第14話 お父様とお母様ですわ!
週末は、ライと社会学や魔術を勉強し、平日はノートの読み込みとそこからノートに書かれていることを再現することに注力した。
例えばある時は、料理長に頼んで、ノートに書かれてあった料理を作ってもらった。
料理長は、記憶を失う前のシェルリンが詳細にノートに書きつけていたのを見て、感激していたみたいだった。
ノートを読んだ後に料理を味わうと、一層美味しく感じられた。
より深く料理のことを知れたような気分になった。
けれど、食事をした後にハッと気づいた。
ここまで詳しく書いていたんだもの。以前はもしかしたら料理人になりたかったのかもしれない。
だから今度は料理長と一緒に作ってみようと思う。
ノートは本棚の右上と左下からの両側から読んでいる。
どうやら左下のノートが最初のノートで、そこから左から右へ行くほど、下から上に行くほど時が経っているようだ。
ノートを読むことは、まるで以前のシェルリンの人生をもう一度体験しているようだった。
左下のノートは主にマナーのことが多かった。
時々ダンスと歌、そしてピアノについて書かれてあったので、アンジーに聞いてみた。
「ここに書かれている歌ってどんな歌なのかしら?」
「これはお嬢様が小さい時に練習していた歌です。ピアノで弾いてみましょうか? これなら私も弾けますのでお教えできるかと思います」
アンジーとピアノのある部屋へ行き、アンジーが奏でるピアノの音を聞きながら歌詞を見ていたら、するすると歌が自分の声にのって出てきた。
その後、アンジーと代わってピアノの前に座ったら、わからないと思っていたのに自然と指が動いた。
アンジーがピアノを弾くシェルリンを、まぶしいものを見るように見つめている。
「アンジー、何か変だった?」
「いいえ、完璧です。この歌を練習していた時のことを思い出してしまって」
「何かあったの?」
「何かあったというわけじゃないんです。子供用にアレンジされた簡単な曲ですが、一オクターブも離れた鍵盤を叩かなければならない個所があります。そこがお嬢様の小さな手では難しく、何度も何度も……手が痛いというほど練習されていらっしゃいました」
またある時は、刺繍の図案が挟まっていたので、刺繍の道具を借りてベルに教わりながらやってみた。
簡単なものだったのか一度でできるようになった。
「完璧です、お嬢様。お嬢様の記憶が無くなっても、ずっと頑張ってこられたことはちゃんとお嬢様の中に残っているのですね」
そう言って、ベルとベラが喜んだ。
シェルリンがこの図案を練習していた頃侍女見習いだったベルとベラは、まだ小さかったシェルリンと一緒に刺繍をすることがあったようだ。
「私が刺したものと見比べて、私のものよりガタガタだから、もっと上手にならなければと何度も何度も練習されていました。私の方が五つも年上なのですからと言っても、お嬢様は頑張って練習されていましたよ」
どうやら、記憶を無くす前のシェルリンはとても頑張り屋だったらしい。
モンクレージュ学園が冬休みになると、ライが家にいるようになった。
食事はライと一緒になり、勉強もぐっと進んだ。
そして年越しの少し前、ゼルダンが言った。
「本日午後、バルデロイ様とケイシーヌ様が戻られます」
――バルデロイ様とケイシーヌ様が戻られます。
シェルリンは口の中で小さく繰り返した。
戻ると言ったから、きっとこの家の人。その言葉で今まで一度も会ったことのない両親だとわかった。
記憶を無くしてもう数週間たっているが、シェルリンは初めて両親の名前を知った。
午後になる。
いつものシンプルなワンピースとは違い、絶対一人では着られないドレスを身にまとう。
そしてきっかり四時、二台の馬車が到着した。
最初に入ってきたのは、明るい茶色の髪の男の人だった。
眉間にうっすらしわが寄り、険しい表情をしているためか、少し怖そうだ。
ただ瞳の色がシェルリンと同じで、あぁこの人がお父様なのだと思った。
「シェルリン」
「はい」
呼びかけられて、訳も分からず返事をした。
この人が父かとまじまじ見ていたのが、気に障ったのかもしれない。
何を言われるのだろうかと思っていたら、父であるバルデロイの顔がわずかに歪んだ。
「変わりはないか」
バルデロイがたっぷり沈黙した後、無表情にそう言い放つ。
記憶が無くなる前は、いつもこんなやり取りをしていたのだろうと思いつつ、内心焦った。
変わりないかって……記憶がすっぽり無くなったのだから変わっているに決まっている。
けれどこんなにも堂々と言われれば、「変わっているに決まっているではありませんか」という方がおかしい気がしてくる。
「つつがなく過ごしております」
バルデロイは父親だというのにちっとも家にいない。
だからきっと、ちゃんと暮らしているのか? 困っていることはないか? の意味で問いかけてくれたのだろうと考えて、返答した。
困ったら、とりあえず笑っておこうという気持ちで、笑顔で答えた。
バルデロイはそうかとだけ言って、部屋に戻っていった。
シェルリンは淡白だなとぼんやりバルデロイを見送る。
続いて帰ってきたケイシーヌは、髪や瞳の色味こそ違えどシェルリンが年をとったらこうなるだろうと思うほど、シェルリンの顔によく似ていた。
ケイシーヌは、つかつかと近づいてきて「私のことはお分かり?」と聞く。
「ケイシーヌ様、私のお母様だと伺っています」
シェルリンの返答を聞いて、ケイシーヌは肩にかけていたショールの前をキュッと閉じた。
「まぁ、本当に記憶がないのね。何か困ったら言いなさい」
それだけ言って去っていく。
シェルリンは思った。お母様もドライだわ。
その日、屋敷はちょっと慌ただしかった。
いつもはライと二人っきりで食べている食事が四人になったからかもしれなかった。
いつもとは違い、簡潔に料理の説明をして厨房に帰っていく料理長。
それから次々に並ぶお皿。
誰一人しゃべらず、音もたてず、食事が進んでいく。
ライと二人で食べている時よりもずっとずっと静かな気がする。
食事のマナーはライにも使用人たちにも大丈夫と言われているものの、ノートに書いてあることをやっているだけなので、付け焼刃じゃないかと心配が残る。
シェルリンは、マナーは合っているよね? 食事をしながら観察されているんじゃないかしら? と内心パニックになりながら食事をした。
いつものように料理の説明がなくてよかった。
今日は全く何を食べているのかわからないくらい、緊張している。
ほとほと疲れた食事が終わり、部屋に戻る。
豪華なドレスを脱いで、お風呂に入った。
ベッドに入り一息つくとシェルリンは、今日はお風呂が恥ずかしいなどと思う余裕もないほど疲れていたなと苦笑した。
自分の両親であるバルデロイとケイシーヌを思い出す。
会ってみたものの、結局話せたのは一言二言だけだった。
普通娘が記憶喪失になったら、もっといろいろ聞きたいこととかあると思うんだけどなぁと思いながらも、シェルリンは意外と傷ついていない自分にびっくりした。
二人の態度を思い返すと、シェルリンが想像していた通り、シェルリンは要らない子だったのかもしれなかった。
それでも悲しくなかったのは、シェルリンの中でバルデロイもケイシーヌも親と紹介されただけでまだ知らない人という意識が強かったからかもしれない。
でも、まぁ二人とも一応気にしてくれていたみたいだし、悪い人ではないのかな?




