第21話 何者
週末、フィッツベルグ家に戻ると、シェルリンから友人を紹介された。
事前にシェルリンから一人友人を連れて帰ってもいいかと連絡はもらっていた。
もちろんいいに決まっている。シェルリンは忘れてしまっているが、ライはシェルリンの本当の兄ではない。ライは成人するまで、家にいても良いと言われているだけの居候で、シェルリンこそフィッツベルグ家の娘なのだから。
けれど、連れてきた友人を見て驚いた。
それが今話題のアメリア・モラダだったからだ。
アメリア・モラダ。
シェルリンとユリウスの間に割って入ったという魔性の女。嫉妬のあまりシェルリンから嫌がらせを受けている女。
記憶喪失のシェルリンにとって、ユリウスは要注意人物だったはず。
それが何で入学早々恋人などと噂されることになるのだろうか。
なるべく接触を避けると思っていたんだが。
それに、嫉妬から嫌がらせ?
本当の兄ではないライには、シェルリンの本性などわからない。
たかだか数か月、記憶のないシェルリンに勉強を教えただけだ。
けれどその数か月の経験から言えば、シェルリンが嫌がらせをするというのは、あまり想像がつかなかった。
シェルリンは公爵家の娘で、顔もいい。さらに、学園入学まで家にいてほとんどの人が会ったこともなかったから注目が集まるのは当然と言えば当然だ。
シェルリンの相手とされるユリウスは、言わずもがな。ここロイアルマ王国の王子。
未だ婚約者のいない彼を狙っている家は多い。
だから二人の名前が大きな噂になるのはある意味仕方がない。
問題なのは、噂のきっかけになるようなことがあったことだ。
確か、ユリウスがシェルリンを抱きかかえて医務室に行ったんだったな。
全く、なんでそんなことに。
記憶がないことがバレるといけないから、なるべく距離をとるように言っていたのに、たった一日で噂に……。
大体、シェルリンは講堂裏に行った女子学生と猫が心配で講堂裏に行ったと言っていたが、この説明もよくわからない。
別に、その女子学生が倒れたとかではないんだろう?
そしてもっとわからないのが、ユリウスだ。
普通医務室に連れていくのは、案内役になっていたブルーノだろ。なんで入学したばかりのユリウスがわざわざ教室から引き返してシェルリンを医務室に連れて行ったんだ。
まさかシェルリンを妃にしたいのか? それに、シェルリン側の気持ちはどうなのだ。
未だ噂が続いているということは、ある程度噂にも信憑性があるのかもしれない。
要注意人物と伝えてはいたが、実際に会ってみたら好きになったという可能性もある。
なんといってもユリウスは本物の王子様だ。
――王子様……
初めてシェルリンと会った時のシェルリンの言葉を思い出して、眉をよせた。
実際あの言葉もライの考えすぎだっただけで、記憶を失う前のシェルリンは「王子」というものに憧れを抱いていただけなのかもしれない。
自分の顔をみて、王子様と言った女。
自ら記憶を無くした女。
本物の王子と恋人と噂される関係になった女。
恋敵と噂される少女を友人と呼ぶ女。
はぁー。
一人部屋で溜息をつく。
考えれば考えるほど、ライはシェルリンのことが分からなくなっていった。
夕方アメリアが寮へ帰っていったので、いつも通りシェルリンと二人の夕食だ。
入寮してからもシェルリンとライは、毎週フィッツベルグ家に帰っていた。
それは、記憶を失ったシェルリンの現状を把握し、補佐するためだ。
最初はそこまでしなくても良いと思っていたが、入学早々シェルリンからお辞儀の仕方について質問が来て、考えを改めた。
マナーも勉強も問題がないと思っていたが、実際に使っていく上で抜け漏れがあるかもしれない。
だから、こうして週末はフィッツベルグ家でコミュニケーションをとるようにしている。
さて、噂のことをどう切り出したものか。
正直なところ、付き合いの浅いライはシェルリンにどんな噂が出ても、シェルリンがどんな人を好きになっても関係がないと思っている。
ライがシェルリンの手助けをしているのは、どうして初対面の時にライのことを王子様と呼んだのか、シェルリンは何を知っているのか、それを知りたいだけだ。
だから、シェルリンがどうなってもいいのだが……王族というのは良くも悪くも影響がある。
この噂は、後々面倒なことになりそうな類だと思うんだよなぁ。
「あの、ライ兄様」
どう切り出そうかと思いながら、食事をしているとおずおずとシェルリンが話しかけてきた。
よそ行き用の仮面を顔に張り付けて、「どうかした?」とほほ笑んでみる。
良き兄として。
「お願いがあるんです。あの……私に、男性パートの踊りを教えていただけませんか」
シェルリンのお願いが予想外で、一瞬言葉に詰まる。
「もちろんいいけど、どうして男性パートをシェルリンが?」
「アメリアにダンスを教えたいんです!」
それからシェルリンが語るところによると、アメリアは少し前まで平民だったためにマナーや勉強に不安があるのだそうだ。
それでシェルリンがこっそり教えることにしたのだという。
「へぇ、随分仲良くなったんだね」
「あ、いや。仲良くは……どうでしょう。嫌われてはないと思うんですが、私に提案されれば平民のアメリアは断れないと思いますし」
「じゃあ一体どうして」
自然と口から出ていた。
もしも本人が望んでいないとしたら、それは余計なお世話。それでもおせっかいをするというのなら、シェルリンに利があるのかと思ったのだ。
「勝手な話ですけれど、私アメリアを見て、同じだと思ったんです」
今まで平民として生きてきたアメリア。記憶のないシェルリン。
一方はつい最近まで平民で、一方は記憶がなくても生まれてからずっと公爵令嬢だ。
全く正反対に思える二人だけれど、ただ一点「自分が貴族ということにしっくりきていない」という点のみアメリアとシェルリンは、確かに同じだった。
「私にはライ兄様がいました。マナーや勉強を身に着けて、不安ながらもなんとか記憶喪失を隠せています。けれどアメリアには、何もない。鎧となるマナーや知識もなければ、元平民であるという弱点を私のように隠せてはいません。アメリアを見ていると思うのです。アメリアは、ライ兄様のいない私と同じだと」
ライを見ながら、「ライ兄様ありがとう」と続けるシェルリンにライの心がチクリと痛んだ。
俺は本当の兄じゃない。手助けだって、俺に都合が良かっただけ。
俺はそんないい人じゃない。
心の中ではそんな風に言い返したけれど、結局口から出てきた言葉は、「そういう理由なら私も手伝うよ」だった。
いつも通り、口角をあげた顔で。
「ありがとう、ライ兄様。本当の自分を隠して、何者かになるってきっと大変なことですから」
ぽつりつぶやくシェルリンの言葉が染み渡る。
平民であった頃のアメリアとは全く別の……貴族のアメリアとして生きていくのは大変だ。シェルリンが言ったのはそういう意味。
記憶のない、本当の自分が分からないシェルリンが、公爵令嬢シェルリンとして生きていくのも大変だ。もしかしたらこっちの意味も含まれていたかもしれない。
ライはそんなシェルリンの言葉を聞いて、「そうだよな。俺もそう思う」とただそれだけ真顔で返した。




