第25話 止まらぬ恐怖
「あぁ、シェルリン様」
シェルリンの取り巻きの中で一番の影響力を持つカリーナ・ロケティア侯爵令嬢は、溜息を吐いた。
それを合図のように、カリーナの周りに集まった令嬢たちが口を開き始めた。
「皆様、聞きまして。ブランジー語の授業でのシェルリン様の音読を」
「えぇ、もちろんですわ。サラサラと流れるように、発音ミスもつまることもなく先生も満足そうな顔で頷いていましたわ」
「本当に。先日魔術の実技でも一番にこなしていらっしゃって」
「魔力量が多いのでしょうけど、魔術だけでなく言語や社会学といった座学も優秀なのが素晴らしいわよね」
「それでいて、少しも威張っていらっしゃらない」
令嬢たちは互いに頷きあう。シェルリンは知らなかったことだが、シェルリンがモンクレージュ学園に入学する前、社交界ではシェルリンの噂が流れていた。
曰く、輝くほど美しい銀色の髪を持つ天使のような女の子だとか。
曰く、古今東西あらゆることに興味があり、思慮深く、優秀な人だとか。
曰く、王家も目をつけているほどの魔力量があり、実はすでにユリウス殿下の婚約者としてお妃教育をうけているだとか。とかとか。
事実はシェルリンの両親がシェルリンのことを放っておいただけなのだが、シェルリンがどこのお茶会にも出ていない理由を人々は探し求めた。
噂を加速したのは、シェルリンの幼馴染たちの何気ない言動もあったかもしれない。
初めて彼らが出席したお茶会で、彼らはふとシェルリンのことを思い出した。
「久しぶりに会えるかもしれないな」と話していた彼らに、参加者が聞く。
「シェルリン嬢? どちらの家のお嬢さんですか?」
「ん? フィッツベルグ公爵家だよ」
「なんとフィッツベルグ公爵家の! 是非私どもも挨拶したいですね。どんな方なんです?」
「んー、といっても僕らも小さい頃しか会ってないし。銀髪の可愛い女の子って感じかな」
そんな会話からその会の参加者たちの中でシェルリンについてあれやこれやと話が交わされ、当人たちの思ってもいない広がり方をしていた。
それは、フィッツベルグ公爵家となんとか縁を持ちたいと思っている貴族たちが躍起になってあちらこちらのお茶会でシェルリンを探したからかもしれないし、ユリウスたち高位貴族に娘が嫁ぐことを期待していた貴族たちがシェルリンの情報を集めまわったからかもしれなかった。
けれど接点がなければ情報は集まりようがなく、結局彼らが知ることができたのは、ユリウスたちが言った銀髪の可愛い女の子の他には、大勢の家庭教師がいるらしいこと、そしてとりわけ魔術に関しては王国内でも名高いスナイデンが家庭教師をしていることだけだった。
彼らは考える。
これほど多くの家庭教師を雇っているのなら、さぞ優秀なのだろう。
普通は家庭教師をしないスナイデンが、わざわざ魔術を教えているのなら、さぞ魔力量が高いに違いない。
そうして、いつしかシェルリンは噂の完璧令嬢として認知されるようになっていた。
そして今。実際にシェルリンを見たモンクレージュ学園の生徒たちは思う。
本当だった。本当に、先生があてればすべてスラスラと答えが出て、魔術の扱いもうまい。そして本当に綺麗な人だった! と。
ただ一つ残念なことがあるとしたら、ユリウスとアメリアが良い感じになっていることだけだった。
彼らは思う。
シェルリン様こそ相応しいのに。
中には、シェルリンならばとユリウスの相手をあきらめた子もいる。
まさかそれが、貴族になったばかりのアメリアに奪われそうになるとは思わなかった。
まさか、そんなはずないと思っても、少し怖い。
今までずっと平民だったアメリアがユリウスに見初められて婚約者になる。
もしそのまま結婚すれば、元平民に頭を下げなければならない。
今までの貴族としての誇りやそのために守ってきた伝統、今まで築き上げてきた何かがガラガラと崩れるような恐怖があった。
それは昔から続く貴族ほど、正しく国の未来を想い働いている貴族ほど心の内でそうした恐怖がチラついた。
そういう時代になったのだと言ってしまえばそうなのかもしれない。
けれど、そう頭でわかっていたとしても心が拒絶する。
権力者が見初めれば、その女性の地位はどうしても向上する。
けれど、彼女はその地位にふさわしいのか?
年若い貴族や、貴族としての歴史の浅い新興貴族は言う。
「そうはいっても、王家だけじゃなく、今まで娼婦のような女と関係を持って家に連れ帰った貴族はいるだろう」
それはもちろん。娼婦だけでない、市井の女、屋敷に勤めるメイドに手を付けた貴族は、たくさんいる。けれど、それとこれは別だ。
家の中でそうした女性がどのようにふるまっていたかは、その家の者のみが知るだが、そういう女性たちは決して公の場には出てこなかった。
夜会やお茶会、式典などには、どんなに愛されていないお飾り妻だったとしても正妻が来ていた。
アメリアがユリウスの婚約者となれば違う。
アメリアは正真正銘王子妃になってしまうのだ。少し前まで平民に過ぎなかった女の子でも。
だから貴族たちはユリウスとアメリアの噂に恐怖し、大げさまでに魔性の女だと騒ぎ立てた。
ある日の放課後。
シェルリンの取り巻きたちはいつものようにシェルリンと一緒に歩いていた。
「あ」
誰かが声を漏らし、皆がその声につられるように視線を投げる。
視線の先ではユリウスとアメリアが幸せそうに笑いあっていた。
「シェルリンさん……」
「さぁ、行きましょう。私、まだスプリングパレードの衣装を準備できていませんの。早く仕上げてしまわないと」
「よろしいのですか。放っておいても」
「何度も言っていますわ。私とユリウス殿下の間に噂になっているようなことはありませんもの」
シェルリンの言葉を受けて、皆でその場を後にする。
シェルリンと別れて、シェルリンを慕う彼らは再び集まる。
「信じられませんわ!」
「まさか本当に、ユリウス殿下も……」
「シェルリン様の御心を想うと、私……心が痛みますわ」
「立場の違いというのを教えなければならないようね」
盛り上がっていく一部から離れてカリーナがぽつりとつぶやく。
「シェルリン様の本当の御心はどうなのかしら」
傍らに立つ男子生徒がぽつりとつぶやく。
「まぁ、彼女たちの言う通りシェルリン嬢の方がユリウス殿下のお相手に相応しいのは確かだけどね」
「では、貴方もあちらのグループに入りますの?」
「冗談じゃない。クルトランデの名を背負っている限り、あんな低俗なことするわけがない。彼女たちは、結局のところ自分が見下していたアメリア嬢に負けそうだからっていう理由だけだろう?」
クルトランデ家長男、マクスウェル・クルトランデは厳密にいえば、シェルリンの取り巻きではなかった。
彼はシェルリンの傍にいたりいなかったりしたし、ユリウスやカールとも普通に話をした。
彼が若干シェルリンの傍にいるのが長いのは、シェルリンを慕うカリーナ侯爵令嬢と幼馴染だからというだけだ。
クルトランデ家は爵位こそ数多くある伯爵家ではあるものの、歴史は長い由緒正しい貴族家だったので、彼は元平民のアメリアがモンクレージュ学園に通っていることに対して人一倍嫌悪感があった。身分をわきまえずにユリウスと会話する様子を見て、ユリウスへの失望も覚えた。
それでも彼がアメリアを虐めようとしないのは、それが彼の貴族としての在り方だったからだ。
「そうよね。きっとシェルリン様も望まないと思うわ」
「まっとうな貴族なら恥ずべきことだな」
「えぇ、だからそろそろ彼女たちを止めに行きましょうね。ただ、彼女たちを止めてもこの流れが止まるかわからないけれど……」
カリーナがアメリアの悪口を言い続けている女の子たちの方へ一歩踏み出す。
内心やれやれと思いながらもマクスウェルもカリーナに続いた。
アメリアに思い知らせてやろうと息巻いていた女の子たちは、不承不承にアメリアに手を出さないことを約束したが、ユリウスとアメリアが放課後二人っきりで話をしていたという噂はあっという間に学園を駆け巡った。
「ほらね、マクスウェル。また噂が一回り大きくなったわ。アメリア嬢に対する悪感情も。私たち以外の目撃者もいたでしょうしね」
「そろそろ暴走する者も出るだろうな」
「そうね……。噂が飛び火して、シェルリン様の御心に傷がつかないといいのだけれど」
カリーナはそっと息を吐いた。




