静かに滲む想い(灯視点)
六月の湿気は、髪の毛がゆるく波打つくらいには厄介だった。
部活のある日は特に、校舎の中がむわっとしていて息苦しい。
少し急いで部室へ向かい、扉を開けた瞬間——
「こんにちは。あ、みんなもう来てるんだ」
そう言いながら入った私の視界に、
ちょうどこちらを向いた水守くんの姿が入る。
その目と合った瞬間——ほんの一瞬だけど、
彼が慌てて視線をそらすのが分かった。
(……また、逸らされた)
胸がちくりと痛む。それでも、嫌じゃない。
彼らしい反応だと思えるから。
「白咲も、ちょうどいいとこ来たな」
田島先輩が明るい声で手を叩く。
「今年は動画班、二人に任せたいんだけどさ。どうだ?」
「任せてもらえるなら……がんばります」
自然とそう答えていた。
文化祭の動画なんて責任重大だけど、水守くんと一緒なら——
そう思った瞬間、自分で気づいていないふりをした。
横を見ると、水守くんは驚いたように固まっている。
その反応が、なんだか可愛い。
「水守くんはどう?」
田島先輩の声に、水守くんがびくっと肩を揺らした。
「え……いや、僕は……その……」
困っている。
でも、逃げるような目じゃなかった。
私はゆっくり、まっすぐに彼を見つめる。
「一緒にできたらうれしい、けど……迷惑なら言ってね」
言いながら、心臓がぎゅっと縮んだ。
(迷惑なんて……思われてないよね?
でも、水守くんは自分のことを低く見てるから……)
返事が返ってくるまでの数秒が、息が詰まるほど長かった。
「……迷惑じゃ……ないです。やります」
その声を聞いた瞬間、胸の奥が熱くなる。
(……よかった)
思わず笑顔になった。
自分でも分かるくらい、嬉しさが顔に滲んでいる。
そのときだった。
水守くんが、ほんの一瞬だけ私の顔を見て——
すぐに視線を落とした。
その仕草だけで心が揺れる。
(どうしてこんなことで……)
理由は分かっているくせに、認めるのが怖いのは私の方だ。
帰り道。
気づけばいつものように、水守くんが隣を歩いていた。
蒼太視点で描かれていたあの沈黙も、鼓動も、
全部、私も感じていた。
「今日、担当決まってよかったね。動画、楽しみかも」
言葉にすると、どこかくすぐったい。
でも、本当にそう思っていた。
「……僕は別に。得意でもないし」
相変わらずの自己評価の低さ。
そんなところを直してほしいなんて、まだ言えない。
でも、つい本音がこぼれる。
「でも、水守くんの作るの、きっと丁寧だと思うよ」
瞬間、水守くんの肩が少しだけ揺れた。
気づく人は少ないかもしれないけど、私は分かる。
(図星、だよね)
驚かせたかったわけじゃない。
ただ伝えたかった。
「……なんでそう思うんですか」
その声は、どこか不安を含んでいて。
だから私は、ちゃんと伝えた。
「うん。水守くん、いつも周り見てるから。そういう人って、細かいところに気づけるし……優しいと思う」
言ってから、自分の胸が熱くなる。
“優しい”と口にした瞬間、
自分の気持ちに蓋ができなくなっていくのが分かった。
(……好き、なんだ)
もう誤魔化せない。
怖いほど、彼のことが目に入る。
態度も、声も、表情も。
全部。
なのに——
「……文化祭、頑張りましょう」
不意に出たその言葉に、私は息を飲んだ。
驚いて、水守くんを見る。
彼は前を向いたままだけど、
その声はさっきよりずっと柔らかくて。
(……ああ、ダメだ)
この瞬間、完全に悟った。
——もう、止められない。
「うん!」
精一杯の笑顔を向けた。
嬉しさが、抑えられなかった。
歩く足取りが軽くなる。
湿った風すら心地よく感じた。
水守くんと話せるだけで、
その横顔を見られるだけで、
胸の奥がじんわりと温かくなる。
帰り道が、こんなにも短く感じたのは初めてだった。




