第31話(後編) 缶ビールと、王子様の本音
「……うぅ……」
冷蔵庫に入っていた、最後の缶ビールを開けて少し経った時だった。
星野さんが、突如としてテーブルに突っ伏したのだ。
「ほ、星野さん!?」
「だ、大丈夫ですか!?」
俺と葵さんが慌てて声をかける。星野さんはゆっくりと顔を上げた。
その瞳はとろんと潤み、頬は桜色に染まっている。そして、目には大粒の涙が溜まっていた。
「……なんで……なんでボクばっかり……」
「へ?」
「なんでボクは……こんなに男っぽいんだよぉぉぉ……!」
突然、星野さんが声を上げて泣き出した。
クールで完璧な王子様のような星野さんからは想像できないような姿。ヒックヒックと子供の様にしゃくりあげている。
「学生の頃からずっとそうだったんだ……! ちょっと背が高いからって、バスケ部に入部させられて……! バレンタインには、下駄箱に入り切らないほどのチョコもらって……!」
「そ、それはむしろ羨ましいような……」
「羨ましくないっ! ボクは女の子なんだよ!? チョコはあげる側になりたいんだぁ!」
バンッ!とテーブルを叩く星野さん。どうやら、彼女は極度の「泣き上戸」かつ「絡み酒」タイプだったらしい。
普段、完璧な自分を演じている反動なのだろうか。溜め込んでいた鬱憤が、アルコールと共に決壊したようだ。
「社会人になってもそうだよ……! 『星野さんはカッコいい』『頼りになる』『王子様みたい』……。そんな言葉ばっかり! 誰も、ボクのことを『可愛い』なんて言ってくれない……!」
星野さんは缶ビールを一気に煽り、空になった缶で机をたたく。
「髪だって、本当は伸ばしたいんだ……。でも、くせ毛だから、短くしないとまとまらないし……。フリフリの服だって着てみたいけど、この身長じゃ似合わないし……」
それは、王子様の知られざる悩みであった。
高身長であり、女優やアイドル顔負けの端正な顔立ち。それは多くの人が羨む才能だが、当の本人にとっては「女の子らしく扱われない」という呪いになっていたのだ。
俺に見られた時のあの過剰なまでの羞恥心も、コンプレックスの裏返しだったのかもしれない。
「わかるよぉ、星野さん……」
茜ちゃんが、星野さんの背中をさすりながら深く頷いた。
「私もさ、ガサツだし、男子からも『月本は色気がない』って言われてるし……」
「茜ちゃんは可愛いよ……。肌もピチピチで……。ボクなんて、気づいたら三十路手前だし、このまま男性からも距離を取られて、行き遅れる運命なんだぁ!」
「そんなことはありませんよ!」
悲壮感に暮れている星野さんに、葵さんが強い口調で否定した。
「星野さんは素敵です! 仕事もできて、優しくて、気配りもできて……。私、星野さんのこと、女性としても心から尊敬しています!」
「葵ちゃん……」
星野さんが涙目で葵さんを見る。
しかし、口をついて出てくるのは、自己否定の言葉であった。
「でも……それは『仕事の先輩』としてでしょ? 『女』としてじゃないんだ……。どうせボクは、一生独り身で、猫と暮らす運命なんだ……」
ネガティブモード全開。
その崩れた姿が、俺には妙に人間臭くて、とても親近感を覚えた。
他人から見れば完璧に見える人だって、悩んで、コンプレックスを抱えて、必死に生きている。俺と同じだ。
俺は、自分の缶に残っていたビールを飲み干すと、ふと口を開いた。
少しアルコールが回っていたせいかもしれない。普段なら言えないような言葉が、するりと出てきた。
「……無理しなくていいんじゃないですか?」
俺の言葉に、星野さんが泣き腫らした目でこちらを見た。
「……ふぇ?」
「星野さんは、そのままでも十分……いや、すごく綺麗ですよ」
部屋の空気が止まる。俺は星野さんから視線を逸らさずに続けた。
「背が高いのも、顔立ちが整っているのも、星野さんの魅力です。でも、それだけじゃない」
「…………」
「今日、俺はお風呂上がりの星野さんを見て……正直、ドキッとしました。とても魅力的で、守ってあげたくなるような……素敵な女性だと思いました」
嘘ではない。あの時、俺が感じたのは「男装の麗人」への驚きではなく、圧倒的な「女性の色気」への動揺だったのだから。
「それに、さっきの料理を食べて『美味しい』って笑った顔。……すごく可愛かったですよ」
言い切ってから、俺は自分が何を言っているのか自覚し、急激に恥ずかしくなってきた。
アラサーの男が、酒の席とはいえ、こんな歯の浮くようなセリフを吐くなんて。
後悔の念が押し寄せてきたが、すでに遅かった。
星野さんは、ポカンと口を開けて俺を見ている。
既に涙が止まっていた。
「……ほ、本当に?」
「はい。嘘じゃありませんよ」
「……ボクのこと、魅力的だと……思う?」
「思います。……というか、世の中の男はみんなそう思いますよ。高嶺の花すぎて、声をかけられないだけで」
俺が言うと、葵さんと茜ちゃんも大きく頷いた。
「そうですよ! 星野さんは美人さんです!」
「健二さんの言う通り! 素材が良すぎるんだよー!」
三方向からの肯定。星野さんは、ゆっくりと瞬きをして、それから自分の頬に手を当てた。
その頬が、ビールの酔いとは違う色で、さらに赤く染まっていく。
「……そっか。……そうなんだ」
星野さんは俯き、恥ずかしそうに、でも嬉しそうに微笑んだ。
その笑顔は、王子様のものではなく、間違いなく女性のそれだった。
少しの沈黙の後。星野さんが、意を決したように顔を上げた。
その瞳は、今度は真っ直ぐに俺を捉えていた。
「……ねえ、佐藤くん」
「はい?」
「……じゃあ、証明してみせてよ」
星野さんの声が、少し震えている。
「え、証明って……」
「ボクが、女性として魅力的だってこと。……君が、証明して」
星野さんは身を乗り出した。Tシャツの襟元が少し開き、白い鎖骨が見える。
彼女は潤んだ瞳で俺を見つめて言った。
「ボクと、デートしてくれない?」
――は?
時が止まる。
思わぬ発言に、俺の思考回路が完全にショートしている。
デ、デート? 俺が? 星野さんと?
「えっ……ちょ、ちょっと待ってください! デートって……!」
「嫌かな? やっぱり、ボクじゃ……」
星野さんが不安そうに眉を下げる。
今まで見たどんな女優よりも可愛い。その表情は反則だった。
「い、嫌とかじゃなくて! 俺なんかじゃ星野さんと釣り合わないですよ!?」
「ボクは、佐藤くんがいい」
星野さんはきっぱりと言った。
「この前、ショッピングモールで見かけた時……君たち、すごく楽しそうだったから」
星野さんの視線が遠くを見るようになる。
「葵ちゃんと茜ちゃんと……三人で笑い合ってて。……私、それを見て、羨ましいなって思ったんだ。あんな風に、自然体で、飾らないで……誰かと笑い合えたら、どんなにいいだろうって」
それが、彼女の本音だったのだろう。
王子様として祀り上げられ、遠巻きに憧れられるだけの孤独。
彼女が求めていたのは、俺たちが過ごしているような”日常”だったのかもしれない。
「ボクは、これまで男性とお付き合いしたこともないし、デートもしたことがないんだ。……だから、練習台でもいい。『女の子としてのデート』を教えてほしい」
真剣な眼差し。
酔っているからかもしれない。明日になれば「忘れて」と言うかもしれない。
でも、今の彼女の言葉に嘘はなく、痛いほどに真っすぐだった。
「……えーと、あの……」
俺は助けを求めて、葵さんと茜ちゃんを見た。
二人はというと――。
完全に口を開けて固まっていた。無理もないだろう。
誰だってこんな展開になるとは予想していなかった。
「……お姉ちゃん、これって……」
「……うん。まさかの、ライバル出現……ね」
茜ちゃんと葵さんが、何か呟いている。
何を呟いたかはよく聞こえなかったが、なぜか二人の目は真剣そのものだった。
星野さんも、赤くなった顔でうっとりと呟く。
「楽しみだなぁ」
窓の外では、いつの間にか雨が止み、雲の切れ間から月が顔を覗かせていた。
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