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薄壁越しの訳あり姉妹 ~彼女たちの部屋でGを退治したら、彼女たちに猛烈に愛され始めた件~  作者: 藍之介


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第20話 焦燥の秋風と、禁断の果実

 時計の針が22時半を回った頃、私はアパートに帰り着く。


「ただいまー……」


 小さく声をかけてドアを開けるが、返事はない。

 部屋の電気はついているが、静まり返っている。

 リビングに入ると、小さなちゃぶ台に突っ伏して眠る茜の姿があった。

 広げられた参考書とノート。勉強している最中に寝落ちしてしまったのだろう。

 その寝顔には、どこか疲労の色が滲んでいるように見えた。


「……ふふ、お疲れ様」


 茜を起こさないようにそっと毛布をかける。

 規則正しい寝息。その無防備な横顔を見ていると、仕事の疲れが少しだけ和らぐ気がした。


 ふと、テーブルに置かれた皿に目が止まる。

 ラップがかけられた深皿には、ゴロゴロとした野菜と肉の煮物――肉じゃがが入っていた。

 その横には、可愛い文字で書かれたメモ。


 『お姉ちゃん、お疲れ様! レンジで温めて食べてね。ご飯は炊飯器にあるよ』


「……茜」


 そのメモを手に取ると、少し胸が締め付けられるような思いがした。

 最近、残業続きで帰りが遅くなる葵のために、茜が夕飯を作ってくれることが増えている。

 二人で暮らし始めた頃は、包丁の持ち方も危なっかしくて、目玉焼きすら焦がしていたのに……。

 今では、こんな家庭料理まで作れるようになったのだ。


「ありがとう。……でも、ごめんね」


 妹の成長は素直に嬉しい。

 けれど、それは同時に、妹に負担をかけていることの裏返しでもあった。

 高校生らしい、もっと自由な時間を過ごさせてあげたいのに。

 私がもっと要領よくできれば、こんな苦労はさせずに済むのに。


 ラップを外し、冷めた肉じゃがを一口食べてみる。

 少し人参が固くて、味付けは甘めだったけれど、どんな高級料理よりも心に染みる味。

 この優しさに報いるためにも、明日の仕事も頑張らなければ。

 私はそう心に誓い、ゆっくりと箸を進めるのであった。 


 ***


 9月も半ばに差し掛かり、夜風には秋の涼しさが少しずつ混じり始めていた。

 俺の会社は半期決算を迎えることもあり、オフィスは戦場のような忙しさに包まれている。

 数字ノルマの追い込み、半期の報告書、上司との面談……。

 目の回るような日々を送り、その日は21時頃に会社を出ることができた。


 疲れた身体を引きずるようにして、アパートへの帰り道を歩く。

 それでも、足取りが以前ほど重くないのは、帰る場所に明かりがあることを知っているからだ。


 アパートの前までたどり着いたその時。

 外灯の下で、一人の少女と鉢合わせる。


「……あれ? 茜ちゃん?」

「あ、健二さんじゃん。おかえりー」


 その人物は、茜ちゃんだった。

 いつもの制服姿だが、見慣れないトートバッグを提げている。

 それに、こんな時間に外にいるなんて珍しいな。


「今日は遅いんだな? 補習か?」

「もー、失礼だなぁ。私、こう見えても成績は悪くないんだよ? 今日はバイトの帰りですー」


 茜ちゃんは、わざとらしく口を尖らせて答える。


「バイト? 平日もするようになったのか?」


 以前、葵さんから「学校生活優先だからバイトは週末だけ」と約束していたはずだ。


「うん、まあね。最近、急に辞めちゃった人がいてさー。店長に泣きつかれて、どうしてもって頼まれちゃって」

「うへえ、大変だなぁ。……葵さんは知ってるの?」

「もちろんだよ! お姉ちゃんにも許可もらってあるし、大丈夫!」


 茜ちゃんは明るく笑って見せる。

 そうか。人手不足はどこの業界も深刻らしいな。


「そうか。あんまり無理はするなよ?」

「大丈夫、大丈夫! 若さが取り柄ですからねー。あ、もしかして……」


 茜ちゃんが、何か思いついたようにニヤリと口角を上げた。

 俺の顔を覗き込むようにして、距離を詰めてくる。


「健二さん、帰ったときに私がいないのが寂しいんでしょ?」

「は、はぁ? 何言ってるんだ」

「やっぱ図星だー! 最近、お姉ちゃんも残業多いし、健二さん寂しんぼになってるんでしょ? しょうがないなぁ……、私がギュッとしてあげよっか?」


 そう言うと、茜ちゃんが両手を左右に広げる。

 その無邪気な態度に、俺は苦笑いしながら頭に軽くチョップをくれてやった。


「はいはい、大人をからかわないの。もう遅いんだから、早く帰って寝なさい」

「ちぇーっ。健二さんは、照れ屋さんなんだから」


 茜ちゃんはクスクスと笑いながら、軽快に階段を上がっていく。

 その背中を見送りながら、俺は「相変わらず元気だな」と微笑ましく思った。

 俺は、まだ気づいていなかったのだ。

 その笑顔が、精一杯の虚勢で作られたものであることに――。


 ***


「……はぁ」


 203号室のドアを閉めた瞬間、私の顔から笑顔が消える。

 その場に座り込み、トートバッグを床に置く。

 この中に入っているのは、動きやすいジャージと軍手だ。


 バイト先の喫茶店の人手不足なんて、真っ赤な嘘。

 私が今帰ってきたのは、隣町の物流倉庫での日雇いバイトからだった。


 最近流行りの『単発バイトアプリ』。

 履歴書不要、面接なし、お給料は即日払い。

 学校が終わってから電車に飛び乗り、倉庫で4時間、ひたすら荷物の仕分け作業をする。

 時給は1100円。

 基本立ちっぱなしで、重たい段ボールを運び続け、腰も足も棒のようだ。


「……痛っ」


 痛みを感じ指先を見ると、赤らんだ切り傷がある。

 軍手はずっとしていたが、防げなかったらしい。


 私はトートバッグの中から、今日稼いだ日当の入った封筒を取り出す。

 中身は、4400円と交通費。


 この仕事を平日4日間続けて、ようやく約1万8千円。

 先月のバイト代の残りと合わせても、今のペースじゃ全然足りない。

 修学旅行の追加費用の支払期限は、来週の金曜日。

 あと、8日間しかない。

 それまでに、あと5万円以上は稼がないと。

 さらにその先には、20万円の授業料が待っている。


 (……無理だよ、こんなの)


 絶望感が、黒い波のように次々に押し寄せてくる。

 お姉ちゃんには絶対に言えない。

 お金のことで健二さんを頼るわけにもいかない。

 私がなんとかしなきゃいけないのに、現実はあまりにも残酷だった。


 私はスマホを取り出し、SNSの検索画面を開いた。

 指先が震えている。


 『バイト 即金 高校生』

 『高収入 短時間』


 怪しげな求人が並ぶタイムラインを、無心でスクロールしていく。

 どれもこれも、「未成年不可」だったり、明らかに犯罪の匂いがしたりするものばかり。

 やっぱり、まともな方法じゃ無理なのかな。

 修学旅行、諦めるしかないのかな。

 でも、そんなこと言ったらお姉ちゃんは絶対に悲しむし、無理してお金を用意しようとするだろう。それだけは嫌だ。


 その時。

 ふと、SNSの一つの投稿が目に留まる。


 『今日も食事だけで3万ゲット♪ パパありがとう〜! #P活 #都内』


 美味しそうなご飯と綺麗な夜景が映った写真と共に添えられた、その言葉。

 パパ活。

 ニュースや噂では聞いたことがある。

 おじさんとご飯を食べたり、デートをしたりして、お小遣いをもらうこと。

 売春みたいなことも含まれるって聞くけど、この投稿には「食事だけ」って書いてある。


(……食事するだけで、3万円……?)


 倉庫バイト、約一週間分だ。

 足が棒になるまで一週間働いて、ようやく貰える金額が、たった数時間の食事で手に入る。


 ゴクリ、と喉が鳴った。

 ダメだ。そんなの危ないに決まってる。

 健二さんが知ったら、きっと悲しむ。お姉ちゃんが知ったら、卒倒するかもしれない。

 でも。


 『P活募集。10代の方歓迎。大人の関係なし。食事だけで3〜。DMください』


 そんな投稿が、悪魔の囁きのように視界に入ってきた。

 プロフィールのアイコンは、高そうな時計と車の写真。自己紹介文には「経営者」と書いてある。


 (……食事だけなら。話をするだけなら……)


 もし、本当にそれだけでお金がもらえるなら。

 きっと修学旅行にも行ける。お姉ちゃんに心配かけずに済む。

 目標金額が貯まるまでだ。数回だけなら……。


 私は震える指で、そのアカウントのプロフィール画面をタップした。

 心臓の音が、耳元で鳴り響いているようだ。

 それは、踏み込んではいけない領域への、警鐘の音だったのかもしれなかった。

 けれど、焦燥感に駆られた私の耳には、もう届かない。


 暗い部屋の中、スマホのブルーライトだけが、私の顔を青白く照らしているのだった。

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