第19話 新米カウンセラーの受難と、王子様の香り
9月に入り、私は新しい職場で奮闘していた。
『マリアージュ・ガーデン』
雑居ビルをリノベーションしたオフィスは、カフェのように明るく、洗練された空間となっている。
会員様にリラックスした雰囲気で話をしていただく。
そんな玲子社長の思いが凝縮されたような場所であった。
前の職場のような怒号も、煙草の臭いもしない。
ここは、私にとって天国のような場所だ。
「――葵ちゃん、ちょっといいかな?」
背後から声をかけられ、私は背筋を伸ばして振り返った。
「はい! なんでしょうか、星野さん!」
そこに立っていたのは、私の教育係を務めてくれている先輩カウンセラー、星野 樹さんだ。
すらりとした長身に、短く切り揃えられたショートヘア。
仕立ての良いパンツスーツを着こなし、凛とした中性的な顔立ちをしている。一見するとアイドルのようで、オフィスを歩くだけで絵になる人だ。
「さっき社長から連絡があってね。今から新規の男性会員さんがいらっしゃるみたいなんだけど、僕、今からお見合いの立ち会いが入っちゃってて」
星野さんは申し訳無さそうに眉を下げた。その仕草すらも様になっている。
「あ、はい。私が代わりに対応しましょうか?」
「うん、お願いできるかな? 葵ちゃんならもう一人でも大丈夫だと思うし」
「わかりました! 任せてください!」
私は力強く頷く。
入社して一ヶ月。カウンセラーの基礎的な研修も終え、少しずつ自信がついてきた頃だった。
どんな会員様がいらしても、誠心誠意向き合えばきっと伝わる。そう信じていた。
「ありがとう、助かるよ。一応、お見合いが終わったら様子を見に来るけど……何かあったらすぐに連絡していいからね」
星野さんはふわりと微笑み、ジャケットを羽織って颯爽と出て行った。
ほのかに甘い、上品な香水の香りが残して。
***
少しすると、オフィスの受付に一人の男性がやってきた。
「いらっしゃいませ。屑谷様でございますね、お待ちしておりました」
私が笑顔で出迎えると、その男性――屑谷様は、サングラスを外しながら値踏みするような視線を私に向けた。
粘着質な視線が、私の頭のてっぺんから足先までを舐めるように這う。
少し寒気を感じるが、会員様に個人的な感情を気取られてはまずいので、気合を入れなおす。
「……ふーん。ここが、評判の結婚相談所か。思ったより狭いな」
これ見よがしに全身を高級ブランドで固めたその姿は、とても品があるとは言い難い。
強烈なコロンの匂いが鼻をつき、私は反射的に眉をひそめそうになるのを必死に堪えた。
「どうぞ、こちらの席へ」
カウンセリングルームに案内し、プロフィールシートを書いてもらう。
屑谷 黒弥。42歳。結婚歴有り(バツ2)。
職業欄には『個人事業主(投資家・コンサルタント)』の文字。
年収欄には『2000万円以上』と書かれている。
(収入は2000万円と……あれ?)
確かに、提出された収入証明書(確定申告書の控え)の数字との整合性が取れているようだ。
ただ、その確定申告になんとなく違和感を感じる。
売上の金額と課税所得の金額がほとんど変わらない。経費が極端に少ないことを示していた。
いや、今は色々な仕事があるし、疑うのは良くない。
目の前の会員様の話を聞くのに専念しよう。
「屑谷様は、どのような女性をお探しですか?」
「あ? そんなの、決まってるだろ。若くて、美人で、俺の言うことを何でも聞く女だ」
屑谷様はソファにふんぞり返り、足を組む。
革靴の先がテーブルに当たりそうだ。
「そ、そうですか……。特に優先したい条件はございますか?」
「そうだな、重要なのは『若さ』だな。20代前半……いや、できれば10代でもいいくらいだ」
「10代、ですか……。当相談所は基本的に20歳以上の方のご登録となりますので……」
「チッ、融通が効かねえな。まあいい、とにかく若くて美人な女を紹介しろ。俺に見合うレベルのな」
私は困惑した。
結婚相手を探しているというより、まるで商品を選んでいるような口ぶりである。
それに、相手の条件を聞いても、真剣に生涯のパートナーを求めているようには聞こえなかった。
「あの……、屑谷様。結婚というのは、お互いに支え合う対等な関係だと私は考えております。一方的に従わせるような関係や、容姿だけの条件ですと、長続きしないことも多く……」
「はぁ? 何言ってんだお前」
屑谷は不機嫌そうに鼻を鳴らす。
「俺は金を持ってるんだぞ? 金がある男が、好きな女を選ぶ権利があるのは当然だろ。女なんてのは、俺の金で着飾って、俺の横でニコニコしてりゃいいんだよ」
その言葉に、私の胸の奥で何かがざわついた。
女性を、まるでアクセサリーかペットのように扱う物言い。
それは、前の職場のあの最低な課長と重なるものだった。
そして何より、妹の茜と同年代の子を狙うような目つきが、生理的な嫌悪感を呼び起こす。
「……屑谷様。そのようなお考えですと、当相談所での活動は難しいかもしれません」
「あ?」
「当相談所の会員様は、皆様真剣に人生のパートナーを探していらっしゃいます。容姿やお金だけでなく、お人柄や価値観のマッチングを大切にされている方ばかりです。女性を軽視されるような態度を取られては、どなたともご縁は結べないかと」
私は、できるだけ丁寧に、しかしはっきりと伝えた。
プロとして、言うべきことは言わなければならない。
玲子さんに教わったことだ。
しかし、それが屑谷の逆鱗に触れる。
「……んだとぉ? テメェ、ただの受付風情が、客に向かって説教か?」
バンッ!
屑谷様がテーブルを叩いて立ち上がった。
その顔は怒りで赤黒く歪んでいる。
「俺は客だぞ! 高い入会金払ってやろうって言ってんだ! 黙って俺の言う通りの女を用意すりゃいいんだよ、この無能が!」
「っ……」
一方的な怒号。暴力的な威圧。
フラッシュバックする過去の記憶。
足がすくみ、声が出なくなる。
怖い。
私は、まだ何も変われていないのだろうか。
「今すぐ、土下座して詫びろ! おい、聞いてんのかコラァ!」
屑谷様が手を振り上げた、その時だった。
「――そこまでにしていただきましょうか」
涼やかな、しかし確かな怒気を孕んだ声が響く。
私の横をすり抜け、一人の人物が屑谷様の前に立ちはだかる。
「ほ、星野さん……!」
お見合いの立ち会いから戻ってきた星野さんだった。
いつもの柔和な笑みは消え、鋭い視線で屑谷様を見下ろしている。
その背中は、どんな男性よりも頼もしく見えた。
「な、なんだお前は!」
「カウンセラーの星野と申します。そんなことより、うちのスタッフに対する暴言、聞き捨てなりませんね」
星野さんは、屑谷様が振り上げた腕を、軽く、しかし鉄のような強さで制した。
その手つきは優雅でありながら、一切の抵抗を許さない迫力がある。
「当相談所は、会員様とスタッフの信頼関係で成り立っております。品位に欠ける振る舞いをされる方には、ご入会をお断りしております」
「なっ……! 客を断る気か!?」
「お客様は神様ではありませんし、当相談所では、真剣に幸せを探している方へのサポートしかしておりません。最低限の礼節もわきまえられない方は、他をお当たりください」
毅然とした態度。
屑谷様は顔を真っ赤にして何か言い返そうとしたが、星野さんの冷徹な眼光に気圧され、言葉を飲み込んだ。
周りのスタッフやお客さんの視線も集まっていることに気づき、バツが悪そうに舌打ちする。
「……チッ。クソが。こんな貧乏くさい相談所、こっちから願い下げだ!」
屑谷様は捨て台詞を吐き、乱暴にドアを開けて出て行った。
嵐が去った後の静寂。
私は腰が抜けて、その場にへたり込んでしまった。
「大丈夫? 葵ちゃん」
星野さんがしゃがみ込み、私の顔を覗き込む。
いつもの優しい笑顔に戻っていた。
ふわりと、先ほどと同じ甘い香りが漂う。
「あ……はい……。すみません、星野さん……。私が、うまく対応できなくて……」
「ううん、葵ちゃんは間違ってないよ。あんな人の言うこと、真に受ける必要ないから」
星野さんは私の頭をポンポンと撫でてくれた。
その手は白く華奢で、驚くほど柔らかかった。
張り詰めていた緊張が解けていくのを感じる。
「でも……怖かったよね。ごめんね、僕がもっと早く戻ればよかった」
「いえ……星野さん、かっこよかったです。……まるで、王子様みたいでした」
私がポツリと呟くと、星野さんは苦笑いをした。
「はは、王子様かぁ。……よく言われるけど、僕としてはちょっと複雑かな」
そう言って肩をすくめる星野さんは、やっぱり少しミステリアスで、でも誰よりも素敵な先輩だった。
その日の帰り道。
私は今日の出来事を思い出しながら、小さくため息をつく。
自分の無力さと、守ってもらってばかりの情けなさ。
いつか私も、星野さんや玲子さんのように、毅然と戦えるようになれるのだろうか。
でも、一つだけ確かなことは。
この場所には、私を守ってくれる仲間がいるということ。
それだけで、明日も頑張れる気がした。
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