第40話 心配ですわ!
あれから……。
東の孤児院は安全の為出張授業のリストから外れ、シェルリンたちのグループは他の比較的安全な地域にある孤児院の担当になった。
急遽ということで、最初に教えようと考えていた文字を教えることになったのだが、東の孤児院のようにはならなかった。
孤児院によってこれ程までに差があるとは思いもしなかった。
誰もが言われた通り文字を書いてみて、自分の名前を書けるようになった。
最初からこの孤児院が担当だったなら、シェルリンたちはこれ程悩むことはなかっただろう。
「この子たちも我々が気がつかないところで傷を負い、未来を見えていないかもしれない。東の孤児院の子たちのような絶望、諦め、怒りまではなくとも、ふとした時に不安そうな顔をしている」
そう言ったのは、マクスウェルだった。
何かがマクスウェルを変えたようで、マクスウェルはこの出張授業にとても意欲的だ。
「文字から派生して物語を読んだらどうだろう。孤児院には本などないだろう?」
マクスウェルの提案に、ミランダとナターシャがいち早く是を唱えた。
「あの子たちもあの事件に負けず、強く生きていてほしいですわね」
ぽつりとミランダがこぼす。
今、東の孤児院一帯は、立ち入り禁止区域になっている。
国がようやく重い腰を上げて、徹底的な調査を始めたからだ。
ミランダの声にシーンと静まり返る。
最初は全くの拒絶だった東の孤児院の子供たちとも掃除をして、塀を塗っている間に情が湧いていた。
まだ子供たちは完全に私たちに心を開いてくれているわけではないし、授業もまだぎこちないものだけど、彼らの身を案ずるほどには関わってきた。
皆口には出さなくとも、あの孤児院で子供たちが今どうしているのか気になって仕方がなかった。
あの時打たれた背中の傷は、ライがどこからかもらってきてくれた薬を毎日毎日アンジーが塗ってくれているおかげで今はほとんど見えないほどになってきた。
ライが校医が男性であることを理由に学園側にアンジーの通いを認めさせたのだ。
アンジーは毎日薬と弁当を片手に、傷に薬を塗ってそっと部屋を整えて帰っていく。
最近は「ちゃんとご飯だけは食べてくださいね」というのが、帰り際の挨拶になってしまっている。
東の孤児院のことが気がかりで、いろんなことが面倒に感じていたシェルリンは、時々食堂へ行ってご飯を食べるのも面倒で時折食事を抜いていた。
そのことに目ざとくアンジーが気付いたからだ。
来週はカールの誕生日パーティに呼ばれていたが、今回は傷のこともあって欠席させてもらうことにした。
目立たなくなってきたとはいえ、ドレスを着れば傷が見えてしまう。
カールを裏庭に呼び出し、当日渡すはずだった贈り物と共に欠席を告げる。
「突然、欠席になってしまってごめんなさい」
「ううん、いいよ。今回は……大変だったね、あんなところが担当でさ」
あんなところ……慰めてくれているのは分かっていたが、シェルリンの胸に何か言いようもない悲しみが広がる。
「あ、あの」と気を取り直して、カールに呼び掛ける。
「これ、少し早いけれどお誕生日おめでとう」
贈り物を手渡す。
ライと共に選んだものなので、それほど頓珍漢なものではないはず。
記憶を失って初めての誕生日パーティだったので、パーティのこと、贈り物のことをあれこれライに教えてもらっていた。
今回欠席になり、教えてもらったことが無駄になったようでシェルリンは申し訳なく思っていたのだが、ライは逆に安心していたようだった。
まだシェルリンに貴族のパーティは心もとなかったらしい。
今後はパーティの誘いを承諾する前に、ライに相談しようとシェルリンは心に決めた。
「ありがとう、嬉しいよ。あ、そうだ。パーティに来られないならさ、今度別でお祝いしてよ」
カールがにこりと笑いながら提案する。
きっとシェルリンに気を遣わせないようにだろう。
けれど、別でお祝いするとなれば大変だ。
まだまだ記憶のないシェルリンには貴族の普通がわからない。
まずはライに相談してからにしたいけれど……どうやって返事しようかとシェルリンが頭を悩ませていた時、「シェルリン!?」と呼ぶ声がした。
振り向けば、顔を青くしたユリウスが立っている。
「そ、その箱」
ユリウスがカールが持っている贈り物の箱を指さす。
「今、シェルリンからもらったんだ」
嬉しそうに言うカールの言葉に、ユリウスの目が見開かれる。
何をそれほど驚いているかわからないシェルリンは、どう対応したらいいかわからず成り行きを見守ることにした。
記憶がないシェルリンは、しばしば知ったかぶりをしなければならない。
知っていると思っていても、記憶がないことがひっかかり、どうしても自分の判断に、知識に自信が持てないからだ。
だからシェルリンは、少しでも不安があると口を閉じることにしている。
些細なことから記憶がないことがばれぬように。
未だ目を開いたままのユリウスの後ろにマクスウェルとカリーナが通りかかる。
二人と目があうと、マクスウェルが声をかけてくれた。
「シェルリンさん、出張授業の件で話したいことがある。今来てもらえないか」
シェルリンは内心助かった! と思いながら、二人の方に向かおうとカールに話の途中で去ることを詫びた。
「いいよ」と言ったカールに背を向けた時、カールがシェルリンの手首をつかんだ。振り返ると、すぐ近くにカールの顔がある。
驚いて、一瞬頭が真っ白になる。
カールが言う。
「お祝いの件、考えておいてね」
カールはまだ手を放してくれない。
なんて言葉をかけるべきかわからぬまま、「か、考えてみますわ」と答えた。
なんとか手を放してもらって、カリーナとマクスウェルと合流すると、ふっと心が軽くなった。
その時になって、カールと話していたときは緊張していたのだと気がついた。
やはり、記憶がないことがバレるかもしれない相手は緊張するなと思いながら、マクスウェルに話を向ける。
一瞬驚いたような顔をしたマクスウェルは、思い出したようにわきに抱えていたノートを取り出した。
それは、前回の話し合いで決めた子供向けの物語を絵にしたものだった。
ざっくりとした下書きが何枚も書かれている。
「マクスウェルの絵は、昔、賞も取ったことあるくらいすごいのですよ。審査員の方が跡取りでなければと随分悔しがっていましたわ」
美しい下絵に驚いていると、カリーナが誇らしげに言う。
「昔の話だ。グループの皆が良ければもう少し大きな紙に私がこのような絵を描こう。紙の裏側に文章を書いていれば、子供たちに絵を見せながら物語を読める。初めての物語だ。絵があった方が想像しやすいと思ったのだが、どうだろう?」
「思いもしなかった案ですわ! とてもいいと思います。子供たちきっと喜びますわ」
東の孤児院の子たちの顔が一瞬浮かんだ。
あの子たちもきっとこれなら楽しんでくれたかもしれない。
「あの地区の立ち入り禁止が解禁されたら」と口を開いた。
その絵を東の孤児院に持って行ってもいいか聞こうと思ったのだ。
けれど、思いもよらぬところから声がかかり、その続きを話すことはできなかった。
「その時は、私たちも一緒に行きますわ」
ミランダが力強く言う。
ミランダの後ろにはマクスウェルが声をかけていたグループの皆がいて、皆がうんうんと頷いていた。




