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薄壁越しの訳あり姉妹 ~彼女たちの部屋でGを退治したら、彼女たちに猛烈に愛され始めた件~  作者: 藍之介


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第7話 避難所と、妹の提案

 ピン……ポォ……。


 いつもの古めかしい音が鳴る。

 俺の指がチャイムから離れても、その余韻が静まり返った廊下に響いているような気がした。

 心臓が早鐘を打っている。

 やはり、お節介だっただろうか。

 前回もそうだったが、32歳の男が夜分に若い女性の部屋を訪ねるなんて、普通に考えれば事案なのだ。

 だが、壁越しに聞こえたあの泣き声を、俺は無視することができなかった。


 しばらくの沈黙の後、ドアノブがゆっくりと回される音がした。

 チェーンロックがかかったまま、ドアが数センチだけ開く。

 その隙間から覗いたのは、スマートフォンのライトで下から照らされた、亡霊のように青ざめた葵さんの顔だった。


「……さ、佐藤さん……?」


 その声は震えていて、目元は赤く腫れ上がっている。

 ライトの光が、頬に残る涙の痕を浮かび上がらせていた。


「こんばんは。夜分にすみません」


 俺はできるだけ穏やかな声を出すように努めた。

 ここで焦ったり、大声を出したりすれば、彼女をさらに怯えさせてしまう。


「あの……もしかして、ブレーカーでも飛びましたか? 廊下から見たら、お宅だけ真っ暗だったもので」


 あえて「声が聞こえた」とは言わず、「外から見た」という体裁をとる。

 葵さんは、さらに恐縮したように身を小さくした。


「いえ、その……あの……これは事故というか、手違いというか……」

「電気が止まっちゃったんですよぉ……!」


 葵さんの背後から、茜ちゃんがひょっこりと顔を出した。

 いつも元気な彼女も、今は汗で前髪が額に張り付き、顔を紅潮させている。

 蒸し風呂のような室内で、限界だったのだろう。


「やっぱり。……この時期の停電はキツイですよね。熱中症になりますよ」


 俺は一拍置いて、提案した。


「もしよかったら、うちに来ませんか?」

「えっ……」

「うちは電気通ってますし、エアコンも効いてます。……あと」


 俺は、自分の冷凍庫から持ってきた箱入りアイスを掲げて見せた。


「ちょうどアイス買ったんですけど、一人じゃ食べきれなくて溶けちゃいそうで。手伝ってもらえませんか?」


 またしても嘘をついた。

 アイスなんて、帰り道に自分へのご褒美に買ったばかりで、数日に分けて食べれば済む話だ。

 だが、この状況で彼女たちが遠慮しないための「理由」が必要だった。


「でも……こんな時間から、お邪魔するなんて、また佐藤さんのご迷惑になりますし……」

「お姉ちゃん! 背に腹は代えられないよ! 私もう汗だくだし、この部屋にいると干乾びちゃうよぉ!」

「もう茜ったら。……佐藤さん、本当に、ご迷惑じゃありませんか?」

「全然。むしろ、電気代の元が取れて嬉しいくらいです」


 意味不明な理屈だったが、葵さんはそれにすがるように、小さく、コクリと頷いた。


 ***


 涼しい――。


 俺の部屋に入った瞬間、二人は同時に深い息を吐いた。

 設定温度26度のエアコンの風が、汗ばんだ肌を冷やしていく。

 湿度90%のサウナから、高原の避暑地に来たような劇的な変化だろう。


「はー、生き返るぅ……! 文明の利器バンザイ!」

「すみません、お邪魔します……。本当にすみません……」


 茜ちゃんはフローリングに寝転がりそうな勢いでくつろぎ始め、葵さんは申し訳無さそうに部屋の隅で縮こまっている。

 俺は二人を座らせ、延長コードを引っ張り出して充電器を渡した。


「とりあえずスマホの充電どうぞ。あと、これアイス」

「わぁ! チョコモナカ! いただきまーす!」


 パキッ、とアイスを割る乾いた音が響く。

 葵さんも、俺に促されて恐縮しながらアイスを受け取った。

 テレビの光に照らされながらアイスを食べる姉妹。

 冷たいアイスが喉を通ると、ようやく葵さんの顔に生気が戻ってきた。


「……電気代、明日の朝一番でコンビニ払いしてきます。給料日前で、残高の計算を間違えてしまっていて……」

「無理しなくていいですよ。困った時はお互い様ですから」

「でも……佐藤さんには助けられてばかりで……。私、お姉ちゃん失格です」


 葵さんが瞳を潤ませて、膝の上で拳を握りしめる。

 妹にひもじい思いをさせてしまったという自責の念が、彼女を押し潰そうとしているようだった。


「そんなことないですよ。一生懸命やってるの、俺は知ってますから」


 俺の言葉に、葵さんがハッとして顔を上げた。

 その瞳があまりにも綺麗で、俺は思わず視線を逸らして、テレビの方を向いてしまった。


 葵さんも残業が多いのか、アパートに帰るタイミングが一緒になることもある。

 まだ社会人二年目だというのに、既に会社にいいように使われているようであった。


「それにしても、健二さんの部屋ってなんか落ち着くねー」


 茜ちゃんがアイスを咥えながら、俺の本棚を物色している。

 自由だ。この子は本当に自由だ。

 でも、その明るさが今の重い空気を救ってくれている。


「漫画もいっぱいあるし、このクッションもちもちだし。……ねぇ」


 茜ちゃんがクルリと振り返り、とんでもないことを言い放った。


「今日、ここで寝ちゃダメ?」


「「はぁっ!?」」


 俺と葵さんの声が綺麗にハモった。

 茜ちゃんは悪びれもせず、指を振る。


「だってぇ、私たちの部屋、暑いし暗いし怖いし。ここなら涼しいし、明るいし、健二さんもいるから安全じゃん」


 安全。

 32歳の独身男の部屋が「安全」と言われるのは複雑な心境だが、彼女たちにとって俺が「無害な存在」として認定されているらしい。

 防犯上の意識としては褒められてたものじゃないが、俺が信頼されていると前向きにとらえよう。


「あ、茜! 何を言い出すの!? 佐藤さんに迷惑でしょ!」

「えー? じゃあお姉ちゃん、あの蒸し風呂みたいな部屋に戻って寝れるの? 熱中症で倒れるかもしれないよ?」

「うっ……それは……」


 葵さんが言葉に詰まる。

 確かに、あの部屋に戻るのは危険だ。

 夜になっても気温は下がっておらず、夜中も蒸し暑さは続くだろう。

 だからといって、年頃の女性二人を男の部屋に泊めるなんて、倫理的にも社会的にもアウトな気がする。

 だが、俺には彼女たちを見捨てることはできなかった。


「……そうだね。電気が復旧するまでは、ここにいていいよ。俺は明日も仕事だし、鍵渡しておこうか?」

「えっ!? そ、そこまでは……!」

「昼間、冷蔵庫の中のもの腐っちゃうでしょ? うちの冷蔵庫に移しておけばいいし。避難所だと思って使ってよ」


 いろんなリスクを比較して、やはり二人はウチに居たほうがいいと結論づけた。

 茜ちゃんは喜び、葵さんは顔を真っ赤にして狼狽えている。

 葵さんはしばらく考えた後。


「……わかりました」


 諦めたような顔で顔を上げた。

 やはり、自分たちの部屋に戻るのは危険だと判断したらしい。


「もし、佐藤さんが許してくださるなら……朝まで、部屋の隅っこをお借りしてもいいでしょうか。床で構いませんので」

「いやいや、女の子二人を床になんて寝かせられませんよ! 二人がベッド使ってください。俺が床で寝ますから!」

「そんな! ダメです! 家主さんを床に寝かせるなんてできません!」


 俺の部屋には、俺が普段寝ているセミダブルのベッドだけだった。

 客用布団なんて気の利いたものはない。あるのはキャンプ用に買って、ほとんど使っていない寝袋くらいだ。

 そこから、奇妙な譲り合いが始まった。

 そんな大人たちを見て、茜ちゃんがニヤリと笑った。


「じゃあさ、みんなでベッドで寝ればよくない?」


 茜ちゃんから、本日二度目の衝撃発言。

 俺たちの思考回路は、完全にショート寸前だった。

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