む。
闇の裂け目のような歪みが、空間のあちこちに浮かぶ。
そこから――魔物が溢れ出した。
だがどれも、目が濁り、身体に禍々しい黒い紋様が走っている。
ルヴィアが剣を抜く。
「なに、この魔力…禍々しすぎる……」
声にわずかな緊張が混じる。
レオンが息を整えながら言う。
「気を付けてください…この魔物達……普通じゃないです……それに、さっきより、魔力が濃い…」
「黒瀬。みんなを連れて外へ。ここは私が――」
「出られません……」
血を吐きながら続ける。
「私たちも……逃げようとしました……ですが……ここにいる魔物を全て倒さなければ……
結界が、解けないみたいです……」
足元に淡く光る魔法陣。
広場の縁を囲むように刻まれている。
魔物たちが一斉に唸り声を上げる。




