第15話 入学しましたわ!
バルデロイとケイシーヌは、家に到着した翌日から昼夜問わず、社交に出かけて行った。
そして、社交シーズンが終わると二人は当然のように出て行った。
ライが教えてくれる社会学や魔術は、やはり記憶を失う前のシェルリンも勉強していたようで、一度聞けばすっと理解することができた。
ロイアルマ王国で一般的だというダンスもライと一緒に練習した。
初めて聞いた音楽で、初めてのダンスを踊るのはさぞ難しいだろうと思ったけれど、やはりすぐに踊れるようになった。
一度バルデロイとケイシーヌが夜会に出かけて行った時は、ドレス姿で踊った。
実際にダンスをする際は、ドレスを着て、ヒールを履いているからだ。
「一曲踊っていただけますか?」
「喜んで」
夜会ではこういうやり取りをするのだと教えてもらった後、ライが片手を差し出して誘った。
公爵家の広いホールにドレスアップした二人。
開け放たれた窓から優しい風が吹き込む。
ターンをして、スカートがふわり。
くるりと回れば、ライの肩越しに月が見える。
記憶喪失のシェルリンの為のダンスレッスンのはずなのに、うっとりするほど素敵な夜だった。
バルデロイとケイシーヌが出て行って少しすると、モンクレージュ学園の冬休みも終わり、当然ライも寮へと戻っていった。
毎日は会えないが、週末は必ず帰ってきてくれる。
一度、モンクレージュ学園の図書館に行った時もあった。
とても多くの本が収められていて、驚いた。
シェルリンの利用カードがあったので、きっと記憶喪失になる前も通っていたのだろう。
ちっとも思い出せないけれど。
そして今日。
すり鉢状の講堂の一番前の席でシェルリンは壇上の男子学生を見上げた。
金色の髪の男子学生がこれからの学園生活への抱負を述べている。
第一王子ユリウス。シェルリンの幼馴染であり、ライから要注意人物と言われている人だ。
王子様には近づかない、王子様には近づかない、王子様には近づかないっと。
近づかないようにするため、しっかり顔を覚えようと見上げているとシェルリンの目とユリウスの目がピタリと合う。
自然を装ってユリウスから視線を外し、シェルリンは講堂真ん中の通路を挟んで右側の男子学生を盗み見る。
シェルリンと同じく最前列に座るのはヴェルライナー公爵家のカール。
要注意人物二人目だ。
今日は要注意人物が一堂に会する入学式。
あまりにじっと見ていると、ユリウスの時と同じように目があってしまうかもしれないので、シェルリンはすぐに壇上のユリウスの少し後ろに視線を定めた。
ユリウスの背後を見つめながら、思い返すのは、入学式直前の週末ライと話したこと。
それは「勉強についてはまず問題ないだろう」と言われてシェルリンがほっと胸をなでおろしたあとのことだった。
「マナーも問題ないし、あと気をつけなければならないことと言ったら……やっぱりあれかな」
あれとは何だろうと何が何だかわからずに首をかしげると、ライが四本の指を立て、話し始める。
「在学中シェルリンが特に気をつけなければならないのは四人。ロイアルマ王国第一王子ユリウス。宰相閣下の息子エーミール。学年は一つ上だが、現騎士団長の息子のブルーノに、あとヴェルライナー公爵家のカールだ」
「なぜでしょう」
なんだかすごい肩書が並んでいた。
「彼らは、シェルリンに会ったことがあるからだよ。最近は会っていないから、子供の頃だけどね。あの時はああだったね! なんて話されても答えられないだろう?」
知り合いが少ないとは聞いていた。
けれど、たった四人とは。しかも会ったのは子供のころ。
確かにこれなら、記憶喪失に気づかれることはなさそうだ。
そんな風にあの時は思っていた。
シェルリンは変わらず壇上のユリウスの背後を見つめながら考える。
ブルーノは騎士科の在校生だから、式中はこの講堂のどこかで警備をしているだろうとライが言っていた。
ちらりと視線を左右に向ける。
講堂にある窓には、二人一組で騎士科の学生が立っている。
そういえば入口にも騎士科の生徒が何人か立っていた。
あの中にいるどの人がブルーノだろうか。
だが考えてみたところで、シェルリンは顔が分からないので、どの人がブルーノかわからなかった。
同様に、宰相の息子だというエーミールも伯爵位はたくさんいる為、シェルリンにはどの人がエーミールかまではわからない。
うっかり会わないためにも、顔を覚えておきたかったのに残念だ。
シェルリンがぼんやりと要注意人物のことを考えている間に入学式はどんどん進行し、退場の時間となった。
爵位の高い人から順番に中央通路を通って後方の扉へ向かう。
最初は、王子であるユリウス、それに続いて公爵家であるシェルリンとカールだ。
早速要注意人物と言われた二人に囲まれて、シェルリンの心臓が早鐘をうつ。
講堂後方にある出口まで辿り着くと、講堂の扉が開かれ、目の覚めるような赤髪の騎士科の学生がひとり前に出た。
「ユリウス、カール、シェルリン入学おめでとう。シェルリンは随分久しぶりだな。みんな俺が部屋まで案内することになってるからついてきて」
「ありがとうブルーノ」
この人がブルーノだ。
シェルリンは要注意人物が三人になった事実に声をあげそうになった。
しかも、王子にため口だ。ブルーノとユリウスはかなり仲が良いらしい。
近寄るなとライからは言われていたけれど、これは不可避。
シェルリンが声にならない声でどうしよう、どうしようと一人脳内でせわしなく自問していると、横を歩くカールから声がかかった。
「本当に久しぶりだね。シェルリン。最後に会ったのは……」
思い出すように絶妙なところでカールが言葉を切る。
記憶喪失を悟られてはいけないと気負っているからか「これは、何か変だと思われて試されている?」と疑心暗鬼になってしまう。
「えぇ、本当に。久しぶりにお会いできて私も嬉しいですわ」
そう言ってにっこりとシェルリンは笑う。
とにかく困った時は笑顔だ、笑顔。
もーやだ、この場から逃げ出したい。
「カールも久しぶりなのか。私も小さい頃に会ったきりでね」
なんとユリウスまでも会話に入ってきた。
どうしよう、笑顔が引きつっていないだろうかなどとシェルリンの脳がさらに慌て出す。
ミャー! ミャー!
久しぶり以外に何と答えればいい? なんて答えれば当たり障りがなく、自然だろうかとシェルリンは頭をフルスピードで働かせた。
ウミャー!
「猫か?」
ユリウスが後方を振り返る。シェルリンも、その言葉でようやく異常な鳴き声に気がついた。
シェルリンたちは講堂から本棟へ向かう渡り廊下を歩いており、壁に仕切られていない通路からは、外が良く見えた。
シェルリンたちから離れた後方にはぞろぞろと列をなして歩いている学生たち。
そして、その最後尾あたりでピンク髪の女子学生が一人列から離れて講堂の裏手へ向かって走って行った。
「あの子どうしたんだろうね」
ユリウスの発言を受けて、カールも首をかしげる。
後方の学生たちからは講堂の建物が死角になって見えないようで、一人講堂の裏手へ行くピンクの髪をした女の子に気づいていないようだった。
ウミャー!
先ほど聞こえた鳴き声よりも一段と大きな鳴き声に、シェルリンは突然ひらめいた。
これはこの場から逃げるチャンスかもしれない。
「私、ちょっと見てまいりますわ」
「え? シェルリンが?」
「女性同士の方があのご令嬢も緊張しないと思いますし、あの鳴き声は猫でしょう? 私、猫に……きょ、興味があるのです」
シェルリンは「私、猫が好きなんです」と言いかけて、言いなおした。
本当に猫が好きなのか、記憶を失ったシェルリンにはわからないからだ。
渡り廊下をほとんど渡っていたシェルリンは、ブルーノに教えてもらって本棟の出入り口からあの女の子を追いかけた。
この冬の間に猛勉強したマナーに淑女はいかなる時も走らないとあったので、なるべく早歩きで追いかける。
あぁ、でもほっとしたとシェルリンはふーっと息を吐く。
ユリウスとカール、ブルーノという三人の要注意人物に囲まれているのは、心臓に悪かった。何かボロを出しそうで、シェルリンは終始ドキドキしっぱなしだった。
あそこから離れられて本当によかった。
そう思いながら、シェルリンは二度目の深い息を吐く。
講堂の裏手まで来ると、ピンク髪の女の子が木に足をかけている。
え? ここにいるってことはあの子も貴族よね?
走るのもはしたないと言われるくらいなのに、いいの? あんなに足を上げても。あの木に登るつもり?
とにかく話を聞いてみようとシェルリンが声をかけようとしたその時。
「な! なんでここにあくや……」
シェルリンの思いもよらぬ方向から声がした。
その声に、その場にいたシェルリン、ピンクの髪の女子学生、そしてもう一人の茶髪の女子学生の皆が互いの存在に気がついた。
三人ともが距離を保ったまま、呆然と立ち尽くす。
えっと……この状況はどうしたら良いのだろう。




