第一章「再会」
この物語を開いてくださり、ありがとうございます。
ここに描かれるのは、ひとりの小さな選択が、やがて世界を変えるほどの軌跡へと繋がっていく物語です。
運命に抗う者。
信じる力を見失いかけた者。
そして、希望をもう一度見つけようとする者。
彼らが紡ぐ“想い”の行方を、どうか見届けてください。
ほんの少しでも、あなたの心に残る瞬間がありますように。
それでは、物語の扉を開きましょう――。
——目を開けた瞬間、世界が水の底のように揺れていた。
白い天井。
無機質な光が、ゆらゆらと滲んでいる。
音は遠く、心臓の鼓動だけが現実を叩いていた。
ゆっくりと首を動かすと、視界の端に人の影があった。
長い髪を束ねた女性が、椅子に座ったまま、こちらを見つめている。
涙で濡れた頬を拭いもせず、彼女は、かすれた声で言った。
「……よかった。目、覚めたんだね」
その瞬間、胸の奥がかすかに震えた。
——知っている。
彼女の声を、どこかで、確かに知っている。
けれど、名前が出てこない。
「ここは……」
言葉が、喉の奥で崩れる。
「病院よ。事故に遭ったの。二週間、ずっと眠ってたの」
事故。
眠っていた。
そして——この女性は誰だ?
「わたしは凛。あなたの……婚約者よ」
彼女は微笑んだ。
優しく、どこか怯えたような笑みだった。
婚約者。
俺に、婚約者がいた?
思い出そうとしても、脳の奥で白いノイズが鳴るばかりだ。
「覚えてないのね……」
凛の目がわずかに揺れた。
それでも彼女は、震える指で俺の手を握った。
温かい。けれど、その温もりに、なぜか胸が締めつけられる。
——この人を、泣かせたことがある。
そんな確信だけが、何の根拠もなく、心の底に残っていた。
夕方、窓の外に沈む光が差し込む。
凛が花瓶の花を整え、静かに立ち上がる。
「少し休んで。明日はきっと、もっと思い出せるから」
そう言い残して病室を出ていく背中を、俺は無意識に見送っていた。
その姿が扉の向こうに消えると、静寂が戻る。
心電計の音だけが、規則的に響く。
そのリズムに紛れて、
誰かの声が、耳の奥で囁いた。
——「約束、忘れないでね」
思わず、息を止めた。
振り返っても、誰もいない。
だがその声は、確かに俺の記憶の奥に刻まれていた。
“凛”ではない、別の女性の声。
そして、まぶたの裏に浮かぶ。
夕暮れの海辺で、風に髪を揺らす誰かの姿。
その人が振り向いた瞬間、波音に紛れて名前が消えた。
——誰なんだ、君は。
思考の底で、その問いが泡のように浮かび、消えていった。
ベッドサイドのモニターが淡く光る。
ディスプレイには、俺の脳波が静かに揺れていた。
その裏側で、小さな赤いランプが点滅する。
「記録データ、転写完了」
医療機器の奥で、誰かが呟くような電子音が鳴った。
俺はまだ知らなかった。
この目覚めの瞬間こそが——
“彼女を奪ったその日”の、ほんとうの始まりだったことを。
ここまで読んでくださり、本当にありがとうございます。
この物語の登場人物たちが、あなたの心に少しでも息づいてくれていたら嬉しいです。
執筆を続ける力は、読んでくださる皆さんの応援と感想に支えられています。
もしよければ、感想やブックマークで応援していただけると励みになります!
次回も心を込めて書きます。
またこの世界でお会いできるのを楽しみにしています。
――ありがとうございました。




