第17話 祝勝会と、これからのこと
ジューッ!
熱された網の上で、分厚いカルビが食欲をそそる音を奏でる。
煙と共に立ち上る香ばしい匂いが、俺たちの鼻腔をくすぐった。
「はい、お疲れ様ー! 乾杯!」
「「「乾杯!!」」」
グラスがぶつかる軽快な音が響く。
ここは駅前の焼肉店。姉貴の奢りによる「祝勝会」だ。
あの後、葵さんの元職場となった会社で退職に必要な書類等を確認し、アパートに帰還した俺たち。
「茜ちゃんが帰ってきたら、祝勝会ね!」との姉貴の鶴の一声で開催が決まった。
葵さんは「そんな……悪いですよ」と拒んでいたが、姉貴が一度決めたことを覆すはずがなく。
俺としても、区切りとなることをした方が良いと思い、遠慮する葵さんを半ば強引に連れてきた。
学校が終わって合流した茜ちゃんは、すでに大盛りの白飯を片手に、獲物を狙うチーターのような目で網を見つめている。
「おいしー! 何これ! 口の中で溶けたんだけどっ!」
「ふふ、いっぱい食べなさい。今日は私のおごりだから、遠慮はいらないわ」
「玲子さん大好きー! 一生ついていきます!」
茜ちゃんが肉を頬張りながら叫んでいる。
葵さんも、緊張の糸が切れたのか、それともアルコールのせいか、いつもより少しだけ頬を紅潮させてビールを飲んでいた。
普段は大人しい彼女だが、お酒は人並みには飲めるようだ。
「本当に、夢みたいです……。昨日の夜までは、明日が来るのが怖かったのくらいなのに」
「夢じゃないわよ。あなたが自分で勝ち取った現実よ」
姉貴は満足げにロースを焼きながら、葵さんに向き直る。
「さて、葵さん。話していた件だけど……正式に私の会社に来てくれるかしら?」
「……はい! 未熟者ですが、精一杯頑張ります!」
葵さんは、立ち上がらんばかりの勢いで頭を下げる。
これで、彼女の再出発が決まった。
「お姉ちゃん再就職おめでとー!」
茜ちゃんがそう言いながら、葵さんに抱き着く。
「ちょっと、茜ったら……」
葵さんは困ったような声を出すが、その表情はとても嬉しそうであった。
その様子に俺と姉貴は、思わず笑ってしまう。
俺も祝福の言葉を投げかけた。
「葵さん、本当におめでとう」
「はい。これも佐藤さんのおかげです。本当にありがとうございました!」
葵さんは高揚しているのか、赤らんだ顔と潤んだ眼で、感謝の言葉を紡ぐ。
これで、月本家の問題は無事解決したのだ。
俺は、肩の荷が下りたような、でもどこか寂しいような、複雑な気分でカルビを噛み締めるのであった。
***
暫くして、俺たちのアパートに戻ってきた頃には、すでに22時を回っていた。
当然のように全員俺の部屋(202号室)に雪崩れ込む。
姉貴もまだ帰る気配がない。
「さて、腹ごなしも済んだところで……早速始めましょうか」
姉貴が不敵な笑みを浮かべて、突然パンと手を叩く。
全員が驚いて、姉貴を見る。
「えっ? 何をですか?」
「『カウンセラー適性試験』よ」
葵さんがキョトンとする。
「私の会社に入る以上、即戦力になってもらわないとね。……というわけで、今から模擬カウンセリングをしてもらいます!」
「い、今からですか!?」
「そう。善は急げよ。……で、会員役はそこの冴えない男」
姉貴がビシッと俺を指差した。
「え、俺?」
「あんた以外に誰がいるのよ。ちょうどいいじゃない、独身、彼女なし、コミュ障気味。リアルな会員サンプルとしてこれ以上ないじゃない」
「おい、言い方」
反論しようとしたが、葵さんと茜ちゃんの期待に満ちた視線には勝てなかった。
俺はため息をついて、ちゃぶ台の前に座り直す。
対面には、居住まいを正した葵さんが座った。
「じゃあ、スタート!」
姉貴の合図で、葵さんがスッと背筋を伸ばす。
普段の優しい彼女がプロの顔つきに代わった。視線もどこか熱っぽく感じる。
「初めまして、カウンセラーの月本です。本日はよろしくお願いします」
「あ、どうも。佐藤です……」
なんだこれ、滅茶苦茶緊張する。
普段から話している相手なのに、こうして改まると、なぜか顔を直視できない。
就職のときの面接を思い出す。
葵さんがゆっくりと切り出した。
「佐藤様は結婚についてどのようにお考えですか? どうして、結婚したいと思われたのでしょうか」
「えっと……まあ、そろそろ年齢的にも落ち着きたいというか……一人の食事も味気ないなと思いまして」
「なるほど。温かい食卓、素敵ですよね」
葵さんが優しく相槌を打つ。ここまでは普通だった。
だが、次の瞬間、彼女が少し身を乗り出した。
「では……佐藤様の『理想のパートナー像』について、具体的にお聞かせください」
その瞳が、俺を逃さないとばかりに捉える。
なぜか背中がゾクッとした。
「えっと……そうですね。派手な人は苦手で……。一緒にいて、安心できる人がいいです……」
「安心できる方。……例えば、毎日『おかえりなさい』と言ってくれるような?」
「あ、はい。そんな感じですね」
「……料理が得意で、冷蔵庫の余り物でも美味しいご飯を作れるような?」
ん? やけに具体的な気がするが。
「ええ、まあ……。俺のくだらない話も笑って聞いてくれて……」
「……黒髪で、たまに頑固なところもあるけど、誰よりも家族思いで……。美味しいものを食べると、幸せそうに笑うような?」
葵さんが、ちゃぶ台に身を乗り出し、さらに距離を詰めてくる。
顔が近くなる。アルコールの混じった甘い息遣いが届きそうだ。
そういえば、これはアルコールの匂い……?
「そ、その……確かにそういう人の方がいいですが……」
「……それって」
葵さんが、とろんとした目で俺を見つめ、小首を傾げた。
「私のこと、ですか?」
ドクン、と心臓が跳ねた。
普段の彼女なら絶対に言わないセリフだ。
完全に酔っている。それも、タチの悪い方向に。
「あ、いや、その……」
「私なら、佐藤様の条件、すべて満たせると思いますけど……いかがですか?」
さらに身を乗り出す葵さん。
胸元が危ない。というか、目がマジだ。
「模擬」の枠を超えて、完全に俺を「狩り」に来ている気がする。
「い、いかがって。え、ちょ、葵さん!?」
「私じゃ……不満ですか? 一生、美味しいご飯作りますよ? 毎日、玄関までお出迎えしますよ?」
葵さんの手が、テーブルの上を這い、俺の手に重なる。
熱い。体温が高い。
「わ、私は……佐藤さんのこと……」
その唇が紡ごうとした言葉は、しかし最後まで発せられなかった。
「ちょっとまったぁー!!!」
ドカッ!と茜ちゃんが二人の間に割り込んだ。
彼女は俺の腕をガシッと掴み、葵さんから引き剥がすように抱きついた。
「お姉ちゃん! 酔っ払いすぎ! 抜け駆け禁止だよ!」
「あ……茜?」
「これは、あくまで練習でしょ! 暴走しすぎー!」
茜ちゃんが俺を見上げて、ニッと笑う。
そして、追加の燃料を投下した。
「健二さん! 年上のしっとり系もいいけどさ、年下の元気系はどう!? 毎日飽きさせないよ? 一緒にお酒は飲めないけど、一緒にゲームはできるよ!」
「あ、茜ちゃん!?」
「それに私、若さなら負けないし! あと数年もすれば、お姉ちゃんよりナイスバディになる予定だし!」
茜ちゃんが俺の腕にギュッと抱きつく。
柔らかい感触と、石鹸の香りが押し寄せてくる。
右手に酔っ払って積極的になった葵さん、左手になぜか対抗心むき出しの茜ちゃん。
両手に花どころか、両手に核弾頭だ。
「あらあらぁ。モテ期到来ね、健二」
姉貴が爆笑しながら動画を撮っている。絶対に後でネタにされるやつだ。
***
嵐のような「カウンセリング」が終わり、ようやく静けさが戻ったのは深夜のこと。
姉貴は「いいもの見せてもらったわ」と満足げに帰っていった。
結局、試験なんて関係なく、姉貴がからかいたいだけじゃなかったのか……。
葵さんは酔いが回って潰れてしまい、つい先ほど茜ちゃんに抱えられて隣の部屋に戻っていった。
俺は一人、自分の部屋で呆然としている。
嵐のような一日であった。
でも、不思議と悪い気はしない。
ふと、テーブルの上に合鍵が置かれたままになっていることに気づく。
思わずそれを手に取り、隣の部屋へ向かう。
ピン……ポォ……、と鳴らすと、茜ちゃんが出てきた。
「あ、健二さん。お姉ちゃんなら、もう爆睡してるよー」
「そっか。……これ、俺の部屋に忘れもの」
俺は持っていた合鍵を差し出す。
「え、これ……」
「葵さんに渡しといてな」
俺が言うと、茜ちゃんはパァッと顔を輝かせる。
「うん! わかった! ……へへ、やったね」
「何が?」
「ううん、なんでもない! おやすみ、健二さん! また明日、ご飯食べに来るね!」
茜ちゃんは嬉しそうに鍵を受け取り、ドアを閉めた。
廊下に一人残された俺は、小さく息を吐く。
明日も、明後日も、このドアは開かれる。
孤独だった俺の日常は、もう戻ってこない。
壁の向こうには、騒がしくて守りたい「家族のような他人」がいるのだから。
俺は自室に戻り、冷蔵庫からビールを取り出してプシュッと開ける。
その音は、以前のような乾いた音ではなく、これからの賑やかな日々を祝うファンファーレのように聞こえるのだった。
この話で一区切りとなります。
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