7話 適用戦(アプライ)
竜の背に立つユナの目の前に、空間がぐにゃりと歪んでいた。
星図が書き換えられた影響で、世界の“深層”から黒い靄があふれ出し、渦を巻いている。
その正体は――人々の恐怖・偏見・差別・諦めの記憶だった。
星図は、長い時間をかけてそうした感情を“現実の形”にしてきた。
だから今、それが書き換えに抵抗して、巨大な“怪物”の群れとなって押し寄せているのだ。
「……これが、世界の抵抗……」
ユナは呟いた。空気は冷たく、でも重い。竜の翼がその風を切り裂くたびに、靄が牙を剥いて襲いかかってくる。
「ユナ、来るぞ!」
カイがライフルを構える。夜空ではなく、“内側の空”。
上下も方向も曖昧な空間で、黒い影が数えきれないほど漂っていた。
それは一つひとつが異なる形をしていた。
あるものは巨大な人の手のように空を這い、あるものは顔のない群衆の形でうごめく。
過去に誰かが差別され、傷ついた記憶がそのまま“形”になったような、不気味な存在たち。
「ビビるなよ。これは“心の残骸”だ」
カイが低く言う。「実体じゃない。けど……攻撃はしてくる。星の力でな」
セレナが翼を広げ、白銀の槍を構えた。
「星冠城を守ってきた私たちも、この“適用戦”を目にすることは滅多にない。……まさか、自分が戦う側になるとはね」
「もう、守る秩序は違うでしょ?」
ユナが言うと、セレナはわずかに笑った。
「ええ。今はあなたたちの側よ」
最初の群れが襲いかかってきた。
黒い影が竜の翼に巻き付き、竜の動きを鈍らせる。
ユナは即座に竜と感覚を合わせ、翼をきらめかせてそれを振り払う。
星雲の翼が黒い靄を裂き、夜空に似た空間に光の尾が走った。
「左上、3体!」
「任せろ!」
カイのライフルから光弾が連続で放たれ、黒い群れを正確に撃ち抜いていく。
狙いは迷いがなく、まるで“竜の目”とカイの視線が一体化しているかのようだった。
一方、セレナは槍で星図の線をなぞり、空中に巨大な星座を描いた。
「《星槍陣》……破ッ!」
星々を結んでできた槍の群れが放たれ、影を貫く。
黒い靄は悲鳴のような音を立てて弾け、光の粒となって霧散した。
「……やるじゃん」
ユナが驚くと、セレナは肩をすくめた。
「これでも“星の守護者”だったのよ」
だが、次の瞬間――空間の奥で、巨大な“影”が動いた。
今までの群れとは比べものにならない。
まるで空間そのものが一つの“怪物”になったような存在が、ゆっくりと姿を現した。
顔のない巨人。
星図の線が絡まり合い、縄のように巨人の体を束ねている。
その胸には、人々の憎しみ・差別・上下関係・諦め・支配欲……あらゆる感情が渦を巻いていた。
「……あれが、“核心”……」
星書官の声が頭の中に響く。
「星階の根を揺るがす時、世界は“秩序”そのものを怪物として形にする。それを打ち倒したとき、書き換えは完成します」
竜が低く唸る。
ユナは断星銃を握りしめた。
(このために、私はここまで来たんだ……!)
「全員、全力で行くぞ!」
ユナの号令で、竜が急上昇し、黒い巨人の頭上へと回り込む。
カイは狙撃ポイントを定め、セレナは星座を再構築し、巨大な槍陣を練る。
巨人が吼えると同時に、空間全体が震えた。
重力も方向も狂い、上と下が何度も入れ替わる。
竜はそれに合わせて姿勢を変え、ユナはまるで星を泳ぐようにバランスを取りながら、巨人の胸部――渦巻く感情の核を見据えた。
「そこだ……!」
カイのライフルが核を狙い、連射する。しかし、弾丸は巨人の胸の前に広がった“壁”に弾かれた。
「こいつ……“感情”で防御してる!」
セレナが叫ぶ。「一人じゃ破れない!」
ユナの胸が高鳴る。
(だったら、みんなの力を――)
「カイ、セレナ……竜……! 一緒に!」
ユナが叫んだ瞬間、竜の背から光があふれた。
四人の“意志”が星図と共鳴し、空に巨大な輪が浮かぶ。
ユナの断星銃の銃身が、眩しく光る。
その光はカイのライフルへと流れ、さらにセレナの槍へと連なり、竜の翼の光とひとつになった。
「これが……俺たちの――!」
「星の……!」
「未来への一撃よ!!」
三人と一匹の叫びが重なった。
ユナが引き金を引く。
銃口から放たれた光弾は、ライフルと槍、竜の翼によって増幅され、巨大な星光の奔流となって巨人の胸を撃ち抜いた。
ドォォォォォォン――!!
空間が揺れ、巨人が咆哮とともに崩れ落ちる。
星図の線が一気に解け、夜空のような空間に光の雨が降り注いだ。
光の中で、ユナはカイの隣に降り立った。
二人は互いに息を切らしながら顔を見合わせる。
「……やったな」
「うん……みんなで、ね」
セレナは背を向けたまま、静かに微笑んでいた。竜は上空で翼を大きく広げ、星空のような光を舞い散らせている。
「観測……完了」
星書官の声が空間に響いた。
「新しい星図、適用――」
天輪が光り、☆1〜☆4の星が一斉に淡く震え、外側に小さな“空白の輪”が灯った。
世界の根っこに、新しい秩序が刻まれた瞬間だった。
光がゆっくりと収束し、音が戻ってくる。
竜の背の上、ユナとカイは新しい空を見上げていた。
夜空は、もう“前と同じ”ではなかった。
「なぁ、ユナ」
「ん?」
「……お前、やっぱり普通じゃねぇよ」
「ふふっ、今さら何言ってんの」
星の風が二人の間を吹き抜ける。
ユナは微笑みながら、ふとカイの手を取った。
それは戦場の握手というより、未来を確かめ合うような、静かな手のぬくもりだった。
セレナが二人を見て、肩をすくめる。
「……まったく。星図を書き換える二人が、こんな顔をしてるなんてね」
星喰竜が低く鳴き、空を仰いだ。
空には、これまで見たことのない“新しい星座”が光っている。
それは――人と人が支え合いながら描く星図。




