揺れ始めた想い(蒼太視点)
六月に入って、湿気を含んだ空気が校舎の中にまとわりつくようになった。
文化祭の準備について上級生が話している声が、どこか遠くから聞こえてくる。
放課後。
いつも通りパソコン部の部室に向かうと、扉の前で一度立ち止まった。
――別に緊張する理由なんてないのに。
そう思いながら扉を開けると、数分後に白咲さんが入ってきた。
「水守くん、今日ちょっと早いね」
名前を呼ばれるたび、なんとなく胸がざわつく。
慣れない。
「……たまたまです」
いつものように視線をそらす。
白咲さんは気にする様子もなく、パソコンに向かって作業を始めた。
「文化祭、どうするんだろうね。去年のデータ残ってるみたいだよ」
「へぇ……」
適当に返したつもりだったが、白咲さんは楽しそうに微笑んだ。
そういう笑顔を見ると、変に意識してしまう。
――俺が気にする必要なんてないのに。
部活が終わり、部室を出るタイミングがまた白咲さんと重なった。
最近はこういうことが多い。
帰り道、しばらく無言で歩いたが、白咲さんが口を開く。
「文化祭って九月だよね。準備っていつからなんだろ?」
「……知らない。委員会とかが決めるんじゃないですか」
素っ気なく返した。
白咲さんの表情は見ないようにした。
本当は、気まずくなるのが怖いだけだ。
「ふふ、だよね。でも去年の写真見ると、すごく楽しそうだったよ」
そんなこと言われても、俺には関係ない――
そう思おうとしても、歩く足が自然にゆっくりになる。
青葉台駅のホームに着いた。
白咲さんが、少しだけ勇気を出したみたいな声で言う。
「ねえ、水守くんは……文化祭、楽しみじゃなかったりする?」
心臓が跳ねた。
なんで俺なんかに、そんなふうに聞いてくるんだ。
「……別に。期待してるわけじゃないです」
予想通りの答えを言ってしまう。
期待に応えられる人間じゃないから。
白咲さんは、少しだけ間を置いてから笑った。
「そっか。でも……私は楽しみ。みんなで作るのって、きっといいと思うから」
“みんな”に自分が含まれているなんて思えないのに。
でも、その言い方が妙に胸に残った。
電車が来て、俺たちは並んで乗った。
沈黙は続いたけれど、不思議と嫌じゃない。
桜川駅に着くと、白咲さんが振り返る。
「今日はありがと。明日も部活あるよね?」
「ああ……行きます」
それだけなのに、白咲さんは嬉しそうに微笑んだ。
なんでそんな顔をするんだ。
俺なんかと帰っても、得なんて何もないのに。
改札を出て、白咲さんが小さく手を振る。
「じゃあ、また明日。水守くん」
俺も、ほんの少し手を上げた。
その瞬間、自分の胸の奥がほんのり熱くなるのを感じた。
――なんなんだよ、これ。
自分でもよくわからないまま、家へと歩き出した。




