第23話(前編) 過ちと、高熱の救世主
【P活募集。10代の方歓迎。大人の関係なし。食事だけで3〜。DMください】
あの日、お金という誘惑に負けた私は、このSNS投稿に返信し、見ず知らずの人とダイレクトメッセージでやり取りを始めてしまった。
そのプロフィールのアイコンは、高そうな時計と車の写真。自己紹介文には「経営者」と書いてある。
アカウント名は”ラビッシュ”。
メッセージの文面を何度も書き直し、最後は思い切って送信した。
【すみません。こういうの初めてなんですけど】
【そうなんだ、君いくつ?】
【17です】
【大丈夫、そのくらいの子だったら、お小遣い稼ぎにみんなやってるよ】
みんなって……。私の周りでは聞いたことないんだけどな……。
少し違和感を感じつつも、パパ活自体はニュースで聞いたことがあるし、私と同い年くらいの子でやってる人もいるのだろうと、無理やり自分を納得させた。
【そうなんですね! ちょっと安心しました】
【俺は、一緒に食事してくれるだけで満足だし、気に入った子には多めにお金も払うよ】
【よろしくお願いします】
メッセージの文面は紳士的で、悪い人ではなさそうだった。
それに、気に入ってくれれば3万円以上貰えるかもしれない。
こんなことは何回もしたくない。早く修学旅行費と授業料さえ貯められれば、それできっぱり辞めるんだ。
【会うのは明日の18時でいい?】
【大丈夫です!】
【じゃあ、”イル・ルーチェ”って店に18時2名でディナーを予約しておいてくれる?】
【わかりました】
私がお店に予約するの?
スマホで『イル・ルーチェ』と検索してみると、超がつく高級イタリアンレストランだった。
ディナーコースで一人3万円!?
桁違いの金額に、頭がくらくらする。
でも、この人に気に入られないと、お金がもらえないんだ。これは必要なことなんだと自分に言い聞かせる。
***
『お電話ありがとうございます』
「あ、あの……予約をお願いしたいんですけど……」
昨日の夕方のことだ。
私は震える指でスマホを握りしめ、生まれて初めて高級レストランに電話をかけた。
『ありがとうございます。お日にちはお決まりでしょうか』
「……はい。えっと、日にちは……明日の18時でお願いしたくて」
『かしこまりました……少々お待ちください』
――あれ? このお店で合ってるよね……。
急に不安になってくる。
相手のアカウントから指定してきた店名はカタカナだったが、その名前で検索しても、店名が英語表記で書かれているページしか見当たらなかった。
「あ、あの、確認ですけど……店名って、イル・ルーチェって名前ですよね?」
『はい? ええ、左様でございます』
「あ、すみません! 英語だとわからなくて」
少し安心する。電話だけでこんなに緊張するのは初めての経験だった。
『いえいえ、大丈夫ですよ。はい、明日のご予約承ります。コースと人数はお決まりでしょうか』
「えっと、……はい、ディナーコースで。2名です」
『ありがとうございます。最後にお名前とお電話番号をお願いします』
「名前は、月本です……。電話番号は……」
電話を切った後、予約が取れたことをSNSのダイレクトメッセージで相手に報告した。
【予約、取れました】
【ありがとう。じゃあ明日18時に、駅前の時計台の下で待ってるよ。楽しみにしてるね】
画面に表示された文字を見て、私は小さく息を吐いた。
これでいいんだ。
たった数時間、ご飯を食べるだけ。それだけで3万円ももらえるなら……。
そう自分に言い聞かせ続けて、お風呂にでも入ろうとしたとき。
隣の部屋から、ドサリと何かが倒れるような、大きな物音が聞こえた気がした。
***
そして、土曜日の夕方。
駅前のロータリーにある時計台の下。
私は、お姉ちゃんのクローゼットからこっそり借りた、お出かけ用のワンピースを着て立っていた。
普段履き慣れない少し高めのヒールが、コンクリートの地面にコツコツと乾いた音を立てる。
(……帰りたい)
約束の18時が近づくにつれて、胸の奥で黒い罪悪感が風船のように膨れ上がっていた。
周りを行き交う人々は、みんな幸せそうに見える。
家族連れ、カップル、買い物帰りの学生たち。
その平和な日常の風景の中で、私だけが異物のように浮いている気がした。
やっぱり、間違ってる。
こんなことして手に入れたお金で行っても、純粋に修学旅行を楽しめるわけがない。
お姉ちゃんの笑顔と、健二さんの優しい顔が浮かぶ。
もしこのことがバレたら、二人はどんな顔をするだろう。
悲しむだろうか。軽蔑されるかもしれない。失望されるかもしれない。
そう考えただけで、胃がキリキリと痛み、吐き気がした。
「……やっぱり、断ろう」
私は拳を握りしめた。
今ならまだ間に合う。会う前にメッセージを送って、帰ってしまえばいい。
レストランには迷惑をかけるけど、後で電話して謝ろう。
キャンセル料なら、私がまたバイトして払えばいい。
スマホを取り出し、SNSを開こうとした、その時だった。
「よう。君がakaneちゃんか?」
背後から、ねっとりとした油のような声が聞こえる。
ビクリと肩を震わせて振り返ると、そこにいたのは一人の男。
「あ……」
アイコン写真やメッセージの文面から想像していた「優しそうな紳士」とは、似ても似つかない男だった。
年齢は40代後半くらいだろうか。
高そうなブランド物のスーツや腕時計を身に着けているが、体型は締まりがなく、腹が出ている。
振りかけられたコロンの匂いもキツく、甘ったるい悪臭のようだ。
そして何より、サングラス越しに向けられた視線が、私の全身をじっとりと舐め回すようで、生理的な嫌悪感が背筋を駆け上がった。
「えーと、ラビッシュさん……ですか?」
「おう。俺がラビッシュだ。……思ってたよりずっと可愛いじゃねえか。当たりだな」
その男はニタリと下卑た笑みを浮かべ、私の肩に馴れ馴れしく手を置こうとした。
私は反射的に半歩下がって避けた。
「あ、あの……私……」
「ん? なんだよノリ悪りいな。まぁいいや、早く行こうぜ」
男は私の言葉を聞こうともせず、歩き出した。
駅とは反対方向。レストランがある繁華街の方でもない。
「え、あの、レストランは向こうじゃ……?」
「ああ、店に行く前に、ちょっと荷物取りたいんだわ。俺の車、デパートの立体駐車場に停めてあるからさ。そこまで付き合えよ」
男はどんどん歩いていく。
私はその場に立ち尽くした。
行きたくない。足がすくんで動かない。
「おい、何してんだ。早く来いよ!」
男は立ち止まり、イラついた低い声で呼んだ。
その声の圧に、私は怯えた。
ここで、もし「帰ります」と言ったら、何をされるか分からない。
周りには人が大勢いるけれど、誰も私なんか見ていない。助けてくれそうにない。
「……は、はい」
私は断るタイミングを完全に逃し、震える足で男の後ろをついていくしかなかった。
道中、男はずっと自分の自慢話をしていた。
いかに自分が金を稼いでいるか。どんな高級車に乗っているか。
私は「はあ」「すごいですね」と、壊れたロボットのように相槌を打つのが精一杯だった。
頭の中は「どうやって逃げよう」という思考で埋め尽くされているのに、体が言うことを聞かない。
まるで、見えない鎖に繋がれて、屠殺場へ引かれていく家畜のようだった。
やがて、デパートの薄暗い立体駐車場に到着する。
コンクリートの冷たい空気と、排気ガスの臭い。
男が足を止めたのは、黒塗りの大型高級車の前だった。
スモークガラスで、中は全く見えない。
「とりあえず、乗れよ」
男がリモコンキーでスライドドアを開ける。
開いた黒いドアが、私を飲み込もうとする獣の口のように見える。
「あ、あのっ!」
私は最後の勇気を振り絞って声を上げた。
「ご、ごめんなさい! 私、やっぱり帰ります!」
「あ?」
「こんなこと、やっぱり間違ってます……。レストランの予約も、キャンセル料は私がいつか払いますから……!」
私は深々と頭を下げた。
怒られるかもしれない。でも、これ以上進んだら、もう二度と戻れない気がした。
しかし、返ってきたのは怒声ではなかった。
クックッ、という、耳障りな笑い声だった。
「キャンセル料? バーカ、そんなもん必要ねえよ」
「え……?」
「あの店なら、とっくに俺がキャンセルしといたわ。お前が予約した後、店に電話して『娘がイタズラで予約した』ってな」
男はニヤニヤしながら言った。
「な、なんで、そんなこと……」
「なんでって、お前、本気であんな高い店連れてってもらえると思ったのか? 世の中そんな甘くねえんだよ、ガキが」
男が一歩、また一歩と私に近づく。
私は後ずさり、背中が冷たいコンクリートの柱に当たった。
「『月本』って名前を聞き出すために仕掛けた罠なんだよ。お前みたいなガキは、高級店って餌をぶら下げとけば、ホイホイ個人情報漏らすからな。どうせakaneってのも本名だろ? 月本茜ちゃん」
「わ、罠……?」
「今までもそうやって何人も食ってきたんだよ。SNSで金に困ってる馬鹿な女を釣ってな」
パシャッ。
突然、シャッター音が響いた。
男がスマホを私に向けていた。
「な、何するんですか!?」
「いい顔だ。怯えた顔が一番そそるんだよなぁ」
男はスマホの画面を私に見せつけてくる。
そこには、今撮られたばかりの、恐怖で強張った私の顔が映っていた。
「いいか? お前の名前はもう割れてんだ。この写真と一緒に、『パパ活女子』としてSNSにばら撒かれたくなかったら、大人しく言うことを聞け」
「そ、そんな……」
「学校にも居られなくなるぞ? 家族にもバレるだろうな。……嫌なら、車に乗れ。たっぷりと可愛がってやるからよ」
脅迫。
サーッと血の気が引いていく。
この人は、最初からこれが狙いだったんだ。
私の浅はかな考えが、甘い認識が、最悪の事態を招いてしまった。
「いいから、早く乗れよ!」
屑谷が私の腕を掴み、強引に車の中へ引きずり込もうとする。
その力は強く、抵抗できない。
「いやっ! 離して! 助けて……!」
「騒ぐな! 誰も来やしねえよ!」
身体が車内に押し込まれそうになる。
シートの革の独特な匂いが鼻をつく。
終わる。
私の人生が、ここで終わる。
「お姉ちゃん……健二さん……!」
絶望の淵で、大切な人の名前を叫んだ、その時だった。
「――その手を離せ!!」
駐車場に、怒号が響き渡った。
振り返ると、そこには肩で息をする一人の男が立っていた。
着の身着のまま飛び出してきたような、ヨレヨレのジャージ姿。
その顔は真っ赤で、足元はおぼつかないように見える。
「け、健二さん……!?」
その人は、高熱で寝ているはずの健二さんだった。
「あぁ? 誰だテメェ」
男が不快そうに顔をしかめる。
健二さんは、鬼のような形相で男を睨みつけていた。
「汚い手で……茜ちゃんに、触るな」
ふらつく足で、健二さんは一歩、また一歩と近づいてくる。
その姿は満身創痍で、立っているのが不思議なくらいだ。
けれど、その瞳には、決して揺るがない強い光が宿っていた。
面白い、続きが読みたいと思っていただけましたら、ブックマークと評価をお願いします!




