表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
薄壁越しの訳あり姉妹 ~彼女たちの部屋でGを退治したら、彼女たちに猛烈に愛され始めた件~  作者: 藍之介


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

13/14

第13話 あったかオムライスと、葵さんの夢

 俺たちは葵さんを抱えるようにして立たせ、そのまま俺の部屋へと連れてきた。

 電気もついていない暗い部屋に一人で置くには、彼女はあまりにも脆く見えたからだ。


「……とりあえず、お腹に何か入れましょう」


 ソファに座らせ、ブランケットをかける。

 茜ちゃんに温かいお茶を頼み、俺はキッチンに立った。

 こんな時に何を作るべきか。

 お粥やうどんのような消化の良いもの?

 いや……、こんな時こそ、一番好きなものをお腹一杯だろ。


「茜ちゃん、葵さんの一番の好物って?」

「オムライスだよ! ケチャップたっぷりのやつ」

「了解!」


 ケチャップの甘酸っぱい味は、子供の頃の幸せな記憶を呼び起こす。今の彼女に必要なのは、そういう根源的な安心感だと思った。


 冷蔵庫から卵と鶏肉を取り出す。

 チキンライスはケチャップをしっかり炒めて酸味を飛ばし、まろやかな甘みを引き出す。

 卵は牛乳を少し加えて、ふわとろに。

 手早く、しかし祈るように丁寧に。これはただの夜食ではない。彼女の壊れかけた心を繋ぎ止めるための処方箋だ。


「……できたっ!」


 15分後。

 湯気を立てる黄色い山が、ちゃぶ台の上に置かれた。


「どうぞ。葵さんの好物だって聞いたんで」

「お姉ちゃん、食べて? 私がケチャップ書いたんだよ」


 葵さんは、ぼんやりとその皿を見つめていた。

 鮮やかな黄色と、赤いケチャップのコントラスト。そして、妹からの不器用で温かいメッセージ。

 それが、彼女の止まっていた時間に、少しだけ色を与えたようだった。


「……私、こんなことしてもらう資格なんて……」

「食べるのに資格はいりません。生きてるんですから、おなかは減ります。それだけです」


 スプーンを持たせると、彼女の手は小さく震えていた。

 一口、口に運ぶ。

 ふわとろの卵と、濃厚なチキンライスの味が広がる。


「……っ」


 咀嚼する葵さんの目から、大粒の涙がこぼれ落ちた。

 ポタ、ポタと皿の縁に落ちる。

 彼女は何度も涙を拭いながら、それでもスプーンを動かし続けた。


「おい、しい……。温かい……」

「お姉ちゃん……」


 茜ちゃんが隣に寄り添い、背中をさする。

 俺たちは何も言わず、彼女が泣きながらオムライスを平らげるのを見守った。

 食べ終わる頃には、彼女の顔に少しだけ血色が戻っていた。


 お茶を飲み、落ち着いたところで、俺は静かに切り出した。


「……会社で、何があったんですか?」


 葵さんは俯き、膝の上で手を強く握りしめた。

 白くなった関節が、彼女の葛藤を物語っている。


「……」

「大丈夫です。何があっても、俺たちは葵さんの味方ですから」

「そーだよ! お姉ちゃん。一人で抱え込まないで!」


 茜ちゃんもかなり心配なようだ。

 葵さんの、こんなにボロボロな姿を見たことがないのだろう。


「……私の、せいなんです……。私の仕事が遅いせいで……」

「あの、葵さんの仕事って?」

「……結婚相談所です。私はそこで、事務をしています」


 結婚相談所だったのか。

 意外だった。人の幸せを紡ぐ仕事。

 優しくて気配りができる彼女には天職のように思えるが、今の彼女の姿からは「幸せ」など微塵も感じられない。


「私の、せいなんです。私が未熟だから……」

「本当にそうですか? 詳しく聞かせてくれませんか」


 俺が問いかけると、葵さんは唇を噛み、ポツリポツリと語り始めた。


 そこで語られた内容は、凄惨なものだった。

 彼女の勤める相談所は、会員の幸せなど微塵も考えていない、利益至上主義のブラック企業だったのだ。

 会員を「金づる」と呼び、高額なコースに入会させては放置する。

 そして、その片棒を担がされるのが、葵さんたち事務員の仕事だという。


「私は……カウンセラーになりたかったんです。悩んでいる人の話を聞いて、その人に合ったパートナーを見つけて、幸せになるお手伝いがしたくて……。だから、資格も取って、この会社に入りました」


 葵さんの声が震える。


「でも、やらせてもらえるのは、お茶汲みとクレーム処理、そして課長のご機嫌取りだけです。カウンセラー業務なんて、一度も……」


 また、葵さんの目から大粒の涙がこぼれる。


「お前は顔だけが取り柄だとか、俺の愛人になれば優遇してやるとか……。断ると、『これだからゆとりは』って仕事を押し付けられて……」

「……」


 俺は絶句した。

 パワハラだけでなく、セクハラまで。

 横で聞いていた茜ちゃんも、怒りに震えている。


 怒りで視界が赤く染まりそうだった。

 こんなに清楚で、真面目な女性を、欲望の捌け口にしようとするなんて。

 俺は深く息を吐き出し、できるだけ冷静な声を出した。


「葵さん。……辞めましょう、そんな会社」


 それは提案ではなく、懇願に近い言葉だった。


「これ以上、あなたが傷つく必要はありません。そんなクソみたいな会社、今すぐ辞表を叩きつけてやるべきです」

「……でも」


 葵さんは、弱々しく首を横に振った。


「辞めたくないんです」

「どうしてですか!? こんな酷いことされて……」

「人の幸せに関わる仕事がしたいんです。それが、私の夢だったから……。ここで辞めたら、また一からやり直しになります。他の相談所に行っても、カウンセラー経験がない職員なんて雇ってもらえないかもしれません」


 彼女の瞳には、諦めきれない光が宿っていた。

 どれだけ泥水をすすらされようとも、夢を手放したくないという執念。

 その純粋さが、今は彼女自身を縛り付ける鎖になっている。


 沈黙が流れた。

 茜ちゃんも、悔しそうに唇を噛んでいる。

 辞めさせたい。でも、彼女の夢を奪う権利は俺にはない。

 どうすればいい。どうすれば、彼女を救い出し、かつ夢を叶えさせてあげられる?


 結婚相談所。

 カウンセラーになりたい。

 ブラックではない、まともな環境。


 そのキーワードで、俺の脳裏にある人物が浮かぶ。

 一人だけ、心当たりがいる。

 俺が世界で一番苦手としており、ある意味で一番頼りになるあの人物が――。


「……葵さん」


 俺は覚悟を決めて、顔を上げた。


「俺に、心当たりがあります」

「え……?」

「実は、俺の知り合いに……結婚相談所を経営している人間がいるんです」


 知り合い、というか身内だが。


「そこは、少なくとも会員を金づるにするような場所じゃありません。むしろ、お節介すぎるくらい会員に尽くす、熱血な相談所です」

「そ、そんなところが……?」

「一度、その人に会ってみませんか? 葵さんの事情を話せば、きっと力になってくれるはずです」


 俺の提案に、葵さんは戸惑いの表情を浮かべた。


「でも……私なんかが……」

「大丈夫です。あなたのことは俺が保証します」


 俺は力強く頷いた。

 あの人は、曲がったことが大嫌いだ。葵さんのような真面目な人間を見捨てるはずがない。

 ただ、一番の問題は……あの人の性格なんだが。


「……わかりました。是非お願いします」


 葵さんが、すがるような目で俺を見た。

 その信頼に応えなければならない。

 俺は懐からスマートフォンを取り出し、連絡先リストを開いた。

 登録名は――『姉貴』。


 発信ボタンを押す。

 数回のコールの後、鼓膜を破らんばかりのハイテンションな声が響いた。


『あらあら、健二ぃ! あんたから連絡なんて珍しいわねぇ、どうしたのよ? 借金でもこさえちゃった? そ・れ・と・も、女絡みでドロドロのトラブルとか? ふふ、姉ちゃんがなんでも相談に乗ってあげるわよ』


 電話口の姉貴は早口でまくしたてる。

 これだから、この人は苦手なんだよな……。

 俺は天を仰ぎ、覚悟を決めて口を開いた。


「……姉貴、実は頼みがあるんだ」

面白い、続きが読みたいと思っていただけましたら、ブックマークと評価をお願いします!

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ