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第九話・鴨川デルタ

 日曜日は気持ちがいいくらい晴れた。鴨川デルタはもちろん、鴨川の両岸も絶え間なく人が行き交っている。キャップを被り首にタオルを巻いて走る中年ランナー、映えると評判のソーダを手に連れ立って女子大生たち。鳥たちは餌と涼を求め、流れの穏やかな川に脚を浸けている。


 由衣と有紗は、鴨川デルタの木陰に並んで座っている。


「由衣と九重くんさ、なんかあった?」


有紗に不意を突かれ、由衣は飲んでいたカフェラテを吹き出しそうになった。


「え、な、なんで?」


「あ、違った?なんか由衣、九重くんを避けてるような気がして」


有紗は何かを勘繰るわけでもなく、ただ思ったことを言ったのがわかる。有紗らしい、と由衣は思う。


「別に、何もないよ」


もちろん嘘だが、これは由衣が自分にも言い聞かせていることだった。あの一件のあとも、新は由衣と同じクラスに通っている。ただ、特に話しかけてくるわけでもない。おそらく、由衣の身に危険が及ばぬように、浅田が監視役として付けているのだろう。まあ守ってもらえるなら安心だ、と由衣は思った。干渉してこないならこちらもただの同級生として接することにしよう。そう思ったからこそ、由衣は自分自身にあの件を忘れるよう言い聞かせていたのだった。


「そっかそっか」


有紗はあっさりした返事をすると、氷がすっかり溶けたピーチティーを口に含んだ。


「あ、有紗はどうなの?九重くん気になってたんじゃないの?」


由衣はカフェラテで乾いた口を潤す。


「うーん、まあ顔はいいんだけどさ」


有紗は悩ましい声を出した。


「何考えてるかわかんないんだよね、生活感がないというか」


「へぇ、そうなんだ」


「何それ」


有紗がわざとらしく由衣を睨む。


「え、え?だって九重くんとあんま話したことないから・・・・・・そうなんだぁ、と思って」


「へぇ」


「な、何よ」


「九重くん、由衣のことばっか見てるよ」


「は、はぁ?」


そうだろうな、と内心由衣は思った。それが彼の仕事だ。


「ほんと由衣って鈍いよね」


「ち、違うんだって・・・・・・」


「なんで言い切れるの?」


「えっと、それは・・・・・・」


「やっぱなんかあったな?」


由衣が笑って否定する。有紗も笑う。


「まあでも」


ひとしきり笑ったあと、有紗が言った。


「なんかあってほしいなとは思うよ」


「えっ?」


「由衣はさ、私のことすごく大事にしてくれるじゃん?」


「当たり前でしょ!」


「ありがと。由衣のそういうとこほんとに尊敬する。大事な人をちゃんと大事にできるとことか、当たり前みたいに自分より人のために動けるとことか。まあ純粋すぎて心配になる時もあるけどね」


由衣が照れくさそうに笑う。


「でもさ、そういう由衣の良いところってみんな知らないじゃん。それってもったいないと思うんだよね」


「そうなの?」


「もったいないっていうか、なんか悔しいんだよ。由衣はこんな良い子なのに、周りの全然伝わってないのが」


「あ、ありがと」


有紗の熱量に押されながら、由衣は考えていた。やっぱり有紗も、由衣が人との輪を広げようとしないことに気づいていたのだと。有紗は優しいからこんな言い方だけど、本当は、由衣に自分以外との繋がりを持ってほしい、そう思っているのだと。


「私は・・・・・・」


由衣は、有紗の反応が怖くて口ごもる。有紗は穏やかな表情で由衣の言葉を待つ。


「私は、有紗がいればそれでいい」


有紗は優しく微笑んだ。


「ありがと。私ももちろん、由衣が一番の親友だよ?」


その言葉に、由衣の頬がほころぶ。


「でもさ、今の由衣は、私にしか心開けない状態でしょ?」


由衣は頷く。


「私に一番心を開いてくれるのと、私にしか開けない、じゃ意味変わってくると思うんだ」


由衣はまた頷く。


「だから、由衣にはもっと自由にいろんなこと楽しんでほしい!もちろん、私はそのそばにいつもいたいと思うよ」


有紗は由衣に視線を向け、そして驚く。由衣が目を赤く腫らし泣いていたのだ。


「え、えぇ、ごめん!なんかまずかった?私」


有紗は焦る。


「ううん」


由衣が首を横に振り、涙を拭う。


「有紗がそんなこと思ってくれてるって知らなかったから・・・・・・」


「由衣・・・・・・」


「なんかずっと一人で抱えるしかないと思ってたけど、一人じゃなかったんだって思えて・・・・・・」


「当たり前でしょ、親友なんだから」


有紗がニカッと笑う。


「有紗ぁ・・・・・・」


由衣の瞳に、また涙が溢れる。


「よしよし、泣きたいだけ泣きな」


有紗は由衣の頭に手のひらを乗せ、優しく撫でる。


 2人の間に、爽やかな夏の風が吹き抜けた。


「もう大丈夫」


由衣はハンカチで涙を拭き取ると、微笑んでみせた。


「やっぱ由衣は笑ってる方がかわいいな」


有紗は由衣を愛おしそうに見つめた。


 その顔が、急に真剣に変わる。


「有紗?」


「ねえ、あれ美奈じゃない?」


「え?」


 由衣は有紗が指差す方に視線を移す。鴨川を挟んで対岸の遊歩道。制服を着た女性が歩いている。遠目でもわかる、たしかに美奈だ。長い黒髪が歩くたび揺れる。


「ほんとだ、美奈だ」


 美奈はバイトだけでなく、学校にも最近来ていない。接点はないものの、由衣は心配していた。


「なんか急いでるみたい」


由衣が言った。


「ちょっと話してくる」


有紗が立ち上がる。


「え、有紗?」


「バイト誘っといて急に辞めるし、学校も来ないし既読スルーだし、文句言ってやる」


「えぇ・・・・・・」


「ごめんね由衣、ちょっと待ってて」


有紗はそう言い残すと、小走りで行ってしまった。


 残された由衣は、川辺ではしゃぐ有紗のバイト仲間に混ざる気にもなれず、木陰でポツンと座っていた。


 15分くらい経っただろうか。さすがに心配になってくる。すると、川辺にいたバイトの面々の中から一人、男がこちらに向かってきた。


「やあ。あれ?有紗ちゃんは?」


「あ、えっと、ちょっとそこで友達に会って・・・・・・」


男は上半身裸で、下には短パン型の水着を履いている。水が滴る鍛えられた体が眩しい。由衣は耳が熱くなるのを感じ、目を逸らす。


「そうなんだ、じゃ今一人?」


そう言いながら、男が横に座る。パーマをかけた短髪を指でかき上げる。とても爽やかに見えるが、たしか有紗はチャラい大学生の先輩だと言っていた。由衣は少し距離を空けた。


「由衣ちゃんだよね」


「はい」


「来てくれてありがとう、めっちゃ嬉しい」


「あ、いえ」


「由衣ちゃんめっちゃかわいいけど、学校でモテるでしょ?」


男が並びの良い歯を見せて笑う。


「あ、あの」


由衣は思わず立ち上がった。


「あ、有紗が心配なので、ちょっと見てきます」


「ああ、そう、一緒に行こうか?」


「いえ!大丈夫です」


「そかそか、じゃあよろしくー」


男は微笑むとぶんぶんと手を振った。


 由衣は急いでその場を離れた。苦手意識がある割に、由衣は異性の誘惑に弱い。自覚がある分、悪い男からは傷つけられる前に離れるようにしていた。


 深呼吸をして、由衣は有紗が向かった道を辿る。たしか、下鴨神社の方向に向かっていたはずだ。鴨川デルタのすぐ北側の車道を渡ると、糺の森が現れる。糺の森は、下鴨神社の境内に広がる森林で、ひとたび中に入れば都会の喧騒を忘れさせてくれる。


 周囲を見回しても2人の姿はない。由衣は道路を渡り、吸い込まれるように糺の森に入って行った。

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