異世界育児奮闘記〜魔の2歳さん(イヤイヤ期)と行く異世界転移〜
「びぁぁだぁぁぁぁあ!!!」
近所のスーパーのお菓子コーナー。
床に大の字になって叫ぶ二歳の娘は、お気に入りの魔法少女のピンク色のドレスを着ている。
「りぃちゃん、落ち着いて。泣いても買えない物は買えな……」
叫び声がさらに大きくなった。
周囲からの視線が、容赦なく刺さる。
はぁ。
今日はもう買い物は諦めて、公園にでも行こうかなぁ。
冷蔵庫の残り物で、何か作れるかなぁ。
あぁ、娘のドレスがスーパーの床掃除をしている……。
そんなことを考えながら、私は脳内の買い物リストをビリビリに破き捨てた。
よし、もう帰ろう。
床に張り付いている娘を担ぎ上げようとした、そのとき。
床に触れるはずだった手の甲が、すり抜けた。
「――え」
と、声を上げる暇もなく、足元から床の感覚が消える。
吸い込まれるように身体のバランスが崩れ、私は慌てて娘を抱きしめた。
どうか、この子が痛い思いをしませんように。
それだけを考えて、ぎゅっと腕に力を込める。
落下する感覚。
遠のいていくスーパーの雑踏。
衝撃への恐怖に、目を強く閉じた。
数秒。
内臓がぐっと浮くような不快感のあと――
ふっと、身体が浮いた。
優しく暖かい空気に包まれた、その直後。
冷たい石の感触が、足の裏に伝わった。
娘を強く抱きしめたまま、ゆっくりと目を開ける。
そこには
高い天井。
色とりどりのステンドグラス。
床に描かれた、大好きなマンガで見たことのあるような魔法陣。
そして、
白い法衣をまとった大人たちが、円を描くように立っていた。
「成功だ……」
「いや、待て。二人……?」
ざわめき。
腕の中で、娘がもぞっと動く。
「……ゃ」
小さな声。
嫌な予感しかしない。
次の瞬間。
「いやぁぁぁぁぁ!!」
神殿に、娘の叫び声が響き渡った。
「だっこ! かえる!」
「ママ! いや!」
神官たちが、一斉に目を見開く。
「え、ちょ、落ち着いて――」
「王女殿下がご乱心だ!」
毎日ご乱心です。イヤイヤ期です。
私は娘を抱き直し、必死にあやしながら頭を下げた。
「すみません、その、うちの子、二歳で……え、っていうかここどこ? なに? え?」
私の声は、娘のシャウトにかき消され、誰にも届かなかった…。
神官たちは顔を見合わせ、ひそひそと相談したあと、なぜか一斉にうなずく。
「……王城へご案内します」
「陛下がお待ちです」
「え、ちょっと待ってください。陛下? 王城? 話が全然――」
最後まで言い終える前に、私たちは半ば強引に神殿の外へ連れ出された。
外は、よく晴れていた。
白い石畳の道。
その先に、立派な馬車が停まっている。
「……あ」
腕の中で、娘の動きが止まった。
「……おうまさん?」
さっきまで涙と鼻水でぐしゃぐしゃだった顔が、ぱっと明るくなる。
「うま! うま!」
……あ、これは。
「そうだね、お馬さんだね」
「かっこいいね」
機嫌、急回復。
神官たちも、ほっとしたように息をつく。
「よし、このまま馬車に――」
「いや!」
早い。
娘は私の腕の中で全力で体を反らし、えびぞり状態になる。
「のらない!」
「おうまさんあるく!」
「お馬さんに乗れるんだよ!ほら楽しそうだよ!パカパーー」
「いやぁぁぁぁぁ!!」
再び響く、魂の叫び。
馬が驚いて、ぶるんと首を振った。
神官が青ざめる。
「お、落ち着いてください、王女殿下!」
「殿下、馬車は安全です!」
マイプリンセス。
ママからもお願い、落ち着いてください。
私はえびぞりの娘を抱え直しながら、深く息を吸った。
「……すみません」
「これ、仕様です」
誰も笑わなかった。
*****
馬車の中は、思ったよりも静かだった。
厚手のカーテンが外の音を遮り、規則的な揺れが続いている。
その揺れに誘われたのか、腕の中の娘の力がふっと抜けた。
「……」
さっきまで全力でえびぞりしていたとは思えない。
小さな寝息。
私はそっと、娘の頭を支え直した。
……今のうち。
バッグからスマホを取り出す。
画面がつく。
――あれ?
電波、立ってる。
「え、ここ異世界?じゃないの?」
思わず小声でつぶやきながら、見慣れたアイコンをタップする。
⸻
【パパ】
今日、晩ごはん作れないかも。
スーパーで買い物しそこねて、異世界に来ちゃったかも(ここはどこ?)
娘:無事(さっきまでギャン泣き、今はスヤ)
私:生きてる
電波:ある(なぜ)
⸻
送信。
シュポッ
……音、した。
一瞬、固まる。
「……送れた」
異世界(?)。
馬車。
神官。
情報量が多い。
既読は、つくのだろうか。
私はスマホを握りしめたまま、深く息を吐いた。
向かいに座っていた神官が、ちらりとこちらを見る。
「……お話し、いたしましょうか」
「お願いします。できれば、簡潔に」
神官は一瞬、言葉を選ぶように視線を伏せた。
「この国は、現在、後継者問題を抱えています」
「そして――あなたのご主人は」
一拍。
「かつて、この国の王太子でした」
……え?
「正確には、異世界追放の刑を受けた元王太子、ですが」
思考が、追いつかない。
「その血を引くお子さまが、そちらの世界に存在することが判明し」
「我々は、正式な手順に則り、召喚を行いました」
私は、娘の寝顔を見る。
イヤイヤ期でもほっぺたはぷにぷにだなぁ。
「……うちの子、二歳なんですけど」
「存じております」
「イヤイヤ期なんですけど」
「……存じております」
神官の目が、遠くを見ていた。
*****
しばらくして、馬車が大きく揺れた。
速度が落ち、やがて、静かに止まる。
「……到着いたしました」
神官の声。
カーテンの隙間から見えたのは、
白い城壁。高い塔。大きな門。
どう見ても、王城だった。
「――王女殿下」
神官が、深く頭を下げる。
「どうぞ、お降りください」
その瞬間。
腕の中の娘が、ぱちっと目を開けた。
「……?」
状況把握、開始。
「……うごいてない」
嫌な予感しかしない。
「りぃちゃん、着いたよ。降りようね」
「やだ!」
即答だった。
「もっとのる!」
「まだいく!」
「とまらないで!」
いや、もう着いてる。
「お城だよ。ほら、すごいね」
「やだ!」
「おうまさん、すすめ!」
理不尽、発動。
娘はぎゅっと私の服を掴み、全身で抵抗する。
「降りない!」
「あるかない!」
「ここがいい!」
「……王女殿下?」
神官の声が、わずかに震える。
「王女殿下、どうか――」
「いやぁぁぁぁぁぁ!!」
城門前に、魂の叫びが響いた。
控えていた騎士たちが、一斉にこちらを見る。
誰も、動かない。
「……あの」
私は小さく手を挙げた。
「止まってるのが嫌で」
「降りるのも嫌で」
「さっきまで乗らないって絶叫してたくせに、降りたくない。よくあるやつです。」
「……」
誰も、反論しなかった。
「これ、いつ終わりますか?」
神官が、遠い目をした。
「……私たちのいた世界では1、2年ほどこの調子だと言われています」
私は娘を抱き直し、城を見上げた。
……この城、泣き声に耐えられるかな。
*****
王城の大広間は、息をのむほどきらびやかだった。
床は鏡のように磨かれた白い大理石。
天井は高く、金の装飾が施された梁から巨大なシャンデリアが下がっている。
壁一面に掛けられた絵画とタペストリーは、どれも歴史と威厳を主張していた。
――完全に異世界だ。
その中央に立つ私の格好はというと。
首元のヨレたトレーナー。
量販店の履き慣れたジーンズ。
長時間歩いても平気なNのマークのスニーカー。
どう見ても、浮いている。
「……王女殿下、ご到着です」
声が響いた瞬間、空気が変わった。
玉座に座る男が、ゆっくりとこちらを見下ろす。
国王。
背筋は伸び、微動だにしない。
視線だけで、足元が冷える。
「近う寄れ」
低く、重たい声。
私は娘を抱いたまま、一歩進んだ。
「いや!」
予想通り、娘が暴れ出す。
「あるかない!」
「まだのる!」
さっきまで馬車に乗っていたのに、今さらそれを言う。
「りぃちゃんちょっと落ち着いて」
えびぞり。
全力拒否。
2歳、フルコンボ。
「……」
国王の眉が、ぴくりと動いた。
隣に立つ王妃が、私に向かって冷ややかに言い放つ。
「……随分と騒がしい王女殿下ですこと、、母親の装いも、王城には相応しくありませんね」
はぁ、異世界召喚の予定はなかったもので…。
こちらとしても、完全に想定外です。
「失礼いたします」
張り詰めた空気を切るように、一人の侍女が前に出た。
年配の女性。
動きは落ち着き、声は低く、柔らかい。
「りぃ様」
侍女は、膝を少し折って娘と視線を合わせる。
「馬車、楽しかったですね」
「揺れて、眠くなりましたね」
知らない大人から急に声をかけられた娘は、ぴたりと固まる。
共感。
まず肯定。
「……うん」
「りぃ様、わたくしと手をつないでツルツルの床に立つか、お母様に抱っこしてもらうか、どちらがよろしいですか?」
侍女はゆっくりと優しく、私ではなく娘に選択肢を渡す。
娘は一瞬考え――
「……て、て」
手を差し出した。
成功だ。
侍女は自然に娘の手を取り、私はゆっくりと娘を床に下ろす。
「上手ですね」
「ちゃんと自分で選べました」
褒める。
即、褒める。
国王が、静かに息を吐いた。
「……見事な手際だ」
王妃は何も言わず、じっとその様子を見ている。
やがて、国王の視線が私に向いた。
「そなた、名は?」
心臓が跳ねた。
「た、立花エミです」
「では、王女殿下の名は?」
私は一瞬、娘を見る。
娘は侍女の手を握ったまま、きょろきょろと広間を見回していた。
きらきらした天井も、知らない大人たちも、全部が気になるらしい。
私は娘の隣にしゃがみ、そっと声をかける。
「りぃちゃん、お名前、言えるかな?」
娘は一拍おいて、胸を張った。
「たちばな、りさちゃん。に、だよ」
小さな指で、ぴっと二本。
誇らしげな自己紹介だった。
「……リサ王女、か」
国王はその名を、噛みしめるようにゆっくりと口にした。
王妃は一瞬だけ視線を落とし、やがて静かに目を細める。
「……覚えておきましょう」
「この城で、その名を」
声音は冷たい。
けれど――拒絶ではない。
私はそう、感じていた。
「――リサよ」
国王は、玉座から静かに告げた。
「そなたは、この国の血を引く者。王女として、この城で生きよ」
命令だった。
娘は、少し考えるように首を傾げる。
「……おうじょ?」
「なに?」
私は、耳元で囁く。
「プリンセスだよ、お城に住むかわいい人」
すると。
「やだ!」
即答。
「りぃちゃん、プリンセスじゃない!」
広間に、しんと静寂が落ちる。
娘は胸を張り、はっきりと言い切った。
「プニキュアになるの!!」
そう、娘は魔法少女ブーム真っ只中。
近所のスーパーに行くのにも魔法少女のドレスを着るほどの熱中ぶりだ。
国王は、固まったまま。
「……プニ、キュア?」
王妃が、低く繰り返す。
「……聞いたことのない称号ですこと」
「新たな王族の称号か」
「それとも、戦士の階級か」
国王は真剣に考え込み――
「……王女よりも上位、という可能性もあるな」
私は、そっと手を挙げた。
「違います」
二人が同時に私を見る。
「ヒーローです。」
「……ヒーロー?」
王妃の眉が、ぴくりと動く。
「それは……強いのですか」
娘は、真剣な顔で大きくこくりとうなずいた。
「つよい」
「かわいくて、つよい」
沈黙。
やがて国王は、重々しくうなずいた。
「――なるほど」
全然なるほどじゃない。
「我が孫、王女を拒み、戦う道を選ぶとは……」
満足そうに、笑う。
「面白い。
この城で、最も目が離せぬ存在になりそうだ」
娘が私を見上げた。
「ね、ママ。
プニキュア、なれる?」
私は深く息を吐き、笑った。
「……そうね、イヤイヤ期を卒業したらなれるかもね」
――完。
〜謁見後〜
謁見が終わり、用意された部屋に通されたあと。
私は深く息を吐いて、ソファに腰を下ろした。
「……つかれた……」
王様、王妃、広すぎる大広間、空気の重さ。
精神的にはフルマラソンを一本走った気分だ。
腕の中では、リサが侍女さんにもらったふかふかのクッションを抱えてご機嫌で転がっている。
「わぁ……」
「ふかふか……」
もう完全に自分の城みたいな顔をしている。
……この子、さっきまで王様相手にプニキュア宣言してたんだよな。
私はバッグからスマホを取り出した。
画面をつける。
――既読。
ついてる。
その瞬間、ぶるっと震えた。
来る。
絶対、来る。
案の定。
ピコン。
【パパ】
エミ!!!!
無事か!?
怪我はないか!?
変なことされてないか!?
どこにいる!?今どんな状況だ!?
文章が、息継ぎなし。
……あぁ、めちゃくちゃ心配してる。
私は少しだけ口元を緩めて、返信を打つ。
【私】
生きてる。
怪我なし。
むしろ快適。
【パパ】
……は?
【私】
城。
個室。
ベッドふかふか。
お風呂めちゃくちゃ広い。
ご飯まだだけど期待しかない。
【パパ】
いや待て待て待て
それ本当に大丈夫なやつか!?
脅されてないか!?
無理してないか!?
私は、部屋の隅で侍女さんが静かにお茶の準備をしているのを見ながら、続けた。
【私】
侍女さんが天才。
イヤイヤ期の扱いがプロ。
選択肢提示→即肯定→即褒め。
完璧。
【パパ】
……侍女?
【私】
王城クオリティ。
育児サポート手厚すぎ。
正直、保育園より安心感ある。
少し間が空いて、次の通知。
【パパ】
……リサは?
私は視線を落とす。
リサは、クッションを頭に乗せて遊んでいた。
「ママ、みて」
「かめさん」
完全にくつろいでいる。
【私】
本人は元気。
というか――
寧ろ周りを振り回してる。
【パパ】
…………。
既読のまま、しばらく返事が来ない。
たぶん、頭を抱えている。
私はソファに深くもたれながら、ぽつりと思った。
……この人、追放された元王太子だったんだよね。
なのに今は、
異世界の城から、普通に夫婦LINE。
世界観、どうなってるんだろ。
そのとき。
「ママ!」
リサが、ぱっとこちらを見た。
「ここ、りぃちゃんのおうち?」
……あぁ。
私はスマホを握ったまま、苦笑した。
「……どうだろうね」
たぶん。
思ってるより、長居するかもしれない。
そんな予感が、していた。




