第9話 月、水、金曜日は映画の日ですわ!
ライと王都観光ををしたのは春だったが、それから夏が過ぎ、秋が過ぎ、冬になっていた。
あれからライとは二度会った。
図書館に行ったら会ったのだ。
二度しか行かなかった図書館で二度とも会うなんてライは勉強家なのだろう。
ちなみにシェルリンが図書館に行ったのは、サビドゥリウスに会う為だ。
ライと王都観光をした翌々週になんとか時間を見つけて図書館を訪れると、サビドゥリウスが「遅い」と待ち構えていた。
サビドゥリウスはよほど映画を見たかったらしい。
「遅い」と言われたので頑張ってその翌週も図書館へ行ったが、それでも遅かったようで、それからは二日に一回、夜にあの真っ白な空間に呼び出されるようになった。
今日はあの白い空間で恐竜の映画を見ている。
ここで見られるのはシェルリンが前世で見たことがあるものだけらしく、ホラー好きというわけではなかったシェルリンのホラーの引き出しはあっさり無くなった。
それからサビドゥリウスは、SF、ラブロマンス、ファンタジー、アクション、ヒューマンドラマとジャンルを問わず見ている。
時には子供用のアニメーションも。
「ふむ。ドラゴンを飼育しようなど無謀にもほどがある」
今日も手に汗を握りながらサビドゥリウスは、映画を見ている。
この真っ白な空間も随分変わった。
テレビとソファだけだったが、今はキッチンもある。
ホラー映画を怖がるサビドゥリウスに、温かいホットミルクを出したいと思ったら出てきた。
突然出てきたはちみつ入りホットミルクを手渡されたサビドゥリウスは「なんだこれは」と眉を寄せた。
怖がってなどいないと虚勢を張るサビドゥリウスに「怖かったでしょう?」とは言えないので、シェルリンの前世の習慣だと説明した。
「嫌なことや怖いことの後には、ホットミルクなんです。気持ちが落ち着きますわよ。サビドゥリウス様も付き合ってくださいませ」
「うむ。仕方ない」
恋愛映画を見た時は、主人公たちがポップコーンを食べながら映画を見ているのを見て、自分も食べたいと言い出した。
「あの男は、映画にはこれがなくっちゃ。と言っていたであろう」
面倒くさいなと思いながら、シェルリンはキッチンの戸棚からポップコーンの種を出した。
サビドゥリウスはシェルリンが出したポップコーンの種を見て、それじゃないだろうと眉をあげた。
サビドゥリウスは絶対びっくりするだろうなと少し口元を緩ませながら、シェルリンはフライパンに油と種を一粒入れる。
蓋をしたフライパンの中からポンと音が鳴った時は、シェルリンが思っていた通り、サビドゥリウスは目を丸くした。
内心ニヤニヤしながら、残りの種をパラパラと入れる。
さっと蓋をすれば中からポン、ポンという可愛らしい音から、まるで銃を乱射しているかのような絶え間ない音に変わっていく。
みるみるうちにフライパン一杯に出来上がったポップコーンを見て、戦争映画も見たことがあるサビドゥリウスはしみじみ言ったものだ。
「ポップコーンとは、戦争だったのだな」
ファンタジー映画はそれほど興味を引くものはなかったらしい。
主人公の魔法使いが呪文を唱え、魔法で物を浮かせると、サビドゥリウスは首をひねった。
「こんなものわざわざ映画で見せるほどのものなのか」と。
確かに、私もできる。
けれど映画に出てくる魔法の中には、この世界にはない魔法もあったようで、サビドゥリウスは研究者のように、「この現象なら、あれを応用できれば実現可能ではないか」などと言って、すぐに実現させてしまった。
宇宙が舞台の映画を見た時は、とても素敵だった。
サビドゥリウスはこの真っ白な空間をテレビの中に写る宇宙同様の空間にしたのだ。
上を見ても、下を見ても真っ暗な中、あちらこちらで星が瞬いていた。
サビドゥリウス曰く、「没入感が増すであろう」だそうだ。
ふふふふ。
目の前のテレビでは、主人公たちが逃げ場のない絶体絶命な場所からようやく逃げられたところだ。
笑っているのは、主人公たちが恐竜から逃げられてほっとしたからではない。
恐竜映画を目で追いながら、思い出していたこの真っ白な空間での時間が楽しかったからだ。
「サビドゥリウス様、今日でここに来るのは最後にしますわ」
「そうか」
三つの季節が過ぎるほど一緒に映画を見た仲だ。
シェルリンが記憶を封じるつもりであることも、その理由もサビドゥリウスは知っている。
人ではないサビドゥリウスは、相手の悪意も好意も何もかもがゲームだからと感じてしまうのが嫌だというシェルリンの気持ちを理解できないようだったけれど、「其方が嫌なら消せばいい」と言っていた。
「たまに様子を見に行ってやってもいい」
「ありがとうございます。もしも私が、誰かを憎んでいたら憎まないように言ってくれますか?」
「そんなこと私に頼むのは其方くらいだ。全く便利に使ってくれる」
未だにゲームで自身がお助けキャラということに納得がいっていないらしい。
「サビドゥリウス様。楽しかったです。ありがとうございました」
白い空間から自室に戻る。
この冬が終わればモンクレージュ学園に入学だ。
おそらく父バルデロイも母ケイシーヌも、そっちで何とかしなさいとしか言わないはずだから、記憶が無くなった後、困るのはきっとゼルダンやアンジーだろう。
ただでさえ記憶を無くすのは、ゼルダンやアンジーを困らせることだ。
彼らの為に少しでも準備期間を残しておかないと……。
ゲームについて書き記していたノートを燃やし、以前から書いていた手紙を机に置く。
記憶を失った後のシェルリンへの忠告だ。
そしてシェルリンはベッドの上に座り目をつぶる。
自分の体の中の魔力、空気中に含まれた魔力の欠片を意識する。
脳から掃除機で吸い出すように記憶を吸い上げる。
前世も今世も全部全部吸い出してしまおう。
ゲームのことも、親に認められたい気持ちも何もかも鍵付きの箱に封印して、濃度の高いファイジャンで絶対にあけられないようにするのだ。
全部忘れよう。
一つ一つ記憶を吟味する時間はない。だから忘れると決めた時に、忘れるならすべてだと決めていた。
自分のうちなる魔力ではない、空気中にある魔素と呼ばれる魔力の欠片がどんどん自分の中に流れ込んでいる。
文字にすれば、記憶を吸い出し、封印するだけ。
けれど、いつだったかサビドゥリウスが言っていたように人体は複雑で、複雑なものに変化をもたらすのだから、必要なエネルギーも莫大だ。
今度は鍵付きの箱を想像する。これは何度もサビドゥリウスと特訓した。
もうお手の物だ。
作り上げた箱の中に掃除機で吸い出した記憶を流していく。
想像上で、記憶の箱をファイジャンに漬け込むとちらりと本棚の上に飾ってある針金のバラを見た。
大丈夫。
記憶が無くなったら、今度は一つ一つ自分で選べばいいの。
フィッツベルグ公爵家に相応しいものを選ぶのか、また別の自分らしいものを選ぶのかはわからない。
けれど流されるままではなくて、自分で選んでいけるはずだわ。
それに……。
前世を生きた記憶を持つ今は思うの。
今まで私、結構頑張っていたって。
だからずっと会っていなかった幼馴染たちを心の支えにしてたことも、親から認められたいという気持ちも、フィッツベルグ公爵家に相応しいという言葉もすべて忘れたら、きっとうまくいくはずよ。
ね、そうでしょう。
だから……お疲れ様、私。
シェルリンはファイジャンでガチガチに固めた記憶の箱を、そっと押し出した。
それはまるで、いつかサビドゥリウスと見た映画のワンシーンのようだった。
損傷した宇宙船の一部を切り離す。ずっと常に一緒だった部分が、少しずつ離れ、そして宇宙の闇に消えていく。
そんな風に、シェルリンの記憶を封じ込めた箱も少しずつシェルリンから離れ、どこか闇の中へと沈んでいく。
箱が闇に消えると同時に、箱とシェルリンとのつながりも消えた。
シェルリンは音もなくその場に倒れ込んだ。