緊張と安心(蒼太視点)
朝、目を覚ました瞬間から、胸の奥がそわそわしていた。
今日は白咲さんが、僕の家に来る日だ。
カレンダーを見なくても分かるくらい、頭の中でその予定が大きくなっている。 昨夜も何度か目が覚めたし、起きたばかりなのにもう疲れている気がした。
キッチンのほうから物音がしない。 親はもう仕事に出たらしく、リビングは静まり返っていた。
しばらくして、妹の葵が部活の支度をしながら顔を出す。
「今日、お兄の友達来るんだっけ?」
「……うん」
「へぇーまあ私も昼には帰ってくるから。じゃ、行ってきまーす」
軽い調子で言い残して、葵は出ていった。
玄関のドアが閉まる音がして、家の中は完全に静かになる。
(……二人きり、か)
その事実に気づいた瞬間、心臓が一段階うるさくなった。
今まで白咲さんと二人で過ごしたことは何度もある。 でも――“家”となると、話は別だ。
落ち着こうとしても、時間だけがゆっくり進んでいく。
インターホンが鳴ったのは、約束の時間ぴったりだった。
「……はい」
玄関を開けると、白咲さんが立っていた。 マフラーを巻いて、両手には少し大きめのバッグ。
「おはよう、水守くん」
「お、おはよう……」
「これね」
そう言って、バッグを少し持ち上げる。
「お昼いるかなって思って……お弁当、作ってきた」
「えっ……!」
一瞬、言葉を失った。
「そ、そんな……わざわざ……」
「勝手に作ってきただけだから、気にしないで」
にこっと笑われて、何も言い返せなくなる。
胸の奥がじん、と熱くなった。
「……どうぞ」
ぎこちなく言って、玄関を開ける。
白咲さんは少しだけ周囲を見回しながら、靴を揃えた。
「お邪魔します」
その一言が、やけに響いた。
最初は自分の部屋に案内した。
「ここ……水守くんの部屋なんだ」
「うん……あんまり、面白いものないけど」
机とベッドと本棚。 漫画と参考書が混ざった、いかにもな部屋だ。
椅子に座って課題を広げたものの、数分もしないうちに気づいた。
「……寒くない?」
「うん、ちょっと」
エアコンがないこの部屋は、冬には正直つらい。
「リビング行こうか。暖房あるし」
「うん」
結局、場所を移してリビングのテーブルに並んで座ることになった。
課題は順調……と言いたいところだけど、時間が経つにつれて集中力が切れてきた。
数式を追っているはずなのに、視線が勝手に泳ぐ。
(……だめだ、頭入らない)
一方で、白咲さんは――
静かだ。
ノートを取る音もしない。 横を見ると、ソファにもたれたまま、目を閉じている。
「……白咲さん?」
反応がない。
規則正しい呼吸。
(……寝てる?)
そう気づいた瞬間、頭の中が一気に慌ただしくなった。
(え、どうする? 起こす? でも、寝不足って言ってたし……)
よく見ると、少しだけ眉が下がっていて、無防備な顔をしている。
今日のためにお弁当を作って、早起きして。 たぶん、かなり無理をしてきたんだと思う。
(……無理させた、のかな)
毛布でもあればいいけど、すぐ手の届く場所にはない。
立ち上がるのもためらわれて、結局そのまま動けなくなった。
静かなリビング。 暖房の音だけが、かすかに響く。
白咲さんは、僕の家で、僕の隣で、眠っている。
(……どうしたらいいんだ……)
頭を抱えたくなるほど戸惑っているのに、不思議と嫌な気持ちはなかった。
むしろ、胸の奥が少しだけ、あたたかい。
結局、僕は何もできず、ただそっと時間が過ぎるのを待つことにした。
この静けさを壊さないように―― 息をするのさえ、慎重になりながら




