第27話 浮かれた月曜日と、王子様の誤解
月曜日の朝というのは、社会人にとって憂鬱の代名詞だと言われています。
重たい身体を引きずり、満員電車に揺られ、終わりの見えない一週間という荒野への第一歩を踏み出す日。
以前の私――前の会社にいた頃の私にとっても、月曜日は絶望そのものでした。
ですが……、今日の私は違います。
「おはようございます!」
オフィスのドアを開けると、自分でも驚くほど明るい声が出ました。
窓から差し込む朝日が、まるでスポットライトのように私を祝福している気さえします。
「あら、おはよう葵ちゃん。今日は一段と元気ねぇ」
デスクでコーヒーを飲んでいた玲子社長が、目を丸くしてこちらを見ています。
「はい! 今日も一日、頑張ります!」
「ふふ、何かいいことでもあったのかしら。若い子が元気だと、職場が明るくて助かるわ」
私は自分のデスクに向かい、パソコンを立ち上げながら、自然と口元が緩んでしまうのを抑えるのに必死でした。
キーボードを叩く指先も、まるでピアノを弾くように軽やかです。
(ふふ……楽しかったなぁ……)
頭の中を占めているのは、今日の仕事の段取りでも、話題のニュースでもありません。
先日のショッピングモールの光景でした。
『……まるで、デートみたいだなって』
あんな大胆なことを言ってしまった恥ずかしさと、それを佐藤さんが否定せずに『俺もです』と言ってくれたあの時。
あれはきっと、佐藤さんの優しさからくる言葉でしょう。
それでも、私にとっては宝物のような一言でした。
もちろん、佐藤さんの右腕の怪我のことや、茜の借金返済という現実的な問題は残っています。
でも、佐藤さんが「監視役」としてずっと側にいてくれるという約束は、私にとって借金という重荷さえもポジティブに変えてしまう魔法のようでした。
「……葵ちゃん」
「は、はいっ! なんでしょうか!」
突然、名前を呼ばれ、私は弾かれたように返事をしました。
振り返ると、そこには私の教育係であり、頼れる先輩の星野 樹さんが立っていました。
今日も星野さんは完璧な姿でした。
体にフィットしたスタイリッシュなジャケットに、短く整えられた髪。
涼しげな目元と、通った鼻筋。その中性的な美貌は、宝塚の男役スターか、少女漫画から抜け出してきた王子様のようです。
近づくだけで、ふわりと甘いコロンの香りが漂います。
「あ、星野さん。おはようございます! あの、先週頼まれた資料なら、もう出来ていて……」
「うん、ありがとう。……でも、仕事の話じゃないんだ」
星野さんは少し声を潜め、真剣な眼差しで私を見ています。
いつもの優しい笑顔ではありません。
どこか、探るような、心配するような……そんな気持ちが伝わってきました。
「え……?」
「ちょっと、あっちの休憩スペースで話せるかな? コーヒー淹れるから」
星野さんの纏うシリアスな空気に、私の浮かれた気分は急速に冷えていきます。
何か、仕事で大きなミスをしてしまったのでしょうか。
私は緊張でゴクリと喉を鳴らしながら、星野さんの背中を追いました。
***
オフィスの隅にある休憩スペース。
星野さんは淹れたてのコーヒーを私の前に置き、向かい側のソファに深く腰掛けました。
長い脚を組み、指を組み合わせて私を見つめます。その仕草一つ一つが絵になるのですが、今の私は取り調べを受ける容疑者の気分です。
「……葵ちゃん」
「は、はい」
「単刀直入に聞くけど」
星野さんは、少し躊躇うように一度視線を逸らし、それから意を決したように切り出しました。
「一昨日の土曜日。……隣町のショッピングモールに、いたよね?」
――えっ?
心臓がドクンと跳ねました。予想外の質問に、私は目を白黒させます。
「え、あ、はい。行ってましたけど……」
「やっぱり、そうか」
星野さんは納得したように頷き、それから眉間に深い皺を寄せました。
「僕もね、たまたま買い物に行ってたんだ。そこで、君を見かけた」
「ええっ!? ほ、星野さんもですか!?」
嘘でしょう? あの広いモールの中で、まさか同じ職場の人に見られていたなんて……。
「……それでね、葵ちゃん。君と一緒にいた人のことなんだけど」
星野さんの声のトーンが、さらに低くなります。
「女の子と……あと、もう一人。腕を吊った男性がいたよね?」
「っ……!」
確実に見られていました。私は顔から火が出る思いで俯きます。
休日に男性と買い物に行っていたなんて知られたら、どんな顔をすればいいのでしょう。
「あの男性は……どういう関係の人なのかな?」
星野さんの瞳が、私を射抜きます。
それは単なる好奇心ではなく、何かを危惧しているような鋭い視線でした。
「えっと、その……あの人は……」
佐藤さんとの関係をどう説明すればいいのでしょう。
隣人? ただの隣人とあんなに親密にするでしょうか。
恩人? それだけだと、今の距離感は説明がつきません。
監視役? そんなの、事情を知らない人が聞いたら意味不明です。
私の頭の中はパニック状態でした。
よく考えれば、隠すようなことではないはずですが、星野さんの真剣な眼差しに気圧され、言葉が上滑りしてしまいます。
「そ、その! 彼は、お隣さんで……佐藤さんと言うんですけど……」
「お隣さん?」
「はい! 私たちが引っ越してきてから、すごく良くしていただいてて……。その、私が仕事で遅くなるときは、妹の面倒を見てくれたり……」
「……面倒を?」
星野さんの眉がピクリと動きました。
「ええ。それに、ご飯も……。あ、合鍵もお預かりしているので、私が先に入って、ご飯を作ったり……」
「合鍵……!?」
星野さんの声が少し裏返りました。
しまった、言い方がまずかったかもしれません。
「葵ちゃんが、彼の部屋の合鍵を持ってるってこと?」
「は、はい。そうですけど……」
「そして、君が彼の部屋に行って、家事をしていると?」
「あ、家事というか……普段のお礼にご飯を作ったり、掃除をしたり……。お風呂も借りたり……」
「お風呂……!?」
星野さんが目を見開き、カップを持つ手が震えています。
ああ、もう、何を言っても墓穴を掘っている気がします!
でも、事実なんです。事実なんですが……、言葉にすると、どうしてこうも怪しく聞こえるのでしょう。
「彼の部屋に頻繁に行って、家事をして、お風呂まで借りている……。そして、彼は怪我をして働けない……」
星野さんがブツブツと独り言を言っています。
「とにかく! 佐藤さんは、私たちにとって、なくてはならない大切な人なんです! 先日の……茜のトラブルの時も、身を挺して守ってくれて……その時の怪我であの腕なんです!」
私は必死に訴えました。
佐藤さんがいかに素晴らしい人か。いかに私たちが彼に救われているか。
熱弁するうちに、私の頬は自然と熱くなり、声も上ずってしまったかもしれません。
「私……佐藤さんのこと……本当に、信頼してるんです。……佐藤さんがいない生活なんて、もう考えられないくらい……大切な恩人なんです!」
……あれ? 私、今なんて言いました?
佐藤さんがいない生活なんて考えられない?
それって、まるで……。
カアァァァッ……と顔が熱くなるのがわかります。
ち、違います! これは家族愛的な! 人類愛的な意味で!
長い沈黙が流れました。
恐る恐る星野さんを見ると、少し憐れむような、それでいて確信めいた目で私を見ていました。
そして、深いため息をつくと。
「……そうか。葵ちゃん、君は……」
星野さんは静かに告げました。
「その彼のことが、好きなんだね」
――へ?
思考が停止しました。
す、すき? 私が? 佐藤さんを?
「ち、ちちち、違います! めっそうもありません! そ、そんな……好きだなんて……!」
私は両手をブンブンと振って否定しました。
好き? いや、確かに佐藤さんは大切な方ですし、一緒にいると落ち着きますし、ドキドキすることもありますけど……。
それは、家族愛とか! そういうやつであって!
恋愛感情だなんて、そんなおこがましい……!
「……ふぅ。君は本当にピュアすぎるよ。結婚相談所の相談員としては少し心配だけど」
星野さんは、私の否定なんて聞いていないようでした。
「本人の自覚が無いのが一番厄介だね。……いいかい、葵ちゃん。客観的に見て、その状況はかなり危ういよ」
「あ、危うい?」
「合鍵を持たされて、家事をさせられて……。そして、怪我を負って同情を引く手口……」
星野さんの瞳に、暗い影が落ちます。
「葵ちゃん。怒らないで聞いてほしいんだけど……その男性、本当に大丈夫な人なのかい?」
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