春、始まりの画面(蒼太視点)
春の風が校門の前を抜けていく。
桜の花びらが散るたびに、どこか現実感が削がれていくようだった。
私立青陵高校。
進学校と呼ばれるその校名に、何か特別な期待を抱いていたわけではない。
ただ——この制服を着ていれば、何かが変わるような気がしていた。
そんな幻想は、入学式から数時間も経たないうちに消える。
教室に響く笑い声。初対面なのに自然に話している生徒たち。
俺はただ、窓際の席でそれを眺めていた。
自分がそこに混ざる姿は、どうしても想像できなかった。
「水守くんだよね?よろしく。」
声をかけてきたのは担任の雪村先生だった。
穏やかな笑顔。三十代前半くらいの落ち着いた雰囲気。
新任らしいけど、どこか余裕がある人だった。
「部活、もう決めた?」
「……まだです」
「なるべく早めにね。青陵は“必ず部活に入る”って校則だから」
その言葉に、少し胸が重くなった。
中学時代、俺はどの部活にも最後まで馴染めなかった。
何をやっても「自分がここにいていいのか」と思ってしまう。
だから、高校では“どんな部活でもいいから続ける”と、親と約束していた。
放課後。
部活動紹介が体育館で行われる。
運動部の掛け声が響き渡る中、隅の方でひっそりとしたブースが目に入った。
《パソコン部》
机の上には数台のノートパソコン。
手作り感のあるポスターに「動画編集・資料制作」と書かれている。
派手さはないけど、どこか落ち着いた雰囲気に惹かれた。
「興味ある?」
声をかけてきたのは、眼鏡をかけた上級生だった。
「宮原。部長やってる」
彼の隣で、にこやかに手を振る男子が続ける。
「副部長の田島でーす! 楽しいよ、うち!」
軽いテンションに少し押され気味になりながら、俺は申込用紙に名前を書いた。
どんな部活でもいい。続けられれば——それで。
数日後の放課後、初めて部室に行くと、既に先輩たちがいた。
宮原先輩は真面目そうで、田島先輩は明るくてよく喋る。
それぞれの性格が部の空気をちょうどよく保っていた。
その中に、もう一人見覚えのある顔があった。
「……白咲?」
彼女は顔を上げ、少し驚いたように目を瞬かせる。
「水守くん……同じ部活なんだ」
その声は、昔と変わらず柔らかかった。
中学の頃、同じクラスになったことがある。
でも、話したことは数えるほどしかない。
白咲 灯——誰からも憧れられるような優等生。
俺とはまるで違う場所にいた人だ。
「どうしてパソコン部に?」
「前から動画編集に興味があって。あと……少し、やってみたかったから」
灯は控えめに笑った。
その笑顔がまぶしすぎて、思わず目を逸らしてしまう。
「水守くんは、どうして入ったの?」
「……別に、なんとなく」
言葉が口から出た瞬間、自分で嫌になる。
正直に“約束だから”なんて言えるわけがなかった。
宮原先輩が軽く手を叩く。
「よし、それじゃ今日から活動開始だ。仲良くやってこう」
田島先輩が続けて笑う。
「この二人、なんかいい雰囲気じゃん?」
灯が少し照れたように笑い、俺は返す言葉を失った。
その日、初めて“誰かと同じ場所で何かをする”時間を過ごした。
キーボードを打つ音、ファイルを共有する声。
特別なことは何もなかったけれど——
それでも、心の奥で小さな何かが動いた気がした。
もしかしたら、ここでなら少しだけ変われるかもしれない。




